日光二荒山神社・神橋【重要文化財】
創建年
- 不明
- 推定説その1:奈良時代
- 推定説その2:1400年以前(室町時代以前)
再建年
- 1636年(寛永13年)
- 1904年(明治37年)
- 2005年(平成17年)
建築様式(造り)
- 塗装:ベンガラ朱漆塗り(朱色)
- 木造反橋
- 高欄・擬宝珠付
高欄には親柱10本
大きさ(長さ)
- 全長:28m
- 横幅:7.4m
- 高さ(水面から):約10.6m
重要文化財指定年月日
- 1944年(昭和19年)9月5日
「神橋」の読み方
「しんきょう」
「神橋」の名前の由来や意味
「神聖な橋」を略して「神橋」としたとされる説が素敵に‥あっちゃぅ。
また、日光山の神が俗世界(人間界)と神界を往来する「神が渡る橋」としての意味合いもあるとか。
「神橋」の別名
日光二荒山神社の社伝によると神橋は別名で「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」や「山菅橋(やますげばし)」とも呼ばれています。
理由は下記にて素敵に後述💘
項・一覧
神橋の歴史
日光二荒山神社の神橋は俗世界と神界との境界線に架かる橋として日光山への入口に設けられています。
中央部の反り上がりの角度は異なりますが、日光の神橋と類似した橋として宮島・厳島神社の境内の反橋が挙げられます。
厳島神社の反橋も別名で「勅使橋」と呼称され、やはりこの神橋も同様に勅使や幣帛供進使などの天皇の使者のほか、神事・将軍社参などの参向時のみに使用された歴史を有しまする。
神橋が造られたのは奈良時代ではなく「室町時代」だった??
この神橋は二荒山神社の社伝によれば、奈良時代に勝道上人によって造られたとされていますが根拠がなく、一般的には室町時代の古文書に名前が登場することから室町時代に創建されたものだと考えられてい‥‥‥申す。
また、当初は現在のような太鼓橋(反り橋)ではなく、「跳ね橋(はねばし=可動式に開く橋)」であったと云われております。
江戸時代に「反り橋」へ改造される
1636年(寛永13年)の改修工事の折、跳ね橋から現在に見る「反り橋」へと改造されてい申す。
この改修工事の際、正式に勅使や将軍・諸大名のみが渡ることのできる神聖な橋と位置づけられたため、下流にもう1つ一般参拝者向けの橋が造られています。
この橋が今日に見る渋滞で何かと混雑する有名な「国道119号線の橋」です。
明治時代に洪水で倒壊す!
1902年(明治35年)には、関東を襲った「足尾台風」によって日光山では洪水が発生し、無残にも神橋は倒壊。
その2年後の1904年(明治37年)に素敵に再建され、これが現在見ることのできる神橋の姿とされる。
爾来、10年から20年おきに修営が実施され今日に至っています。
殊に、明治37年の再建時には江戸時代以前の神橋を忠実に再現して再建されたため、正式には1636年の再建時の姿と…なっちゃぅ。
昭和時代に名前が広く知れ渡る!
昭和57年に「男体山頂鎮座1200年祭」が斎行されていまするが、昭和48年よりその奉賛を目的として一般に広く知られるようになり申す。
日光の紅葉の時期になると、必ずこの神橋の写真がメディアに掲載され、今日においては「日光の紅葉といえば神橋の橋上からの眺望」とまで言われるまでに有名になってい‥申す。えっ
1997年(平成9年)に大修理が実施される!
この神橋は平成9年より大修理が実施され、さらに装いを新たオープンしてい‥‥申す。
【参考】平成9の半解体修理の総事業費
1997年(平成9年)4月1日〜2005年(平成17年)3月31日に実施された総事業費をご紹介しておきます。
国庫補助金:7億8070万5046円
栃木県補助金:7807万0000円
日光市補助金:3903万5000円
所有者負担金:2億7324万5000円
雑収入金:5046円
合計:11億79万7092円
神橋の歴史(年表)
日光二荒山神社の「神橋」は、1200年以上もの歴史を有する我が国屈指の橋梁の一つ。
| 年代 | できごと |
|---|---|
| 奈良時代 | 勝道上人が造営 |
| 808年 (大同3年) | 下野国司の橘利遠が朝命により本宮神社の社殿を創建す。 山菅の橋(現在の神橋)を架橋する。(祈雨祈祷の謝礼) |
| 1000年 (長保2年) | この頃、成立した枕草子の中に「橋は、山すげの橋‥」と いった記述が見える。 (この頃にはすでに神橋があった根拠となる) |
| 1400年 (室町時代) | 日光神橋の名前が古文書に登場する |
| 1629年 (寛永6年) | 4月17日、徳川家光が日光社参。 |
| 9月17日、徳川秀忠が日光社参。 | |
| 神橋の架け替えが執り行われる。 | |
| 1636年 (寛永13年)4月 | 家康公21回目の御神忌を迎える。 徳川家光公が日光社参す。 同時に日光東照宮の大改修工事(寛永の大造替)が 一応の完工を迎える。 神橋の造替が執り行われる。 |
| 1683年 (天和3年) | 5月17日、日光山大地震(閏5月1日まで435回の地震)。 |
| 6月25日、稲荷川と大谷川の洪水で神橋辺に水が上がる。 | |
| 9月1日、大地震が発生す。 | |
| 11月7日、地震によって損壊した日光山の修復が終わり正遷宮が執り行われる。造替が完了す。 | |
| 1699年 (元禄12年) | 7月1日、洪水で神橋辺に水が上がる。 |
| 10月、一坊を除く学頭以下、6院、衆徒、社家、楽人らに拝借金(幕府から金銭を借り入れる)が下付(わたす)される。 | |
| 1902年 (明治35年) | 大水害発生す(大山津波)。 被害状況は死者46名、家屋の被害160余戸、神橋が流失す。 この後、中禅寺が中禅寺湖の歌が浜へ移転す。 跡地には中宮祠(日光二荒山神社) が残され現在に至る。 |
| 2005年 (平成17年) | 上記、工事が素敵に終了♡ |
| 平成9年 ~ 平成16年 | 平成の大修理 |
| 平成17年4月 | およそ8年間もの大修理が完了し、素敵に一般公開される。 |
「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」や「山菅橋(やますげばし)」の名前の由来
冒頭でも述べたように、この神橋は当初、「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」や「山菅橋(やますげばし)」とも呼ばれているのじゃが、これらの名前の由来は下記のような伝説に由来したものであるのじゃ。ホっホっホ …..急にどないしたん?
勝道上人にまつわる神橋の伝説
日光山を開創した勝道上人(しょうどうしょうにん)が、この橋の下を流れる川である「大谷川(だいやがわ)」の前まで来た時、川の流れが早い上に水勢が強く、歩みを止めざるをえませんでした。
そこで勝道上人は仏の智慧をお借りしようと護摩祈祷を執り行うのですが‥‥その時、なんとぉぅ!突如、「毘沙門天の化身」とされる「深沙大王(じんじゃだいおう)」が、自らの下僕である2匹の大蛇を随従させて大谷川の岸辺に現出したのです。
2匹の大蛇は現れるや否や、たちまち横並びで川にまたがり、まるで1本の頑強な橋のようになります。
深沙大王の心遣いを読み取った勝道上人は、深く感謝しながら、大蛇たちの背に乗って向こう岸まで渡ろうとします。
ところが‥‥‥残念なことに大蛇の背中のウロコで足がすべって前に進めません。
と、その時、なんと!大蛇の背中から「山菅の葉」が急に生い茂り、勝道上人は山菅の葉の上を踏みながら歩けたことで無事に渡りきることができて、日光山内へ入ることができた‥‥と言うお話です。
やがてこの2匹の蛇は「橋」として、つまりは神橋の前身として後世に語り継がれることになります‥‥‥が!上述したようにこの話には根拠がなく、つまりのところ、学術的には確たる史料に記載された「室町時代」とされてい‥‥申す。
日光二荒山神社・神橋の建築構造(造り)
神橋の形状は「反橋(そりばし)」となっており、「反り橋」とは名前のとおり中央部が弓なりに反っている橋と言う解釈になります。
反り橋は別名で「太鼓橋(たいこばし)」とも呼称され、主に神事(祭典)や特別な身分の御方の使者(勅使など)しか通行することが許されなかった橋です。
創建当初は素木造りの橋であったと云われており、1700年代後半(寛政期)に現在のような朱色が施されるようになっています。
但し、橋桁の裏側部分のみ黒漆塗で塗装が施されています。
橋の両側面を飾る美しい朱色の「高欄(こうらん)」と、その高欄の間には10本の親柱が整然と並び立ち、橋の外観をより魅力的に飾りたててい‥申す。きょ
地表からは見えにくいですが、橋のたもと(橋の両端)には石製の土台が組まれており橋を支えています。
ただし、当初はこの石の土台はなく、橋の両端のたもと(岩盤)に「乳ノ木(ちのき)」と呼称される「ケヤキの大木」を川の中央へ向けて、斜め向きに約4メートルほど埋めて橋桁(はしげた=橋を通行して横断する部分)が組まれていたようです。
現在はさらに上述、石の土台が橋の両側のたもとに用いられてさらに橋桁を支える仕組みが強化されてい…ます。耐 ..ふぅ
つまり当初は「橋脚(きょうきゃく=橋を支える足)」を持たない橋となり、これは木造の橋梁(橋)の中において日本でもこの日光神橋以外に例がなく、極めて稀有で重要度の高い橋と‥なっちゃぅ。
尚、このような工法を考案したのは地元の大工であった「山崎太夫長兵衛」と言う人物であったことから、「橋架け長兵衛」と言う名前が広まり、以降、16年ごとに橋を建て替える風習ができたそうです。
そうして橋の開通の神事では、決まって長兵衛の子孫が最後の仕上げの木槌を打って橋を完成させたといわれる。
さらに驚くことになぁんと!この神事は明治時代まで続いたらしい。
神橋は「日本三大奇橋」!
現在のこの神橋は「日本三大奇橋(にほんさんだいききょう)」の一角と言われており、日本を代表する橋として広く認知されています。
山間の峡谷に架橋された「はね橋」の様式としては日本唯一の古橋であり、現在では日本三大奇橋1つに数えられてい‥申す。しゅ
ちなみに日本三大奇橋とは「変わった構造や外観を持つ橋」のことを言うのですが、現在の日本三大奇矯の定義とは不確定の要素が継承され、実際には3つ以上存在する。
これは地方(地域)や人の見解によって列挙する三大奇橋が異なるためです。
【補足】日本三大奇橋
- 猿橋(山梨県大月市)
- 錦帯橋(山口県岩国市)
- 神橋(栃木県日光市)
- 愛本橋(富山県黒部市)
- 木曽の桟(きそのかけはし)(長野県上松町)
- かずら橋(徳島県三好市)
一般的には「猿橋から神橋まで」を指すことが多いようです。
神橋は渡れた?!
写真などで神橋を見れば、人が渡っているイメージがあまりなく、特に紅葉時期の神橋とその周りの山々の紅葉の景色が写っているだけの画像や写真が多いのですが、基本的に神橋は渡れます!
ただし、注意点としては完全に渡りきることができんせん!
理由は神橋を渡りきったの向こう側が車道(国道120号線)になっているからです。
なお、結婚式を神橋で挙げれば写真⬆️の柵が撤去され、完全に渡りきることができるとのことです。
神橋の見どころ
神橋から眺める大谷川の眺望!紅葉シーズンは必見!
この神橋が一躍有名になった要因の一つに紅葉が挙げられまする〜。
神橋を取り囲む大谷川の渓谷には、たくさんの紅葉が群生しており、秋の紅葉シーズンになればこれらモミジたちが、一斉に真っ赤♡に色づき始めまする。
神橋のライトアップ
この神橋は毎日夕刻より午後9時までライトアップが実施されています。
夜は神橋は閉鎖されていますので、中に入って渡ることは叶いませんが、下流の「国道119号線の橋」の橋上からであれば、上掲写真のようなライトアップされた神秘的な神橋を見ることができまする。
漆黒の夜のとばりに支配されながら、ライトアップされる神橋は、しばらくは目が釘付けになってしまうほど幻想的な雰囲気を醸してい申す。
夜は車の交通量も少なく、大谷川の川のせせらぎがよく耳にこだまし、さらに幻想的な夜の世界に誘われ申す。 …ホンマかぃ
祈願・紙ヒコーキ(紙飛行機)
この神橋には特殊な祈願方法があります。
どんな祈願方法か想像がつきますか?
ちょっと考えてみてください。
・・
・・
・・あ〜惜しい!残念無念!
正解は..「神ヒコーキ」なる「祈願”紙ヒコーキ”」を神橋の上から投げ飛ばして、真下を流れる大谷川(だいやがわ)に流すという占いです。
祈願紙ヒコーキの祈願方法
①まず、神橋が渡れることが絶対条件です。(神橋は結婚式で使用されていることがあります。その時はおおむね30分は渡れません)
②次に神橋受付(社務所)にて「祈願紙ヒコーキ」を購入します。1つ100円(縁)です。
③紙ヒーキはすでに折られていますので、好きな所にあなたの成就させたい祈願を書きます。
④神橋の渡る料金を支払った上で「祈願紙ヒコーキ」を持って神橋の手前にある「橋姫社」に行きます。
⑤「橋姫社」に賽銭を入れて鈴を鳴らして諸願を祈願します。(ちなみに橋姫社の御祭神は”橋姫大明神”であり、開運招来・良縁招来のご利益があります)
⑥神橋の半ばぐらいで真下を流れる大谷川に向かって祈願紙ヒコーキを投げます。ウっホ〜!ウホウホ
⑦あなたの祈願は男体山の神のもとへ届き、投げた紙ヒコーキは大谷川へ落下してやがて大海原へと至ります。
(紙ヒコーキは水に浸かると溶ける特殊な性質をしています)
祈願紙ヒコーキのご利益
- 所願(諸願)成就
- 厄除け
なお、この「祈願紙ヒコーキ」は、神橋を管理する日光二荒山神社から一般参拝者へ向けて、2014年(平成26年)から開始された特殊な参拝方法です。
紙ヒコーキの材料となる”紙”には、日光二荒山神社の御神前にて特殊な祈願がなれています。(特に「厄除け」のご利益があるようです)
また上述しましたが紙は水に溶けますのでゴミにはなりませんのでご安心を。ウホホ
なで石
おもかる石とは少し違いますが、おおよそ日本全国の寺社で見かけるほどの大きさの石が神橋の境内にも置かれています。
このなで石を以下のような手順で祈願することで心が丸くなって豊かになり、夢が叶うと言われます。
なで石の祈願方法
- なで石の前のお賽銭箱に賽銭を入れる。
- 二礼二拍手して合掌して祈願(願い事)する。
- 最後に一礼する
なで石のご利益
心が丸くなる、豊かになる、夢が叶う
一枚岩
およそ1250年前に日光を開山した勝道上人(しょうどうしょうにん)は、大谷川の岸辺となる、ちょうどこの一枚岩の場所あたりで立ち止まってしまいます。
理由は大谷川の流れがあまりにも激しく渡れなかったからです。
そこで弟子たちと共に神仏へのご加護を祈願します。
すると突如、深沙大王(しんじゃだいおう)が一行の目の前に現れ、たちまちのうちに橋が架けられ、一行は大谷川を越えて日光山へたどり着くことができたとさ。
現在もこの一枚岩は神橋を支える鎮守石と信仰され、開運のご利益があるとされています。
おみくじ
神橋にも二荒山神社の境内にある「おみくじ」と同じと思われる「えんみくじ」「開運おみくじ」「恋みくじ」「開運とんぼ玉おみくじ」が設置されています。
「えんみくじ」は、中に勾玉、「開運とんぼ玉おみくじ」は中に「とんぼ玉」が入っています。
橋姫明神
「橋姫」は神橋を護る神様です。神橋の袂(たもと)に小さな社殿が設けられて祀られています。
「橋姫」とはなにもこの神橋に由来した神様ではなく、日本全国の有名な橋であれば、橋の袂(たもと)に社殿が設けられて祀られています。
橋姫が祀られている主な橋
- 宇治橋(京都宇治)
- 宇治橋(伊勢神宮)
- 瀬田の唐橋(滋賀県大津市)
- 長柄橋(大阪市)
「橋姫」の意外な正体
平安後期から鎌倉前期に編纂されたとされる平家物語の異本・「源平盛衰記(げんぺいせいすいき)」の記述によれば、橋姫はかつては貴族のほどよく熟した娘っ子であったとされています。
しかし、恋敵を憎むことへの執着心が離れず、ついに貴船神社へ7日間こもり、貴船の神に「自らを鬼神に変えて欲しい」と告げます。
それを聞いた貴船の神はこう告げます。
「本当に鬼神になりたければ、まずは自らが鬼神になる努力をせよ。21日間、姿を変えて宇治橋に浸かれば鬼神になれることもあろうて…ふぉっふぉっふぉ」
すると女は全身の肌を朱色で赤く塗り染め、髪を5本に結い上げて角のように立て、頭には松明を宿した鉄の冠を付けて宇治川へ浸かるのです。
21日経ったのち、本当に鬼神になってしまったという話です。
鬼神になった女はまず、恋敵を殺し、その縁者もすべて殺し、のちに源頼光の四天王の1人「源綱」に討たれるまで、目についた者は誰でも殺しまくったそうです。
この物語が水神信仰と習合し、橋を守護する神とされたのが、橋姫の正体です。
ただし、この神橋の橋姫のご利益は開運、良縁招来とされています。
しかし一般的には、橋姫は人を妬む鬼神であることから「縁切りの神」として信仰されている側面が強いということです。
すなわち、悪縁を断ち切るご利益がある神でもあります。
そんなことから本来は、恋人同士や婚礼の儀で橋を渡るのはタブーですが・・この神橋では結婚式をされています。ん〜いやはや…それぞれの見解があるということなのか‥。
神橋の主な行事
神橋渡り初め(渡橋神事)
二荒山神社では、神前結婚式と並行して、「神橋幸せ渡り初め」という企画を実施しており、二人の新たな門出となる橋渡しを実施する。
- 所要時間:約15分
流れ:神職・巫女にお祓いを受け、神職・巫女の先導により、二人で渡る。
その後、二荒山神社にて神前結婚式を執行。殊に、新郎新婦のご希望によっては、挙式後に渡橋神事も可能とのこと♡最後には特典として、当日の日付と新郎新婦の名前が素敵に墨書きされた記念品となる特製神橋大絵馬が進呈される。
料金(初穂料)
- 10名まで 20,000円30名以下 30,000円31名以上 50,000円
参考:日光二荒山神社(公式)
【ピヨ🐣注意💘】天候などにより、執行できない場合も…あっちゃぅ。
宵まつり式典(登橋神事・手打ち式)
毎年4月16日になると、日光弥生祭の宵まつりとして、当該、神橋にて午後14時40分〜午後15時10分頃まで、宵まつり式典が神橋境内、登橋神事・手打ち式が神橋橋上にて執行される。
【ピヨ🐣コメント】
例年、4月13日~17日までは日光二荒山神社の弥生祭期間に該当♡
神橋すす払祭
- 斎行日:12月26日
行事内容
狩衣、烏帽子といった動きやすい恰好に着替えた神職や巫女たちが、長さ4メートル程の竹笹を素敵に駆使し、橋の桁や欄干 等にたまった1年分の埃や汚れを落とし、リフレッシュした新年に迎えるための行事(神事)。
日光二荒山神社・神橋の場所(地図)
🗾地図
東照宮から素敵に徒歩約10分。
日光二荒山神社の神橋は、二荒山神社の境外、日光山の入口付近に位置します。
JR日光駅・東武日光駅から神橋までアクセス(地図付き)
神橋は日光山の一大観光スポットなので、神橋を見学して渡橋した後に徒歩で山内へ参拝される方も少なくありません。
そこで以下では神橋までのアクセス行き方をご紹介しておきます。
JR日光駅もしくは東武日光駅まで来たら下記のバスへ超絶素敵に乗車する。
「世界遺産めぐりバス」
「東武バス(奥細尾行き)」
【ピヨ🐣コメント】
通常の東武バスは運行本数が少ない。
🌉下車するバス停
「神橋前バス停」にて素敵に下車💋
東武日光駅(JR日光駅)から歩くのもオススメ♡
東武日光駅(JR日光駅)から日光山内までの道路は一本道となっており、道路左右には土産物屋や飲食店が軒を連ねるなど、只々、歩くだけのシンドイ思いをすることなく、お店を素敵に巡って楽しみながら行くこともできる。
双方の駅からは徒歩で約30分(距離約2キロ)。
参考移動ルート図
バスへ乗車するのであれば、東武バスの「世界遺産めぐり手形」の購入がオススメ💕600円(大人/小児半額)で1日乗り放題💋
購入場所は東武日光駅やJR日光駅の構内で買えます。
世界遺産めぐり手形の詳細
【補足】神橋周辺の「柵」が新しくなった!
二荒山神社では、2019年の天皇陛下即位30年を記念し、神橋周辺の鉄パイプの柵を朱塗りの高欄(欄干)に新築することになった。
神橋は1971年(昭和46年)に一般の人が渡れるようになり、その際に転落防止などの目的で、境内入口の鳥居から渓谷に沿って約30mの長さの柵が設置された。
ただ、景観にそぐわないという声も寄せられており、簡易的な安全柵をどうするかは長年の課題でしたが、世界遺産登録などで、現状の変更が困難だったことから、現在までそのままになっていたのです。
今回の新築で、鉄パイプ柵は取り払われ、神橋と同じ、ヒノキ材・朱塗りの高欄が据えられた。
また、神橋と同じ擬宝珠(ぎぼし)もあしらわれる予定となっています。
神橋が現在の形になってからの約380年間で、本格的な柵が建設されるのは、初めてのことらしい。
尚、工事は2018年10月に着工し、12月頃には素敵に完了した♡
擬宝珠とは?
てすりや橋の欄干に付けられる宝珠の形の飾り。ネギの花の形に似ていることから、「葱台(そうだい)」とも呼ばれる。
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