東照公(徳川家康公)の御遺訓の真意(意味)とは❓

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東照公(徳川家康公) 御遺訓

人の一生は重荷(おもに)(をひ)うて遠き道を行くが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば 不足なし 
こころに望みおこらば(こん)(きゅう)したる時を思ひ(いだ)すべし
堪忍(かんにん)無事(ぶじ)長久(ちょうきゅう)(もとい)      いかりは敵とおもへ
勝事(かつこと)ばかり(しり)て まくる事をしらざれば (がい)(その)()にいたる
おのれを(せめ)て人をせむるな 及ばざるは(すぎ)たるよりまされり

慶長八年正月十五日 家康

意味

人の一生というものは重い荷を背負って遠い道を行くようなものである。急いではいけない
不自由があることが当たり前と思えば不満は生じない。
欲がでたら困窮している時を思い出すと良い。我慢することは無事に長く平和でいられる土台となる。怒りは敵と思え。
勝つことばかり知って負けを知らないことは危険である。自らを反省し、人の行動を責めるな。不足していることは多すぎるより優れている。

一六〇三年一月十五日 家康

この遺訓が書き留められた経緯

この言葉は今日では東照公の遺訓として語り継がれているが、公が将軍を辞す時にした話が松永道斎によって書き留められたもの。

以後、この言葉は「松永道斎聞書」とも云われる。

この言葉は元和初頭、老中の井上主計頭(井上正就)が二代将軍・徳川秀忠の使いで駿府城へ登城した折、家康公本人から聞いた話を書き留めたとされる。

それゆえ、「井上主計頭聞書」とも呼ばれることがある。

なお、公がこの話をした席には他に本多正純と2人の僧侶が臨席していたと云われる。

この御遺訓は他に「万歳賜」とも呼ばれ、江戸時代は禁書扱いだった。

2代目秀忠公以降の将軍は、この言葉を遺訓として重く受け止め、代々の将軍が語り継いだ。

オリジナル(原典)が保管されている場所

この遺訓にはオリジナル(原典)が存在し、それが日光東照宮にて保管されてい‥‥‥申す。イクゥァンっ(”遺訓”を表現)

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