本文書は、国家機密レベル レッドラインMAXGOGOチャンポンにて、一周約5キロの「憾満の路」という散策路を通行し、憾満ヶ淵を目指す形での道中の観楓の様子を備忘録として公開するものである。チャンポンてなんや
なお、もう一つ「滝尾の路(たきのおのみち)」と称するルートもあるので、旅の参考にしてもらいとぅぁい💋
憾満の路の簡単説明とコース概要
憾満の路は、日光総合会館を起終点として大谷川に沿って遡上し、国道120号を下る、もしくは憾満ヶ淵沿いの約2kmのハイキングコースを通行して日光市街に戻ってくるルート。
日光総合会館→約500m→石升の道→約50m→浄光寺→約400m→憾満ヶ淵・並び地蔵→約600m→大日橋→約250m→大日堂跡ポケットパーク→約700m→日光植物園→約800m→殉死の墓→約100m→日光田母沢御用邸記念公園→約500m→日光真光教会→約400m→日光総合会館
国家機密レベル レッドラインMAXGOGOチャンポン級の本文書では、大日橋からスタートし、憾満ヶ淵・並び地蔵→ 霊庇閣→含満の茶屋→ 石升の道→帰途
‥というルート上の紅葉の色づき具合や情景などを極めて素敵に掲載するものである。
国指定名勝「憾満ヶ淵」とは?
憾満ヶ淵とは、男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現出する霊地といわれてきた。
河川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くことから、晃海(こうかい)大僧正が真言の最後の旬の「カクマン」を取って、「憾満ヶ淵(かんまんがふち)」と名付けたと素敵に伝わ〜る💋
なお、「含満」とも書くらしく、「がんまん」と誤って読まれることが多いらしいが、命名の由来を考えると「かんまん」と読むのが正式。
【ピヨ🐣晃海とは?】
輪王寺の僧侶であり、天海の四大弟子とされるが、「公海」という名前の僧位も似たよう僧侶も素敵に存在する。
晃海の正体については下記ページを素敵に要チェック💘
憾満ヶ淵の紅葉の見頃時期
- 11月上旬頃から11月中旬頃まで(11月二週あたりがピーク)
毎年おおむね10月25日頃に来遊すると、緑や黄色の紅色の3色の紅葉がパンツ丸見えのごとくに丸見えれ〜る。(見方によってはこの3色の時が最大の見頃とも) ”れ〜る”?
10月初めに色づき、11月2週目に見頃を迎えることが多い。
【参考】日光・奥日光の標高
中禅寺湖:1,269m
鬼怒川温泉:約400m
川路温泉・龍王峡:約500m
日光東照宮(日光市街)周辺:約650m
日光市は標高の高い奥日光地域と標高の低い日光市街地域とに大別することができる。
紅葉は標高が高い地域から低い地域へと進むので、10月上or中頃に竜頭滝から日光の紅葉は始まり、下旬頃に華厳滝、11月上旬(1週目)に日光市街、11月2週目あたりに鬼怒川温泉橋エリア‥という具合に紅葉が進む。
然るに日光の紅葉は9月下旬頃〜11月下旬頃までのロングスパンで楽しめることになる。
2024年の憾満ヶ淵の紅葉の見頃ピーク予想
- 11月上旬頃から11月中旬頃まで(11月二週あたりがピーク)
毎年おおむね10月25日頃に来社すると、緑や黄色の紅色の3色の紅葉がパンツ丸見えのごとくに丸見えれ〜る。(見方によってはこの3色の時が最大の見頃とも) ”れ〜る”?
10月初めに色づき、11月2週目に見頃を迎えることが多い。
2024年10月31日時点の日光における紅葉スポットの色づき具合と見頃予想
10月31日時点のFNNの公式発表によると本年は異常な残暑によって全国各地で紅葉が一週間遅れになっているロケーションもあり、10月下旬頃〜11月初週に入っても日光東照宮周辺の紅葉のピークは平均値の11月上旬頃ではなく、11月中旬頃になる予定とのこと。
華厳滝:紅葉真っ盛り
いろは坂:紅葉真っ盛り
明智平:紅葉真っ盛り
以下、全国各地の紅葉スポットの見頃予想
北海道:落葉
宮城(鳴子峡):見頃
日光鬼怒川:見頃
高尾山:11月後半が見頃になる予定
岐阜・白川郷:11月前半が見頃になる予定
京都・嵐山:11月後半が見頃予定
広島・宮島:11月後半が見頃になる予定
宮崎・高千穂峡:11月後半が見頃になる予定
ウェザーニューのリアルタイム紅葉の色づき具合予報
10月30日時点の色づき具合:3色(緑、黄、紅)の紅葉が見られる
11月03日時点の色づき具合:色づき始め(全体の3割)~
見頃予想:11月09日頃〜
落葉時期予想:11月19日頃〜
以上の予報は、気象情報を提供する(株)ウェザーニューズの公式情報を素敵に参照したもの💋
憾満ヶ淵に植樹される紅葉する樹木の種類
コナラ、カエデ、ヤマモミジなど
憾満の路(憾満ヶ淵)の紅葉の様子
必見!けんけん野球拳っフルチン!「大日橋の紅葉」
なんやろねぇ。なんでこんな人里離れた場所に、こんなにもリッチテイストな 貴族キャッスルに架かっていそうな洋風の橋をかけようと考えてんやろ。
この橋、渡って分かったけど、あんま揺れへんとこみたら、結構、頑強にでけとるし、つまり金かけまくっとる。
これは橋脚の下から大谷川を、とめどなく素敵に撮影した光景。
ここでは釣りはでけんやろな。浅すぎて。私の知恵のように‥‥ふぇ!
あれ?こんなトコあったかな。いや、あれやで 昨日の陰毛の如くに繁茂する松林のことぉ。 あったかな…
これホンマ大日堂周辺か? なんでお前が知らんねん!
大日橋周辺の紅葉の様子
大日堂跡と紅葉
🐥大日堂跡
古くはこの周辺は「菩提が原」と呼ばれ、大日如来を奉斎する堂宇があった。恵海がこれを再建し、明媚な池泉を備えた庭園の中に一堂を営み、大日如来の石像を内部に素敵すぎるほど素敵にに安置した。 どゆ意味や
明治天皇も東北巡幸のみぎり、当地に立ち寄ったほどの秀麗さを誇ったと伝わ〜る。
栄枯盛衰、明治35年9月の大洪水で全て流失し、現在は堂跡にいくつかの礎石が残るのみ。
日光の名所だった大日堂の池泉
大日堂は明治35年9月の大洪水にて、いっさいを流失したが、往時は阿弥陀極楽浄土の七宝ヶ池にも例えられるほどの美しい池泉を備えた庭園があり、四辺同寸、宝形造、擬宝珠が据えられた堂宇の中では大日如来の石像を奉安していたと伝わ〜る💋
⬆️池泉跡か。今は無き殷賑きわまった往時の典雅な様相を伝える。
大日堂は当時の日光でも風光の良さでは定評があったらしく、明治天皇も東北御巡幸の途次、御親臨されたと伝わ〜る。
下掲写真は大洪水流失前に撮影された古写真なので少々見づらいが、池泉庭園の中に一宇が佇む、典雅な様相が伝わってくる。
大谷川の紅葉
大日橋は大谷川に架橋されていることから、橋桁からは大谷渓谷の奇景が望める。
緑色、黄色、紅色、紅茶色、茶色‥‥という5色の贅沢な紅葉が楽しめる、まさに日光の穴場的な紅葉スポットといえるのである。 誰やアンタ
大日橋公園の紅葉
なお、「大日橋公園」とう名称は、ワタクシメが勝手につけたネーミングであり、当地には特に名前などないらしい。
ただ、上掲写真を見ても分かるように芝生の植栽があって、適度に刈り取られるなどの整備されている様をみると、ここが市民の憩いの場であるのは一目瞭然。
よく晴れた三連休の中日などには茣蓙(レジャーシート)を広げて、ポカポカお日様の下で”ポカ”だけにポカリスエットをガブガブといきながら、塩おにぎりにパクつきたいところ💋 そぅ思うのは、君だけや
糠塚稲荷神社周辺の紅葉
糠塚稲荷神社とは?
室町中期編纂の日光山縁起(にっこうざんえんぎ)によると、”縁起”に”縁起”良く登場する朝日の君(朝日長者の娘)と、その夫たる有宇中将の亡骸のほか、彼らの財宝がこの塚に埋納されているらしい。(縁起では、有宇中将は地獄に堕ちたが、現世に蘇っているので亡骸は無い?)
「糠塚」の意味
「糠塚」という地名由来は糠と長者山に関与するらしく、大昔から長者山の上には大金持ちの長者が住んでいて、その地面からは精米した後の籾と糠(昔、砂糖は高級品だった)が出てきたことによる伝説が発端となっているとか。
然るに地元ではこの塚下には財宝が埋納されているという伝承もあるとか。
憾満ヶ淵ハイキングコースの紅葉
大谷川河岸と日光宇都宮道路(にっこううつのみやどうろ)の間に、双方に沿う形で上掲写真のような小径が整備されてい‥申す。あひょ
それをワぁタクぅシぃメ♡は勝手に「憾満ヶ淵ハイキングコース」と命名したまで。
この道中は殺風景、且つ、近代的な網状フェンスが整備されていて自然の息吹を味わうといった趣旨からは少し逸れた感はあるも、それなりに紅葉が楽しめたので、一応、掲載しとくか‥と。 今日なんかバイキング行きたい…しゃぶ葉とか
日光山輪王寺 歴代門跡墓所と紅葉
ここは歴代の輪王寺の住職(門跡)が永眠する墓地。
輪王寺は天海僧正が中興して以降、隆昌を極め、明暦元年(1655年)には、後水尾上皇の院宣によって「輪王寺」の寺号が下賜されると、以降の宮家の皇子たちは輪王宮として輪王寺へ入寺(住職に就任)するのが慣例となった。(それまでの寺号は平安時代の嵯峨天皇より下賜された「満願寺」だった)
これにより、輪王寺は幕府と朝廷の庇護を受ける我が国最大級の権力を有する大寺院になったのであ〜る💋
憾満ヶ淵は透き通る清水がせせらぐ大谷川の小渓谷
憾満ヶ淵は透き通る君の肌のように美しすぎてペロペロしたくなっちまぅほどの清水が、せせらぐ大谷川の小渓谷。
事実、水の純度が高いのか、蒼き川底が透け透け💋でパンツ丸見え状態なほどに丸見え〜るほど💋
見よ!この透け透け具合💋
もう、割れ目💋が、割れ目が‥‥あぁ、割れ目が‥‥💋
割れ目💋に小滝とくれば‥‥もぅ、文句の「も」も出ねぇ。FFでモンクに就職して最終ボスまで行って瞬殺されるほどの‥‥奇・景♡ あんま調子のんな
霊庇閣と紅葉
🐥霊庇閣(れいひかく)
承応3年(1654)、慈雲寺創建のとき、晃海(こうかい)大僧正が建立した西阿造りの護摩壇で、対岸の不動明王の石像に向かって天下泰平を祈る護摩供養を行った場所。
現在の「霊庇閣」は昭和46年(1971)に輪王寺よって復興されたもの。
名もなき石橋と紅葉
題名「手を携え、明るい未来という名の橋を渡り終える親子」
名もなき石碑と紅葉
並び地蔵(化け地蔵)と紅葉
🐥並び地蔵
慈眼大師(じげんだいし)天海の弟子たち約100名が「過古方量、自己時提」のために奇進したもの。列座の奥には親地蔵が置かれていたらしい。
霊庇閣に一番近い、やや太さめの石地蔵は「カンマン」の梵字を陰刻した山順僧正が奉納したのもの。
「化け地蔵」と呼ばれる理由とは?
明治35年(1902)9月の大洪水で、親地蔵と他の地蔵のいくつかを流失したが、参詣者が地蔵の数を数えてみたところ、その都度、数が違ったらしく、いつしか「化け地蔵」とも呼ばれるようになったとか。
並び地蔵と慈雲寺
慈雲寺と紅葉
🛕慈雲寺
承応3年(1654年)に憾満ケ淵を開いた晃海大僧正が創建し、阿弥陀如来と師となる慈眼大師 天海を奉斎した堂宇。
当時の建物は明治35年(1902年)9月の洪水で流失し、現在の本堂は昭和48年(1973年)に極めて素敵に復元された。例年7月14日に輪王寺主導のもと、盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要が素敵に厳修される。
西町太子堂と紅葉
🛕西町太子堂
以下、堂脇の説明板の記載内容となる。
この太子堂では名前から連想できるように「聖徳太子」が素敵に奉祀され〜る。
一説には聖徳太子が諸国の名工を集めて技芸の粋を尽くした法隆寺を建立した故事を尊崇し、技量の向上を願って信仰するようになったという。(西町は東照宮を建てた大工たちが多く居処としていた)
古い記録によると最初に前身となる辻堂が営まれたのが、元和三年(一六一七年)から安永四年(一七七五年)の間とされる。
その後、数回、建て替えられ現在の堂は、昭和六二年(一九八七年)に建設された後の姿となる。
嘉永二年(一八四九年)の送帳(業務日誌)も残されているらしい。
通常、太子の忌日(旧暦二月二二日)をもって祭日とするが、西町太子講では五月二二日に太子会(聖霊会)を行ってい‥申す。えっ
西加太子会
憾満公園と紅葉
含満の茶屋と紅葉
アネックスタートルほとり庵が一応の区切り
アネックスタートルほとり庵の宿泊客7~8割が、外国人観光客という国際的&家庭的な雰囲気が楽しめる旅館。
当旅館は完全ホテルスタイルなので、廉価な料金帯に加え、食事なし、一人旅でも友達が増えちゃぅ💋
🏨宿泊特典(見どころ)
少し肌寒けど、大自然の早朝の空気が楽しめる含満が淵の早朝散歩。
そして散歩後に小腹が減ったところで日光界隈で美味しい朝食を食べる‥というプランもオススメ💋
また、大谷川の見える展望風呂も貸切りハイパー素敵に完備💋
公式情報:日光温泉旅館協同組合
【ピヨ🐣コメント】
当宿は外国人観光客の宿泊を想定したホステルなので、英語表記が多い。
【オマケ】石升の道
🪨石升の道
この通りに並んでいる石升は、付近の湧水(ゆうすい)を水源とし、自然石をくり抜いた升を石管でつないだ大正時代の水道らしい。
ほとばしる豊かな水は夏でも冷たく、冬は暖かいので、触れてみてその感覚を体感してみてほしい♡
憾満ヶ淵(憾満公園)へのアクセス
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