【御朱印あるゾヨ💖】滝尾稲荷神社|滝尾神社

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滝尾稲荷神社

滝尾稲荷神社の歴史

820年(弘仁11年)に弘法大師・空海が滝尾神社とともに創建したのが、当社の起こりであると伝わる。

史実では816年(弘仁7年)4月、勝道上人が男体山の山頂に創祀した三社権現社のうち、女体山の神である滝尾神社を日光山内に勧請して祭祀したと云われる。

しかし、その滝尾神社を日光山内のドコに祀ったのかが、明言されていないため、今日まで当地に祀られたことになっている。

これについての根拠となるものとして、鎌倉時代に勝道上人の弟子である「道珍」が編纂したとされる写本・「滝尾建立草創日記」によれば、820年(弘仁11年)に弘法大師空海が日光三社権現の1柱である女体権現(滝尾神社)を当地に勧請する形で奉斎したのが、当・滝尾神社起こりであるといぅ。

また、この道珍が記した日記によれば当時、大師から密教の秘法を授けられ、その後、道珍は滝尾神社境内にかつて存在した「別所(現在は”別所跡”)」に参籠し、「滝尾上人」と名乗ったと云われる。

だとすれば鎌倉時代は真言宗の一派だったことになり、別所も真言宗の御堂ということになりまする。

1592年(天正20年/戦国時代)に編纂された「滝尾山旧記」にも3月21日の弘法大師空海の命日に御影供という法要が執り行われていたことが記されている。




立て看板の内容

滝尾稲荷神社
弘仁十一年(八二〇)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。
祭神は倉稲魂神(稲荷大明神)。昭和四十一年九月に台風で流出したため、昭和四十三年に巴会により再建された。
三月二十五日が例祭。
五月二十五日の講社大祭には、多くの信者が集まる。
昔、滝尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては、催促したという伝説が残っている

上記、案内看板の伝承によると、その昔、この稲荷社にはお供え物を定期的にする儀礼(風習)があり、ある時、滝尾上人がお供え物を忘れてしまうことがあった。

そんな時、稲荷の神が1匹の狐に化けて社頭に現れ、「お供え物を忘れている」と催促したとある。

「巴会」という言葉が出てきたが、巴会とは1996年に宇都宮旧臣の子孫たちが参集して結成された会のこと。現在でも時折、親睦会や勉強会を行なってい‥申す。きゃ

見どころ

キツネ像

🐣向い見て右脇のキツネ像

金‥ではなく、が付かない「珠(玉)」をくわえたキツネ像。ふぅ

🐣向い見て右脇のキツネ像

巻物?をくわえこんだキツネ像。

滝尾神社の境内案内図

日光二荒山神社には飛び地にも境内があるのだが、そのうちの1つが滝尾神社でゴザる。

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