日光東照宮・眠り猫【国宝】
制作年
不明
推定:寛永の大造替の時(1634年・寛永11年/江戸時代初期)
大きさ(サイズ)
縦:約15㎝(背中〜足元まで)
横:約20㎝(右手〜おケツまで)
※蟇股全体は約100㎝
修繕年(大修理)
2016年(平成28年)11月
作者
不明
社伝:左 甚五郎(ひだりじんごろう)
眠り猫とは?
日光東照宮の三大彫刻の中の一つ。
三大彫刻
この眠り猫は、国宝の指定を受けているほどの彫刻でもあります。
眠り猫前に立つ説明看板に記される内容
眠猫
名工と謳われた左 甚五郎の作と伝わる。
江戸時代には正式には将軍社参の時にしか開かれなかった坂下門の前に位置し、家康公の御墓所に続く奥社参道の入り口を護る。
裏側に二羽のスズメの彫刻があるが、牡丹の花咲く下に陽の光を浴びて子猫が安眠し、スズメが戯れる様子から、強き者が弱き者を虐げることのない共存共栄の平和な世の中を表現していると考えられる。
眠り猫が見られる場所はドコや?
眠り猫は、東回廊の出入口部分の蟇股(かえるまた)に据えられた彫刻のこと。(坂下門(さかしたもん)ではない)
⬆️鼻水をかんだ途中でテッシュが切れた瞬間の焦り具合と苛立ちほど噂の‥‥「眠り猫」
ピヨ🐣「蟇股」とは?
蟇股(かえるまた)とは建築部材の一つであり、屋根の加重を支えるための構造材の一つでもありますが、ことこの眠り猫に関しては、どうやら構造材というよりは、装飾的なニュアンスで据え付けられているという感が否めない。
とりわけこの眠り猫は伝説の彫刻家と伝わる「左 甚五郎(ひだり じんごろう)」が制作したとされる彫刻ですが、本当に左 甚五郎の作品かどうかは、現代においても定かではありません。
左 甚五郎(ひだり じんごろう)とは?
江戸時代に実在したとされる伝説的な彫刻家。
左 甚五郎が彫った彫刻には魂が宿ると言われ、夜な夜な彫刻が動き出すなどの、奇怪な噂が立つほどの凄腕の彫刻家だったと言われています。
眠り猫の意味
眠り猫の裏側に雀の彫刻がある理由は恒久平和を誇示?
実は、この眠り猫の彫刻の裏側には、竹林で激しく乳繰り合う2羽の「雀(すずめ)の彫刻」が据えられています。…激しく?
しかしこれは何とも滑稽な話だと思わないだろぅか?
天敵であるはずの猫(眠り猫)の裏側に、なぜか雀(すずめ)が据えられているのか?
⬆️坂下門側から撮影。手前にスズメと奥に蜜柑の彫刻が見える。スズメの裏側が噂の‥眠り猫。
この理由は、猫が起きていれば雀は食べられてしまぅも、「猫が居眠りしていれば雀と共に共存していける」という平和の願いが込められているのだと云われ〜る。
然るに「警戒心の強い猫すらも安心して眠りに付ける世の中の到来」を意味し、さらに「天敵である猫が眠っている時にスズメが安心していられるように、弱い者も安心して過ごせる世の中である」などの深い意味合いが込められている模様💘
徳川幕府の威光と永年におよぶ繁栄祈願も込められる?
これすなわち、猫が眠りに付くほど、平和な時代が訪れたことを意味し、その前提に徳川幕府(江戸幕府)の威光と幕府統治による安寧の御代があることを強く訴えかける。
あまつさえ、徳川家の不滅を誇示しているようにも思え〜る。
猫が雀を追う図案は中国の北宋が由来?
このような猫と雀がセットで描かれる図案は、中国の北宋時代あたりが起源になると言われる。
その北宋文化が禅宗文化とともに日本へ渡来し、我が国でも猫と雀がセットになった図様が描かれるようになった。
好例を挙げると、春日大社所蔵の螺鈿を用いた日本最高傑作とされる平安時代作の「金地螺鈿毛抜形太刀(国宝)」がある。
ちょぃと、この太刀の鞘(さや)部分に注目してもらいたい。
猫が今晩のオカズとして竹林に留まる雀をに狙い目を付け、ソぉ〜っと近づいて仕留めるという残酷な絵様が見える。
‥‥と、このように春日大社の猫はスズメを追いかけるのみならず、仕留めて自らの肥やしとしているも、対して日光東照宮の眠り猫は、雀が猫の後ろ側に配置される意匠で表現されており、ここが最大の焦点になってくる。
おそらくこれは日光東照宮造営に際し、設計者が猫と雀の配置を逆にすることで「戦乱の終結」と「恒久平和」、ひいては「先君家康公の偉大な功績を称賛」を意味し、ここに東照宮ならではのギミックが凝らされているといえる。
日光東照宮にはこの眠り猫以外にも、同じ国宝の三猿を好例とし、このような無言で何かを悟らせるような秘められたメッセージを訴えかける偶像が多く散見され〜る。
眠っているフリをして薄目を開けて警戒しているとも‥
奥宮(奥社)入口にある眠り猫の彫刻は蟇股に彫られた縦寸約15㎝、横寸20㎝ほどの小さな彫刻ですが、小さいながらも実は、いつも主人(家康公)が永眠する奥社を守護しているといわれる。
ちょぃと上掲写真の眠り猫に注目いただきたい。
よく見ると目を閉じているようにも見えるが、前足は素敵に踏ん張って、いつでも飛びかかれる警戒の姿勢をとっているようにも見える。
これぞまさに主人(家康公)の墳墓に近づく妖しい者には、容赦無く飛びかかるゾ!‥‥などという警鐘を訴えかけているようにも、ふたたび素敵に思える。
そもそも猫という動物は寝ていても身を守るために常に耳を澄まし、いついかなる時でも瞬時に飛び起き、俊敏な動きで危機を回避する習性を持つ。
然るに眠ったようなスケベ目‥ではなく、薄目!!の猫を据えることによって一説に家康公を守護しているとも云われる。
まるで家康公を守っているように見えませけぃ?
この場所に眠り猫の彫刻が据えられた理由や意味とは?
まとめると、この場所に猫の彫刻が据えられる理由は、これより先は神聖な場所であるから、不浄なものはネズミ一匹たりとも通さないということを悟らせるためだとも、やっぱり素敵に考えられる。
一説に家康公自身を意味するとも
他説では、当該、眠り猫は家康公その人をモチーフにしたともいう論考もある。
この理由としては、平和なときには眠っているが、完全に眠るのではなく、薄めを開けて眠ったフリをして周囲(世の中)の様子をうかがう。
そしてここぞと言うときに攻撃をしかけて成功を手中に収める。
これぞ老獪な家康公が歩んできた苦難連続の荒波人生そのものであり、その家康公を神のごとく讃えた甚五郎渾身の傑作だったとする説とな〜る。
実は東回廊自体が「立ち入り禁止」を示した建造物だった?!
東回廊の先には、家康公が眠りにつく奥宮(奥社)があり、その手前に眠り猫の蟇股がある。
実は東回廊の出入口に据えられた彫刻を配置することで、これより先は神域であることを明示しているとも考えられてい‥申す。あひょ
2016年の修復作業で「眠り猫の目が開いた?!」
日光東照宮では「平成の大修理」が平成9年から実施され、境内の老朽化した建造物などが修理の対象となった。
この眠り猫もいよいよ2016年6月に修理する運びとなり、一旦、坂下門から取り外され‥‥2016年11月28日に坂下門に戻ってきたのだグぁ!
‥よく見ると「薄目で少し目が開けられた状態」で戻ってきたとのこと。
修理前と修理後(現在)の眠り猫を比較!
⬆️平成の大修理直後(2016年11月)の眠り猫(少し薄目が開いているようにも見える)
この目が開いているという事実は据え付けられてから1ヶ月半後に判明したとのこと。
眠り猫の目が開けられた理由
大正・昭和期に作成された図面には目の部分が黒で塗られており、それを見た彩色担当者が目の中心部分の黒さを強調し、さらに周囲を灰色で塗布したため、目が開いたようになってしまったということ。
江戸期以降、およそ50年ごとに修理が行われてきているも、近代まで一説に「眠り猫の目は主人(家康公)を守るため薄目で少し開いていた」という説があるのも事実。
しクぁし、確証があるわけではなぅい。
このため、薄目を開いた眠り猫はすぐに再修理に出され、現在はもとの姿の眠り猫が素敵に見られる。
日光東照宮の眠り猫付近の「立て看板の謎」
眠り猫の手前、東回廊の入口には看板が、やっぱり素敵に立てられてい‥申す。あひぃ
🐣看板の内容
「牡丹の花咲く下に 日の光を浴びて 子猫が転た寝しているところで 日光を現わす 絶妙の奥義を秘めている」
と書かれています。
🐣看板の内容の意味
「6月に咲き乱れる牡丹(ぼたん)の花に囲まれ、日の光を浴びて、うたた寝をしている猫の姿を彫ることで、”日の光=日光”と恒久平和を表現した」
‥‥‥などように解釈することが、ふたたび素敵にでき〜る。
東照宮境内では様々な動物の彫刻が見られるが、この眠り猫は一言で「恒久平和を象徴している彫刻」と解することができる。
「牡丹花下眠猫児」の意味と眠り猫
禅問答に「水月斎指月録(明の崔汝俊の著。禅僧の語録などを集録した書物)」に記されている「牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)」という言葉がある。
この言葉の表像となるものこそが、当該、日光東照宮の眠り猫だと云われ〜る。
ピヨ🐣「牡丹花下眠猫児」の意味
「牡丹の花の下で子猫が眠っていた。」
「しかし人の気配を感じたので、すぐさま起きて逃げた。」
「はたしてこの猫は本当に眠っていたのか?」
‥‥いかがだろぅか。
まさに終わりなき問答のように思えるも、実はこの禅問答から着想を得た左甚五郎が眠り猫を、それでも素敵に創作するに到ったとする見解もあ〜る。
「鶴」と「蜜柑」の彫刻の意味とは?
東回廊の入口からスコっと素敵に参入すると、奥の天井付近に眠り猫が据え付けられているのが分かるのだが、多くの参拝客が眠り猫に注目するあまり、東回廊入口正面にも眠り猫同様の存在意義を持った彫刻があることに気づかない。
その彫刻の一つに下掲写真に見える「鶴」や「蜜柑(みかん)」の彫刻が、パキョっと素敵に挙げられる。 ぱ、”パキョ”?
鶴の彫刻の意義
⬆️いちご新聞12月号を読んでマイメロの誕生日が1月18日だと知ったスマンのぅ‥度合いほど噂の「鶴の彫刻」(眠り猫が奥に見える)
「鶴は一千年、亀は万年」‥というコトワザもあるように鶴は長寿や永年の繁栄を意味する一方で、古来、「神の乗り物」とまでいわれる霊獣でもある。
続いて以下の彫刻にも、赤点でも素敵に決まってるわ‥級に注目してもらいとぅぁい💋 なんやソレ
蜜柑の彫刻の意義
眠り猫の背面に雀(すずめ)の彫刻があるように、鶴の彫刻の裏側には下掲写真に見られる「蜜柑(ミカン)の彫刻」が、ポピャっと素敵に据え付けられる。
⬆️チキンラーメンは硬いままでもガリガリとイケる、GOGO具合ほど噂の‥「🍊」…”GOGO具合”てなんや
ミカン(蜜柑)は古来、常世の国(とこよのくに)の果物として、シっピョリ素敵に伝わる。
「常世の国」とは、大海の水平線向こう、遥か彼方にあるとされる伝説の理想郷を指す。
ズバリ!鶴とミカンの彫刻が配置された意味とは?
鶴とミカンは霊廟からの帰りに見ることができる彫刻とだけあって、眠り猫とは少しニュアンスが異なるように思える。
たとえば次のように考えることもできる。
「鶴」
家康公への永遠の弥栄と、徳川家の永遠の繁栄を意味。
「🍊(ミカン)」
戦乱の無い、まさに「常世の国」と呼べる現世にあって、「永遠の平和」を意味する。
ところで‥眠り猫は子猫なのか?親猫なのか?
眠り猫を見る限り、親猫ではなく、生後6ヶ月〜7ヶ月の子猫である様子が、モヒャっと素敵にうかがえる。
この理由は眠り猫の足に「爪」が見えることや体毛の薄さ、なにより頭部や身体全体の骨格が根拠になってい‥申す。あひょ
とりわけ親猫が爪を立てていると表現する見方もあるらしいが、生後8ヶ月くらいまでの猫は爪が摩耗していないことから、伸びきっていても何ら不思議ではない、もしくは寝ているときに爪が見えても何ら不思議ではないということが、パっピョり素敵にいえる。
然るに上記、牡丹花下眠猫児の言葉から着想を得た左甚五郎が眠り猫を創作するみぎり、恒久平和を表現するために敢えて子猫を用いたとするのであれば、制作意図としては照応するわけであり、これは「6月の牡丹の花の下で、”子猫”もうたた寝するほどに平和な時代が訪れた」と解することもできることになる。
ええっ?!眠り猫にはオスとメスがいた?!
実はこの日光東照宮の眠り猫にオスとメスがいるとすれば腰を抜かすだろぅか?
大阪・四天王寺境内にある「通称・猫之門(もしくは四足御門/しそくごもん)」という門の上部にも、左甚五郎 作と伝わる眠り猫の蟇股(かえるまた)が見られる。
この猫は日光東照宮の眠り猫と合わせて番い(オスとメス)の眠り猫だとする見解もあり、離れた場所にありながらも正月に同時に鳴き合ったという伝承も、素敵にある。
大阪・四天王寺は大坂の陣で伽藍が焼失しするも、程なくして江戸幕府によって再建が試みられ、猫之門も再建される運びとなったが、日光東照宮と同様の眠り猫がこの門にも蟇股として用いられた。
後世の人々曰く、東照宮の眠り猫と合わせて、雌雄セットの眠り猫だったとする逸話も残る。
⬆️温水プールにて格好をつけるべく、ハッ!(息止)‥として出っ腹を引っ込め続けたが、近所のクソガキにコチョバされて元に戻ったクソバカコノヤローもぅプール行けねぇ具合ほど‥噂の「猫之門(四天王寺)」
なお、四天王寺の伽藍は太平洋戦争で灰燼に帰したため、現今に到っては、左甚五郎 作の眠り猫はもとより、門自体も1979年(昭和54年)に復元されたものになる。
⬆️ご飯にコーヒを入れて食べても案外イケる都市伝説ほど噂の‥「猫之門の眠り猫」
四天王寺の眠り猫にも役割があった?!
一説に、四天王寺の眠り猫は門の内側に奉安される経堂の経典を、ネズミから守護するために据えられたとする。
しかしながら、夜な夜な抜け出しては花街へ繰り出していたそうで、困り果てた当寺の僧侶によって金網がかけられ、このため太平洋戦争の折、逃げられなかったことから被災してしまった‥という悲しくも面白おかしぃ伝承も残る。
ところで‥なぜ眠り猫は人気があるのか?
眠った姿の猫の彫刻は珍しい
これについては実は明確な回答が出てこないらしいが、一ついえることは「眠った眠り猫」の彫刻というのは、全国の社寺を見通しても据え付けられている類例がほとんどなく、貴重とされていることが大きい。
寺社の建造物には鳳凰や龍、麒麟などの伝説上の聖獣、ほかに鶴や亀、獅子や虎などの彫刻が用いられるケースは散見されるも、猫の彫刻が用いられるケースは希少。
世界遺産の神社に眠った猫の彫刻がある
日光東照宮のような我が国を代表する世界遺産登録の神社に眠った眠り猫の彫刻があるのであれば、世間を賑わすのは必然の結果ともいえる。
来社した外国人観光客が自国で喧伝した
東照宮が世界遺産登録されたことによって連日のように海外から数多の外国人観光客が素敵に訪れるようになり、眠った姿の猫の彫刻を目の当たりにして、驚きのあまり自国にて、これまた素敵に喧伝したというのも理由に一つに挙げられるのだろぅ。
眠った姿の猫の彫刻が置かれる理由(謎)が世間を賑わす
日光東照宮境内にて陽明門の内側は御本殿が佇む心臓部ともいえる重要な場所。
その御本社脇、陽明門から連なる東回廊天井下に(眠り猫が)置かれている実態を以ってして、なんらかの重要な意義を持つ彫像であるのは言うまでもない。
その彫像が「眠った子猫」だとするのであれば、観た者は驚きを隠せず、なぜこの場所に、あえて眠った子猫の姿の彫像が置かれたのか?
謎を解き明かしたくなるのは必然といえば必然。
人とは興味が湧いた物の秘在した部分を知りたくなる性があり、他者へも打ち明けたくなるもの。
それが「万」という単位になれば世間を賑わすのも頷ける。
左甚五郎とは実在したのか?「左甚五郎の正体」
‥‥‥については下記ページを素敵に要チェック💘
眠り猫が見られる場所
眠り猫がある場所は坂下門の下に位置する、東回廊の天井近くにある。
東回廊は陽明門を向かい見て右方向に位置する。