日光山・輪王寺「大猷院廟」

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日光山・輪王寺「大猷院廟」【国宝】

日光輪王寺・大猷院廟

創建:1653年(承応2年/江戸前期)
重要文化財指定年月日:1908年8月1日
国宝指定年月日:1952年11月22日

 

大猷院・本殿

 建築様式
  • 権現造り(3棟が連なる建屋)
  • 一重裳階(もこし)付(屋根の下にもう一枚屋根を付ける造り)
  • 入母屋造(屋根付きの建屋)
屋根の造り
  • 銅瓦葺
大きさ
  • 桁行(奥行)3間(約5.5m)
  • 梁間(横幅)3間(5.5m)
大猷院・相の間

建築様式
  • 一重、両下造(りょうさげづくり)本殿と拝殿を繋ぐような造り方=「権現造り」
屋根造り
  • 銅瓦葺
大きさ
  • 桁行(奥行)3間(約5.5m)
  • 梁間(横幅)1間(約2m)
大猷院・拝殿

建築様式
  • 一重、入母屋造
大きさ
  • 桁行(奥行)7間(約12.6m)
  • 梁間(横幅)3間(約5.5m)
屋根造り
  • 正面千鳥破風付

日光山・輪王寺・大猷院の「見どころ・歴史・由来」

輪王寺・大猷院は、家光公の墓所となります。

厳密には、家光公が眠る墓所は、大猷院の奥の本堂「皇嘉門(こうかもん)」の奥に奉安されております。

「皇嘉門(こうかもん)」までの道のりは、「仁王門(におうもん)」から進み「二天門(にてんもん)」「夜叉門(やしゃもん)」と続きます。

夜叉門をクグり抜けた奥には、「本殿」「拝殿」「相の間」を抱える「輪王寺・大猷院」が建立されております。

大猷院の大きな特徴は、見る者を惹き付け魅了し虜にしてしまう圧倒的な色彩です。

そんな由来も相まって別名・「金閣殿(きんかくでん)」とも云われております。

また、権現造りの建屋の内部には、狩野派の狩野探幽作の140にも及ぶ龍の絵が天井に描かれております。

その他にも、家光公ご愛用の甲冑なども安置されております。

そもそも「大猷院」はなんて読むの?


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まず、「大猷院」の読み方は、「 大猷院( たいゆういん )」と読みます。

すなわち、大猷院廟(たいゆういんびょう)」と読みます。

「大猷院」とは、江戸幕府の3代目将軍・徳川家光が没した後に、朝廷(後光明天皇)より、下賜された「法号(死後の名前)」になります。

つまり、この「大猷院」は徳川家光に関連した建物であることが、この時点で容易に理解ができます。

「大猷院」の意味・由来

「大猷院」の「大猷」とは、古来より成長や大きく成るとの意味合いがあります。

院は、高い身分の方や多大な功績を残した方の送られる名前であり、また墓所の名前でもあります。

これらのことを合わせると、徳川家光公は多大な功績を残した、「偉大な偉人である」という意味となります。

大猷院の場所と地図

大猷院の場所と地図大猷院は、この日光山の数あるお堂の中でも、一番、奥に建立されているお堂になります。

大猷院の見学所要時間

この大猷院は、じっくりと拝観すればそれなりに所要時間がかかります。

また、大猷院の敷地には、石の階段が多く、階段を昇るためそれなりに時間がかかります。

また、その敷地自体も広いので、見学所要時間の目安としましては30分くらいです。

大猷院の建物は、見どころがたくさんありますので、30分と言わずぜひ、時間が許せるなら、じっくりと拝観してみてください。

大猷院を建立した人物

大猷院の建築様式大猷院を建立したのは、家光の次の将軍である4代目将軍「徳川家綱」です。

しかし、実際に総監督をしていたのは、家光の懐刀・「酒井忠勝(越藩の2代目藩主。後、老中・大老)」でした。

徳川家綱は家光の子供(長男)で、母親の宝樹院(お楽の方)は、この時代では稀有な農民の出身です。

しかし、この家綱は家光が若くしてこの世を去ったため、わずか11歳で4代目将軍となっています。

したがって、大猷院の建造を一手に指揮していたのは、老中の酒井忠勝であると思われます。

大猷院が、日光東照宮に建立された理由

1651年(慶安4年)に、病弱であったと云われる徳川家光は30歳を迎える前にこの世を去ることとなります。

病床の際で、家光は遺言を残します。

「私は、没した後は東照権現にお仕えする」

この遺言を聞き届けた老中・酒井忠勝は、翌年の1652年(承応元年)の2月中旬から家光の墓所の造営を始め、1653年(承応2年)4月初旬に完成させています。

後にこの墓所(霊廟)こそが、「大猷院」であり、現代にみることのできる、この「大猷院」の建築を、わずか1年ほどで成し遂げたことになります。

この工期の短さからしても、忠勝の家光に対するただならぬ、自らの息子のような思いがあったのかもしれません。

大猷院の建築様式と「大猷院・皇嘉門」【重要指定文化財】

大猷院の建築様式 (2)この上↑の写真(画像)は、「大猷院・皇嘉門(こうかもん)」になります。

この皇嘉門の奥に徳川家光公が奉安されております。

  • 創建:1653年(承応2年/江戸前期)
  • 重要文化財指定年月日:1908年8月1日

大猷院は、1651年(慶安4年)に家光公が残した御遺命により建造されました。

皇嘉門の建築様式をよくご覧ください。

日光東照宮が、白色と金色が基本色で建造されているのに対して、大猷院は、赤と金色が基本色で建造されています。

また、家光公が眠る本堂は、東照宮の方角(家康公霊廟)を向いています。

さらに、建物自体の大きさが東照宮に比べてかなり小さい建物となります。

これらのことから、察するに、初代将軍の家康公への敬意と、その忠臣たる最低限の威厳を残して造られたということを意味していると思われます。

現在、明治時代初頭に発せられた、「神仏分離の法律」により、日光輪王寺の管轄で管理されています。

もちろん、世界遺産の中にこの大猷院も含まれております。

大猷院は、東照宮より規模は小さいが、細部の造りは東照宮よりも優る

大猷院は、東照宮より規模は小さいが、細部の造りは東照宮よりも優る大猷院の建築様式は、彫刻の質や描かれている壁画や金箔の金の質なども、東照宮より優れた質のものが使用されていると云われています。

よくご覧いただければ、分かると思います。

つまり、時代の流れによる、建築の技術の進歩というのものが、この建築様式で感じ取ることができます。

初代の将軍の家康の頃よりも、家光の時代の頃の方が、建築技術や、良質の金を掘り出し、それを加工する技法なども、優れていたことが理解でき、時代の流れというものを実感することができます。

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