大猷院(日光山輪王寺)「皇嘉門」【重要文化財】

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日光山輪王寺大猷院・皇嘉門(こうかもん)【重要文化財】

大猷院の建築様式 (2)

創建年

1653年(承応2年/江戸前期)

建築様式(造り)

切妻造、銅瓦葺き

門の様式(形式)

楼門

別名

竜宮門

重要文化財指定年月日

1908年(明治41年)8月1日

読み方

皇嘉門(こうかもん)

皇嘉門とは?

皇嘉門とは、元来、平安京大内裏の外郭十二門の1つの門です。門には警護する役人が配置され、その役名を「右衛門府」と言いまする。

大きさは5間、3戸、2閣。

皇嘉門が建てらた場所は、大内裏(平安京の宮城)の南面、朱雀門の西、二条大路に面し、皇嘉門大路に向かって建つ門。




皇嘉門の「皇嘉」の名前の由来

794年(延暦13年/平安時代)、宮城経営の際、「若犬養氏(若犬甘氏)」がこれを監したことで、その若犬養氏の名前をモジり、『わかいぬかひ』が訛りを通じて『くゎうか』となり、最終的に『こうか』に着地したとみられてい‥‥‥申す。

しかしながら、当初は「若犬養門」と呼ばれていたそうな。

最終的に漢字表記の問題にさしあたり、その際に「皇嘉」という漢字がふさわしいという理由で充てがわれたことが想像につき申す。

この大猷院の皇嘉門も、かつての平安京の皇嘉門が由来となっていますが、これは家康公が永眠する日光東照宮の霊廟を守護する陽明門を引き合いに出して、同じ発想で平安京の皇嘉門を持ち出して、命名したと考えることができまする。

皇嘉門は天子(天皇)を守護するためにの門!勝手に門名を使って良いのか?

「皇嘉門」という名前は天子を守護するための門の名前なので、いくら将軍でも勝手に付けるのは恐れ多いことなのですが、これは朝廷から直々に使用を許可されたからです。

「皇嘉」の意味とは?

皇嘉の「皇」は「こう」と読む場合、「天下を領有する者」「国王」「天子」「君主」「きみ」のほか、「万物の主宰者」「上帝」などの意味をもちまする。

「すめらぎ」とも読むことができ、この場合は「天下を統治したまう天皇」という意味がゴザんす。

「嘉」は「すばらしい」「りっぱな」「優れている」「めでたい」「幸い」などの意味をもつ言葉です。

つまり「皇嘉」の意味とは、

『天下を領有する者=将軍の立派な門』という意味になり申す。

皇嘉門とは大猷院奥院(家光公墓所)の出入口を守護するなり!

すでにご承知のように徳川3代目将軍の徳川家光の霊廟は「日光山輪王寺大猷院(にっこうさんりんのうじたいゆういん)」といいまする。

この大猷院には奥院すなわち、家光公が永眠する廟所(墓所)があり、名前の通り、境内の最奥に位置します。

廟所(墓所)の手前にまるで廟所(墓所)を守護するかのに、そびえ立つ門がこの皇嘉門でゴワす。

皇嘉門の建築様式(造り)

皇嘉門は外観を竜宮形に整えた意匠を醸すために当時、明(中国)から取り寄せた真新しい建築様式をいち早く採用してい‥‥‥申す。ダァギャ

この皇嘉門は、1653年(承応2年)に造営された門で現在、国の重要文化財指定を受けてい‥‥申すドゥギャ

本を見開いて被せたような屋根の造りである「切妻造(きりつまづくり)に、銅瓦葺きを用いた楼門です。

楼門造りとは、2階建ての門でありながら、下層部に屋根のない門のことです。

腰壁を白密陀塗り

腰壁を白密陀で白色に塗り塗りとクソ塗りたくる特殊技法を用い、総体的に見てすべてを評価すると後世に伝えるべき、優れた技巧、意匠と言わざるをえない。

皇嘉門の見どころ

竜宮門

この皇嘉門をご覧になれば分かるように、下層部が中華様式に見られるような門の造りをしてい‥‥申す。

大猷院の建築様式 (2)

このように中国の明朝に見られる建築様式が採用された門であることから、別名で「竜宮門(りゅうぐうもん」とも呼ばれまする。

竜宮門と呼ばれる理由は、この門が竜宮造りの様式の門にあてはまるからです。

竜宮造りとは?

下層部を漆喰塗 り(しっくいぬり) で造り上げ、中央は大きくアーチ状に穴を開けて通路を開き、上層部は木造の軒と入母屋の屋根を乗せた門のことをいいまする。

この大猷院皇嘉門も竜宮造り門の代表格として例で挙げられることがありますが、ほかに神奈川県江の島の片瀬江ノ島駅(小田急電鉄)や、江島神社の「瑞心門」赤間神宮の水天門、長崎の崇福寺 (そうふくじ) の山門などが挙げられ‥‥‥申す。

⬆️片瀬江ノ島駅

⬆️赤間神宮の水天門




鋳抜門(いぬきもん)

皇嘉門の奥へは進むことができませんが、実はもう1つ「鋳抜門」と呼ばれる門(唐門)が建てられています。

この鋳抜門の奥にこそ、家光公が永眠する墓所(霊廟)があるのです。

そう言えば‥‥‥東照宮の家康公が永眠する墓所の前にもまったく同名の「鋳抜門」があった。

墓所(霊廟)の御宝塔

鋳抜門の奥には家光公のお骨が収められた御宝塔がそびえ立っています。

厳密には東照宮の家康公が永眠する奥社と同様で御宝塔の下にお骨が埋められているとされてい‥‥申す。

なお、東照宮の奥社は一般公開されていますが、家光公の墓所は一般公開されていません。一般が進入できるのは皇嘉門の前までです。あしからず。オホ

どうしても皇嘉門の奥が見たぃ!

皇嘉門の奥がどうなっているのか気になる方は下記ページをご覧ください。

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