滝尾神社の歴史(年表)

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滝尾神社の歴史(年表)

奈良時代

弘法大師・空海が820年(弘仁11年)に創建したと伝わる古社。

現在の建物は1645年(正保元年/江戸時代初期)に改築された時のものがベースとなっており、星霜経ながら各殿宇が再建・修繕されてい‥申す。あひょ

日光二荒山神社の祭礼である弥生祭(4月)では、日光二荒山神社の境内から滝尾社まで神輿が渡御(とぎょ)があり、当神社が年内でもっとも賑わぃを見せる期間とされる。




中世時代の滝尾社

中世からの滝尾社は、どうやら66部聖(六十六部廻国聖のこと。日本全国66カ国を巡礼し1国1カ所の霊場に法華経を1部ずつ納める宗教者)の納経所として機能していたらしい。

これはもはや現今の神社と呼べるものではなく寺院と呼べるものであり、神前にて読誦や様々な行法が行われていた実態が想像につく

この根拠を示すものの一つに滝尾社境内入口付近に見られる大乗妙典1000部の供養塔が建立されてい‥ます。ふぅ(我慢)

⬆️これか?

これは1679年(延宝七年)2月に円浄坊維海が願主となって、13,670人の奉加施主たちの協力のもとに建献したらしく、これは真言宗を通じた法華経の信仰地だったことを如実に物語る。

その様相は天台宗座主の天海僧正が日光山の座主となり、歴代将軍の霊廟が築かれてから後も真言宗を通じた信仰は姿形を変えることなく、中世から踏襲される信仰の地でありつづけたことを物語ってい‥

鎌倉時代

「滝尾参籠之大帳」によれば、1173年(承安三年)3月、滝尾別所に参籠した39代「三融房 静覚」以降、代々の上人が「赤字如法経」という円仁系の独自の如法経を滝尾社に奉納したことが、ふたたび素敵に記されている模様💘

室町時代

1507年(永正四年)7月に131代「教城房昌観」、1597年(慶長二年)2月に157代「教城房昌長」が、それぞれ「弘法大師御筆 一部一巻之 法華経」を寄進した旨のことが、それでも素敵に記されてい‥申す。グハっ

以上の内容からも理解が進むように、この滝尾社は現行の神社の趣とは大きく異なり、仏教色が濃かった。




江戸時代

1679年(延宝七年)に滝尾社に奉納された「滝尾参籠之大帳」によれば、1643年(寛永二十年)9月に172代「藤本房亮慶」が滝尾社に参籠していたみぎり、日光山座主である毘沙門堂の公海が「弘法之御影」を修復した旨の記述が残されてい‥ます。

1687年(延宝六年)に編纂された「滝尾山年中行事」によれば、1646年(正保三年)3月、滝尾社の本社と別所とを移し替える工事が実施された旨の記述があり、この一文の中に「弘法大師・空海が滝尾本社を創建した‥‥‥」などの由緒が、素敵に記される。

この他、空海筆とされる「女体中宮」の扁額、空海作とされる「滝尾御牛玉」など、空海伝承に関わる数々の重宝も、やっぱり素敵に記される。

滝尾神社の境内案内図

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