大猷院(日光山輪王寺)「鐘楼&鼓楼」【重要文化財】

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日光山輪王寺・大猷院「鐘楼&鼓楼」【重要文化財】

造営年:1653年(承応2年)

大きさ(規模):桁行2.5間、梁間2.1間、

屋根の造り:入母屋造、銅瓦葺

読み方

「鼓楼」の読み方

鼓楼は「鼓楼」と読みまする。

「鐘楼」の読み方

鐘楼は「しゅろう」と読みまする。




「鐘楼」の名前の由来と役割

この鐘楼は名前の通り、「鐘(釣り鐘)」を内部に安置する「楼閣(ろうかく)」造りの建物というとで「鐘楼」と付されています。

現在は世界遺産の指定を受けることなのか、使用はされていないようですが、往時は大猷院で執り行われる祭典の際にはこの鐘が撞かれていたようです。

東照宮にも神社でありながら鐘楼と鼓楼があるが、江戸時代は神仏混淆の時代だったので神社境内に鐘楼があるのはごく自然なものだった。

ところが神仏分離した現今、神社境内でお寺の鐘を見かける機会はごく稀。

ちなみにこの鐘、往時は実際に祭典(法要)の始まりと終わりに撞かれていたということで、半ば、喚鐘(かんしょう)のような役割を担っていたといえよぅ。クっ、きゃきゃきゃ

「鼓楼」の名前の由来と役割

この鼓楼は名前はあまり聞きなれない名前の建造物ですが、太鼓を収納しておく建物です。別名で「太鼓楼」とも呼ばれまする。

したがって、鐘楼と比較してみると撞木(しゅもく/鐘つき棒)とそれに付随する穴ボコが開けられていません。

鐘楼と鼓楼の見分け方としては、上層部の軒下の穴ボコの有無を確認すれば一目瞭然。

大法要時になると、上記、鐘楼の鐘が鳴らされるのと同時に鼓楼内の太鼓も打ち鳴らされ、法要が斎行されています。

どっちが鐘楼でどっちが鼓楼?

夜叉門を正面に見て、右側にあるのが鐘楼、左側が鼓楼。

見分け方としては鐘撞き棒が見える方が鐘楼。ないのが鼓楼。

大猷院・鐘楼&鼓楼の歴史

大猷院の鐘楼と鼓楼は1653年(承応2年)に造営されたときのものです。

大猷院は1651年(慶安4年)に2代将軍・家光公が逝去した後、家光公の遺言により、当地に造営されてい‥‥‥申す。ギャハっ

家光公は臨終の際、「死後に至ってはこの魂、日光山中に鎮まりて東照公のお側近くに侍り仕えまつらん」との遺言を残していまする。

大猷院は驚くべき速さで完工を迎えた

大猷院はわずか1年と2ヶ月あまりで完工しており、これは東照宮の約2年と比較してみても驚くべき速さです。

この鐘楼&鼓楼も世界遺産「日光の社寺」に登録を受ける建造物の1つであり、世界文化遺産ならびに、国の重要文化財の指定を受けていまする。

大猷院・鐘楼&鼓楼の特徴

袴腰

袴(はかま)の腰にあたる部分に姿形が似ていることから、「袴腰」と呼ばれてい‥‥‥申す。ガハっ

つまり、腰から裾(地面)にかけて末広がりの形状をしています。

これは向かいの鐘楼も同じ意匠なので両者にさして違いはなぅぁぃ。腹減った‥‥




鐘楼&鼓楼の周囲に見える灯籠群

鐘楼&鼓楼の周囲には無数の銅灯籠などが見えますが、総計でおよそ33対66数基。すべて10万石以上の諸大名たちから奉納された灯籠です。

灯籠のほとんどは唐銅製(からかねせい)。

石燈籠を含めると315基にものぼる。

注意点

大猷院は有料です。拝観料金が必要になりまする。

大猷院境内入口には拝観受付が設けられているため、残念無念ながら拝観料金を支払う必要がありまする。

大猷院・鐘楼&鼓楼の場所(地図)

この鐘楼&鼓楼は大猷院境内の入口ではなく、境内中ほどにあります。奥には夜叉門、手前には二天門が建ちます。

 

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