皇嘉門をくぐった先は一般は立ち入り禁止となっていますが、ちょぃと皇嘉門の先がどうなっているのか?
知りたくありやせんかぃ?
このページではちょぃと大猷院の奥院の様子を紹介してい‥‥申す。クポっ …モーグリ?
以下、画像提供:日光市
大猷院「奥院」の地図
皇嘉門から先が大猷院の「奥院」と呼ばれるエリアになる。
東照宮で例えると「坂下門(さかしたもん)」から先が奥院に相当する。
奥院「宝蔵」【重要文化財】【栃木県指定文化財】
大きさ:桁行一間、梁間一間
建築様式(造り):寄棟、一重
屋根の造り:宝形造、銅瓦葺
材質:銅包
重文指定年月日:1944年9月5日
概要
大猷院は元禄3年に大修繕が実施されていまする。
その際の詳細を書き記した工事記録がどうなっているのかは定かではありんせんが、昭和43年に「重要文化財修理工事報告書」なるものが刊行されていることから、この奥院では拝殿と宝蔵が経年劣化に伴う簡易修繕された可能性がありまする。
大猷院の宝蔵も東照宮奥院の宝蔵と同様、黒漆のコーティングが施された銅で全体が覆われたような造りをしている。
あくまでも写真を初見しただけの判断だが、規模的には東照宮の宝蔵よりも小ぶりという感はある。
奥院「拝殿」【重要文化財】【栃木県指定文化財】
大きさ:五間×二間
建築様式(造り):入母屋造、前後軒唐破風付き
屋根の造り:銅瓦葺
重文指定年月日:1908年8月1日
概要
拝殿も規模的には東照宮と同様、黒漆塗りで全体を塗り込み、桟唐戸、蔀戸を四辺に用いるなど重厚な造りは東照宮と並ぶ。しかし細部の繊細緻密な彫刻や飾り金具などの装飾は東照宮以上と見える。
例えば、東照宮では柱や梁など部材は胡粉塗りを用いて白色で統一されるのに対し、大猷院では柱や梁などに金箔押しの意匠が見え、すなわち格段に金細工の技術が向上したことを意味する。
なお、大猷院の建築がキッカケとなったのかは定かではないが、江戸時代中期以降になると金細工を多用した仏壇づくりが盛んになっている。
奥院「鋳抜門」【重要文化財】【栃木県指定文化財】
造営年:1653年
様式:一間一戸平唐門
材質:銅製
重文指定年月日:1908年8月1日
概要
やはり大猷院にも東照宮と同様、鋳抜門(いぬきもん)がありまする。
鋳銅製ということから東照宮と似たような門が想像につくが、上掲写真を見ると門としての形は同系統だが、大きく異なるのが門の格子の中に金細工された梵字(ぼんじ)のレリーフが据えられているという点。
それと、東照宮の鋳抜門には「蜃(しん)」という蕨手(わらびて)のような形状の霊獣が据え付けられていたが、大猷院の方にはそれが見られない。
奥院「宝塔」【重要文化財】【栃木県指定文化財】
様式:多宝塔
材質:青銅製鋳造
重文指定年月日:1908年8月1日
概要
宝塔は東照宮と同様の様式で造られており、鋳銅、円柱の胴回り、擬宝珠が据え付けられた方形造りの形状、六角形の石段など両者を比較して見ても遜色が見られない。
ただ、東照宮の奥院には宝塔のそばに杉の木がそびえるなど、もっと自然に囲まれた自然と共生しているという感がある。