日光東照宮・三神庫の中でも特に注目すべきは「上神庫」です。上神庫だけは上述のとおり、内部に収納されている物も他の2つと異なり「神宝類」となります。
そんなこともあってか、上神庫の妻側(横側)の屋根下の部分には「2つの目を惹く彫刻」が施されています。1つは左側の彫刻で、これは東照宮を守護する「象(ぞう)」の彫刻があります。
もつ1つは向かい合う形で、その右側に彫られている同じく「象」の彫刻です。
これら2つの像の彫刻こそが日光東照宮が世界に誇る「想像の象(そうぞうのぞう)」と呼称される彫刻です。
「想像の象」の名前の由来
作者として下絵を描いたのは狩野派の巨匠「狩野探幽(かのうたんゆう)」ですが、実のところ探幽はこの象の下絵を描く段階で象を一度も見たことがなかったようです。
日本に象がはじめて渡来したのが、室町幕府4代目の足利義持が将軍の時と云われます。
以来、江戸時代の人々が象を見たのは1729年(享保14年)の8代目の吉宗さんになってからのことであり、すなわち、この想像の象の制作時に至るまで象を見た者は皆無ということになりまする。
ちなみにこの時の象は、中国の貿易商「鄭大成」がベトナムから長崎へ牡牝(オスメス)2頭の象を運んできます。
その後、一旦、京へ連れ出され、中御門天皇の御前で拝し、次に箱根を経て江戸の将軍様のお膝元まで運ばれていったのです。
最終的には時の将軍・吉宗さんの命により、浜御殿内(現在の浜離宮庭園)に設けられた象小屋にて飼育されています。
以上、長くなり申したが、つまりは狩野探幽の頭の中でイメージした象を表現した象ということで「想像の象」と呼ばれてい‥‥申す。
象の彫り物を望遠鏡などで見れば分かりますが、実際の象とは大きく異なり、架空の生物そのものですが、象に見えなくもありんせん。
特に右側に表現された象は実際の象というよりはマンモスに似ています。
狩野探幽はおそらく象を描く時、できるだけ忠実に象を書こうと、象に関するあらゆる資料を日本中から取り寄せたハズです。その中に上述の足利時代にやってきた象の画像などが残っていたのかもしれません。
想像の象の外観
牙は金色、体表は毛むくじゃらで、耳にピアスにような金具が付けています。大きく異なる点が尾っポが3本あることです。
また体色が白色と黒色の2頭の象が向かい合うような構図で据えられています。
ただ、この像の顔‥。ジぃ〜っと見つめていると、何だかものスんゴイ悪いことを企んでいそうな、越後屋とお代官様のような顔立ちにみえてきます。
↑右側の像(体表が毛むくじゃら)「そちも悪よのぅ。ふぉっふぉっふぉっ」
↑左側の像(尾っぽが3本ある)。体表が白色。「いぇいぇ、おデぇ官様のクソ性悪には及びま・・ヒィぇ~!ウヒョ~!」
ちなみにこの想像の象は「三猿」「眠り猫」と並んで、日光東照宮の代表的な「3彫刻の1つ」とも言われています。
狩野探幽が「象」を敢えて彫った理由
上述のとおり、江戸時代の上神庫は「御宝蔵(ごほうぞう)」とも呼ばれていました。
つまり御宝蔵の”蔵(ぞう)”と”像(ぞう)”の語呂を合わせて「象」を選んだとも云われます。
日光東照宮・想像の象の場所(地図)
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