日光東照宮 「鳴き龍(薬師堂)」の由来・意味・伝説・歴史

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日光東照宮 「鳴き龍(薬師堂)」の由来・意味・伝説・歴史

日光東照宮には「眠り猫」と同じぐらい見逃せない場所があります。

それは、天井に龍が描かれている「薬師堂(本地堂)」です。

日光東照宮・薬師堂(本地堂)および天井画「鳴き龍」【重要文化財】

日光東照宮 「鳴き龍(薬師堂)」の由来・意味・伝説・歴史↑鳴き龍

↑薬師堂(本地堂)

創建年

1636年(寛永13年/江戸前期)

再建年(修繕)

2013年(平成25年)

建築様式

一重入母屋造

屋根の造り

銅瓦葺

大きさ

桁行七間(奥行:約14m)
梁間五間(横幅:約10m)
向拝三間(前面庇:約6m)

薬師堂の読み方

日光東照宮の境内には、難しい漢字の表記で読みにくい名前の殿舎がありますが、薬師堂は「やくしどう」と読みます。

また別名でこの薬師堂は「本地堂」とも呼称され「ほんちどう」と読みます。

「本地堂」「薬師堂」の名前の由来

乱世を終わらせ100年の平和を築いた家康公は、後世、薬師如来の生まれ変わりと信じられるようになりました。

この本地堂は、その家康公の姿を具現化させた本地仏「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」をご本尊に据え、祭祀していることから「薬師堂」もしくは「本地堂」と呼称されています。

「本地堂」「薬師堂」の歴史・由来

寛永の大造替の時に建てられた日光東照宮の中でも最大規模の建物で、「総漆塗極彩色」豊かな華麗な建築物です。

そして、この「薬師堂(本地堂)」は、重要文化財の指定を受けています

薬師堂は神社である日光東照宮内にあるのですが、神仏分離令によって、輪王寺と日光東照宮が切り離されてしまい、輪王寺の管轄になってしまったため寺院としての扱いになっています。

「薬師堂の鳴き龍」

この薬師堂の、縦6m、横15mの巨大なヒノキ板が34枚もはめ込まれた天井には、狩野派の「狩野永真安信(かのう えいしん やすのぶ)」によって描かれた8mの龍の水墨画があります。

この龍こそが「薬師堂の鳴き龍」と呼ばれている龍の絵です。

 狩野永真安信(かのう えいしん やすのぶ)とは?

江戸時代の狩野派の絵師。画家としての異色の才を放つ狩野派の中でも、駄作が多く、特に才能が劣るとして後世まで語り継がれている人物です。

しかし、薬師堂の「鳴き龍」を見る限りでは、それが迷信であることが、容易に理解できます。

薬師堂の「鳴き龍」が別名で「鈴鳴龍」と呼称される理由とは?【音声・動画付き】

龍の顔の下で拍子を打つとカーンと音が鳴ったあと音が共鳴し、鈴を転がしているような龍の鳴き声に聞こえるため、「鳴き龍」または「鈴鳴龍」と呼ばれているそうです。

拍子を鳴らす場所、顔から離れた場所によっては音が共鳴せず、全く鳴かない場合もあります。

薬師堂の龍の絵が「鳴き龍」・「鈴鳴龍」と呼称されるに至った歴史

実は、1905年ごろ、天井に住みついた鳩を追い出すために、手を叩いた時に龍が鳴いているような現象が発見されて、「鳴き龍」と広まったと言われています。

なお、薬師堂は1961年(昭和36年)に火災によって焼失してしまったため、現在の建物は再建された物です。この時、狩野永真安信によって描かれた龍も焼けてしまったため、現在の鳴き龍は日本画の巨匠・堅山南風(かたやま なんぷう)によって復元されたものです。

薬師堂の鳴き龍を見たあとは、「鈴鳴龍守」を購入するのもいいかもしれません。

穴があいていないのに君の瞳のようにキレイな音色がする鈴です。

色も青や緑、白や桃色もあるので選ぶのも楽しいですね。ウフ

 

鈴鳴龍守を始め、日光東照宮で購入できるお守りの一覧は、当サイトの以下のページ↓でご紹介しています!

日光東照宮のお守りの種類と値段(価格)と効果(ご利益)

日光東照宮・鳴き龍(薬師堂)の場所

陽明門を向かい見て左脇の最奥、鼓楼と陽明門の回廊の間を進んだ先に位置します。薬師堂(本地堂)の正面には「鳴き龍」と大きく看板が出ています。

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