日光山輪王寺「開山堂」【重要文化財】【世界遺産】

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日光山輪王寺「開山堂」【重要文化財】【世界遺産】

⬆️左:観音堂(香車堂)右:開山堂

  • 再建年:1720年(享保5年)
  • 区分:国指定重要文化財
  • 大きさ:6間5尺(12.3m)

開山堂の「開山」とは?

開山とは「山を開いて寺を建てる」という意味がありまする。

寺には山号と呼ばれるものがあり、たとえば輪王寺の場合、「日光山」というの山号で輪王寺というのが寺号になりまする。

それゆえ、正式名称としては「日光山輪王寺」です。




開山堂の役割

輪王寺の開山、すなわち最初に輪王寺を建てた人物は「勝道上人」です。

それゆえ、この開山堂では、輪王寺の開山であり、この日光山自体を開山して栄えさせた勝道上人の御霊が祀られてい‥‥‥申す。グヘっ

この開山堂の後方には「仏岩」があることから、古くからこの場所一帯は「仏岩谷」とも呼ばれまする。

または勝道上人はこの場所を「離怖畏所(りふいしょ)」と呼び、神聖視してい‥‥申す。ゴハっ

「離怖畏」とは、「離怖畏如来」に代表されるように、『すべての恐怖心や不安を排除する』などの意味合いがありまする。

開山堂堂内に安置される仏像一覧

開山堂の御本尊「地蔵菩薩像」

⬆️開山堂内部の様子(盆供/7月13日の様子)

  • 造立年:不明(寺伝では室町時代)
  • 像高:約1.3メートル

この開山堂の堂内には須弥壇(しゅみだん/豪華な台)の上に厨子(ずし/豪華な入れ物)が置かれ、その上部に地蔵菩薩像が奉安されているのですが、地蔵菩薩は開山した勝道上人の本地仏(ほんじぶつ)とされる仏様です。

本地仏とは、およそ鎌倉時代に誕生した本地垂迹(ほんじすいじゃく)の教理に基づいた考えた方であり思想です。

本地垂迹とは、日本全国に宿る八百万の神々は仏が人々を救済するために神の姿で現れる(もしくはその逆で神が人々を救済するために仏の姿で‥‥‥)という教理であり思想です。

この本地垂迹の教理に基づけば、開山・勝道上人の本地仏は地蔵菩薩とされてい‥‥‥申す。グガっ

勝道上人坐像

  • 造立年:不明
  • 像高:約1.3メートル

地蔵菩薩は錫杖(しゃくじょう/先に錫製の輪が付いた杖)を持物として手持った坐像姿の勝道上人が安置れてい‥‥‥申す。ゴフっ

錫杖は時代劇などの映画でも登場する山伏が手持つ杖として有名です。おそらく山に草庵を結んだ勝道上人も同じ人なので害を為すモノから身を守る術として錫杖を携持していたのでしょう。

この杖の利益・役割としては、揺すればチャリンっ♪という音が鳴り、音をさせることで蛇や猛禽類(ワシ・トンビなど)から身を守る道具にもなりまする。

勝道上人の十大弟子の木像

御本尊である地蔵菩薩像の左右両脇には勝道上人の十大弟子とされる方々の木像も安置されてい‥‥‥申す。ゲホっ

開山堂の建築様式(造り)

  • 唐様の重層宝形造り
  • 総弁柄朱漆塗り
  • 堂内の規模(大きさ):間口、奥行きとも6間5尺(12.3m)
  • 堂内の床:石畳

現在の開山堂の堂舎は1720年(享保5年)頃の造営とされており、国指定の重要文化財、ならびに日光の社寺が指定を受ける「世界文化遺産」にも含まれてい‥‥‥申す。ゲハっ

開山堂の見どころ

扁額(へんがく)

開山堂の内部、上記、勝道上人像が安置された頭上には「開先院(かいせんいん)」と書かれた扁額が吊られているのですが、これは日光山輪王寺第59世「公遵入道」法親王(こうじゅんにゅうどう)の揮毫による(書いた文字)ものです。

開先院とは、輪王寺第59世「公遵」その人のことであり、つまり自らの名前を揮毫(きごう/書き記した)したことになりまする。

公遵は、中御門天皇の第2皇子という、皇族でもありまする。皇族が寺の住職、いわばトップにいるので、この当時の輪王寺は絶大な権威をもっていたのです。

仏岩

開山堂の堂舎の裏側には、通称「仏岩」と呼ばれる断崖絶壁がみえまする。

この崖の下に目をやると、おやおや6躯(体)の石像が安置されているでは、オジャらぬか。オホっ

これら6体の石像は「六部天」と呼ばれる天部の神でもありまする。

勝道上人が臨終の際に訪れたのが開山堂が建つ「仏岩谷」

日光山の開祖「勝道上人(しょうどうしょうにん)」は817年(弘仁8年)に遷化(せんげ/死去)しまする。

その後、荼毘(火葬)をした場所が、現在も開山堂がある仏岩谷とされてい‥‥‥申す。グハっ




開山会

開山堂を含めたこの場所を包括管理する輪王寺では、勝道上人の命日にあたる4月1日(旧暦3月1日)が訪れると、この開山堂の堂内にて御祥忌法要「開山会」を執り行なってい‥‥‥申す。ガフっ

勝道上人の墓所(五輪塔)

同じく、開山堂の堂舎の裏側にはもう1つ、石造りの「五輪塔」が立っていますが、これこそが開山・「勝道上人」が永眠する墳墓となる場所です。

観音堂

この開山堂を向かい見て左脇には「観音堂」という堂舎もありまする。

開山堂より規模が小さいので開山堂の付属の堂かと思っちまぅのですが、そうではなく、この堂も列記とした「日光の社寺」の世界遺産に含まれる堂の1つです。

この堂をご覧になれば分かるように仏前に将棋の駒が奉納されているという風変わりな由緒をもつ堂でもありまする。

詳細は下記ページにて。

地蔵堂と陰刻された石灯籠

地蔵堂‥?

当地に地蔵堂が建っていた事実や「地蔵堂」なる堂がある事実など調べたが出てこなんだ。

おそらく当地近辺に地蔵堂が建っていて、その常夜燈(灯籠)だったのだろぅ。

この開山堂が建つ場所周辺には輪王寺の支院や、小さな寺院が数多に建っていたらしい。

開山堂は中に入って堂内を見れる?

開山堂は通常非公開。(不定期で一般公開されることがあるらしい。詳細は輪王寺公式サイトにて要確認💘)

開山堂の案内看板の内容

看板の説明書き

堂内には、約4.5米の地蔵菩薩および日光開祖「勝道上人」とその十大弟子の木像が安置されている。

上人は弘仁8年(817年)に83歳で亡くなり、この地に葬られた。

毎年4月1日に開山会が執行される。

間口、奥行きとも六間五尺(12.3米)の重層宝形造り、日光山第五59世「公遵法親王」が揮毫した「開先院」の額が掲げられている。

開山堂のオススメの巡り方

この開山堂は東照宮の美術館から直進する形で1本の山道を歩いた先にありまする。

実はこの開山堂を含めたこの山道は「日光史跡探勝路(滝尾神社コース)」というものに含まれています。

この史跡探勝路を巡ることで日光山内に点在する堂や社が巡拝できるようになってい‥‥申す。

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