楼門【重要文化財】|滝尾神社

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楼門【重要文化財】|滝尾神社

  • 創建年(再建年):1697年(元禄10年)
  • 建築様式(造り):重曹入母屋造(じゅうそういりもやづくり)、総漆塗り

滝尾社は日光三社権現の一翼を担っていたことから、モロに神仏習合の影響を受けていた‥‥‥というより信仰の中心的存在だった。

それゆえ、滝尾社を象徴する表玄関ともなるこの楼門は重要視され、神仏分離(1871年(明治4年))以前までは、弘法大師・空海が揮毫したとされる「女體中宮(女体中宮)」の額が掲げられいたとされ、門両脇の間口には仁王像が安置されていたという。

「女体中宮」とは、この滝尾社が日光三神(下記の表参照)の1柱とされ、はたまた日光・女峰山の神とも例えられる「田心姫命」を奉斎することから、「女体」の名前が付された

「中宮」とは妃もしくは皇后などの意味合いをもち、はたまた本社(本宮)と奥社(奥宮)との間に位置する神社を「中宮」ともいうことから、この滝尾社に大師は「中宮」と敬称を込めて命名したのであろぅ。

日光山縁起に登場する神々一覧
日光三山日光三社権現日光三所権現日光三所権現本地仏(三仏)日光三神
女峰山(※母)滝尾権現女体権現阿弥陀如来田心姫命(母神)
二荒山(男体山)(※父)新宮権現(二荒山神社)男体権現千手観音大巳貴命(父神)
太郎山(※子)本宮権現(太郎権現)太郎大明神馬頭観音味耜高彦根命(子神)

※滝尾権現、新宮権現、本宮権現は、明治初年の神仏分離により、滝尾神社、日光二荒山神社、本宮神社へと置き換えられています。




建築様式

門全体に弁柄漆を用いた造り。門の間口は三つ(三間)、屋根は入母屋造で瓦は銅瓦葺き。上層に和様高欄をまわし、その腰と最上部に三手先の出組を据える。(四隅にのみ連三斗を用いる)

上・下層の中備に和様疎組を用い、間斗束、その上部に双斗を置く

垂木組みは二軒繁垂木。⬆️中央間口上部には和様板蟇股とその上に双斗が見える。

案内看板の内容

重要文化財『重層入母屋造総漆塗り元禄10年(江戸時代1697年)に移転新築された。それ以前は正面参道石段を登った付近にあり、おなじくらいの門であった 江戸建築の重厚な建物である』

この看板の内容からするに1697年以前は現在の運試しの鳥居をくぐって1分くらいの場所に立っていたのだろぅ。うきゃ

滝尾神社の境内案内図

日光二荒山神社には飛び地にも境内があるのだが、そのうちの1つが滝尾神社でゴザる。

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