日光山輪王寺の歴史(年表)

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かつて日光山輪王寺には武器を持った精強な僧兵がたくさんいた?!!

日光山輪王寺には、武器を持った精強な僧兵がたくさんいた?!!

これはあまり知られてはいないようなのですが、輪王寺には戦国期、武器を持って甲冑を装備したたくさん僧侶の兵士、つまり「僧兵」がいたそうです。

僧兵は、僧侶がそのまま坊官として兵士になる者をいましたが、主にこの時代の僧兵はお寺が雇った傭兵という類のものであったと位置づけられています。

戦国期には天皇や将軍の権威が失墜し、法や秩序がなかったので、自らの身は自らで守る必要がありました。

このため輪王寺もお堂や境内といった輪王寺のあり方と、領地を守るために武器を取って守るための戦いを行う必要がありました。

日光山・輪王寺の歴史(年表)

できごと
766年「勝道上人」によって四本龍寺が建立されます。
848年「円仁」の代の時に「天台宗」に宗派が変わり「三仏堂」「常行堂」「法華堂」が建てられます。
この後、輪王寺を含めた日光山は関東の霊場として、関東の豪族たちから信仰と保護を受けます。
戦国期には、多数の「造兵(兵器・僧兵)集団」を持つ「一大領主」にまでなったそうです。
しかし、戦国時代に入ると日光山は地方の豪族の争いに巻き込まれます。
1590年太閤秀吉の小田原征伐の時には、日光山の「忽政所・壬生氏」が造兵とともに北条側に付いたことで、秀吉の怒りを買ってしまい、日光山領66郷、18万石を没収され、一時衰退してしまいます。
1617年徳川家康の遺言により日光東照社が造営される。
1634年3代将軍・家光公の発願で南光坊天海の主導により、日光東照社の大造営がされる。
大造営された後は、日光は徳川将軍の祖を祀る霊地として幕府からの手厚い保護を受け、隆盛したと言われています。

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