実は日光東照宮には、あまり注目されていない「都市伝説」があるのです。
この都市伝説は、あまりにも内容が壮絶で現実味を帯びており、このことが噂となってテレビの某人気番組でも取り上げられたことがあります。
そのテレビの番組名とは「徳川埋蔵金のありかの真実」と言う名の番組名です。
徳川埋蔵金は「豊臣埋蔵金」から始まっていた?!ケタ違いの豊臣埋蔵金伝説とは?
徳川政権の前の政権と言えば、豊臣秀吉が主役となった豊臣政権です。
豊臣秀吉は莫大な金銀を採掘していることでも有名で、その資産価値は徳川埋蔵金の金額をケタ違いに凌ぐとまで言われています。
そして一説によると、その額は、現在の紙幣価値になおすと・・なんと!
200兆円にものぼるそうです。
実は、秀吉の生前時代から、家康は、密かに豊臣家の資産を調査していたと言います。
やがて秀吉が没したのち、家康は豊臣家の資産に、手を伸ばしはじめます。
家康は、秀吉の去った豊臣家に無理難題を言いかけ、豊臣家の財産を徐々に利用しました。
すなわち、この頃から家康は、自らの財布の紐を緩めることはなく、そのほとんどを豊臣家の財産で補ったといいます。
そして、その後に勃発した関ヶ原の戦いにおいて、家康は見事、勝利を治め、天下人となります。
天下をとった家康は、家臣や協力してくれた大名たちに恩賞を与えることが急務でした。
そこで家康がまず目に付けたのが、秀吉の埋蔵金であったと言います。
その後、実際に家康が豊臣秀吉が残したとされる「200兆円」もの埋蔵金を手に入れたのかは不明です。
しかし、もしも家康が秀吉の残した豊臣埋蔵金を手に入れていたとしたら、その莫大な埋蔵金が、まだ必ずどこかに眠っているハズなのです。
徳川埋蔵金は、やはり本当に実在した!!徳川埋蔵金は、現在のお金で3800億円!!
徳川家康が残した埋蔵金は、一説では想定で400万両、現在の価値で3800億と云われています。
そして、その埋蔵金が、どこに隠されているかが話題を呼んでいます。
都市伝説によると、すでにこの埋蔵金のありかは判明されているらしいのです。
埋蔵金の隠し方には特徴があり、3カ所に分けて埋蔵されていると言われています。
そのうちの2カ所はダミーとされていて、少額の埋蔵金が隠されており、残りの1カ所に、徳川埋蔵金が隠されていると言います。
しかし、埋蔵金の調査には、莫大な資金が必要であるのと、埋蔵金の場所を特定してもアチラこちらと簡単に掘れるワケではありません。
したがって現在でも、いまだ謎と言うヴェールに包まれたままになっています。
驚愕の真実!わらべ歌で知られる「かごめ、かごめ♪」が徳川埋蔵金のありかを示していた!!
実は、わらべ歌の「かごめかごめ」の中で、徳川埋蔵金のありかを歌っているという説があるのです。
この歌は、江戸時代の初頭には、すでに一般的に歌われていたらしく、江戸時代の文献にもその記録が残っていると言います。
そして、以下の歌詞は、あなたもよく知っている「かごめかごめ」の歌詞の一部です。
以下に↓ご注目ください。
「か~ごめ、か~ごめ、(カァ!) か~ごのな~かのぉ、とぉりぃ~は、(カァ!)い~つ、い~つ、出ぇや~る(カァ!)」
「よあ~け~のば~んに、(ほぃ!)つ~ると、か~めがす~べぇ~た、(ふぅ) 後ろの正面だぁ~れぇ(カァ!..カツ丼食べたい)」
これは「かごめかごめの歌詞」なのですが、この中に答えがあると言われています。
では、この「かごめ、かごめ」の歌を、もう少し詳しく見てみましょう。
実は、この歌は「陰と陽を示している」と言います。
さらに以下のような意味合いになると言います。
「籠の中」「出やる」とは、「とらわれの身」と「開放」
「夜明け」「晩」は、「昼と夜」
「鶴」と「亀」は、「天と地」
「出る」と「滑る」は、「成功と失敗」
「後ろ」と「正面」は、「徳川家の成功と失敗」
「かごめ」は「六芒星」を意味
つまり、これらの歌の中の歌詞が指し示す意味をまとめてみると、以下のような事実が浮かび上がってきます。
徳川幕府が建てた主な寺院を、六芒星で結ぶと、その中心に「日光東照宮」がくる。
そうなると「籠の中の鳥」は「日光東照宮の鳥居」を指している。
さらに「夜明けの晩に 鶴と亀が滑った」という箇所は、日光東照宮には、たしかに鶴と亀の像があります。
そして、「夜明けの晩」を「朝方」として言いかえて考えていくと・・
「日光東照宮の”鶴・亀の像”が朝日を浴びて、できたの影の延長線上の交点の地下に何かが眠っている」
と、言う解釈が可能になります。
真実かどうかは明らかではありませんが、とても興味深い話です。