日光二荒山神社・化灯籠(唐銅燈篭)【重要文化財】
制作年
- 不明
- 推定:1292年(正応5年/鎌倉時代)
大きさ
- 高さ:約2.3m
造り
- 六角形唐燈籠
材質
- 銅製
重要文化財指定年月日
- 1914年(大正3年)8月25日
発願者
- 不明
- 推定:鹿沼権三郎入道教阿
作者
- 三村六郎守季(大工)
「化燈籠」の読み方
化燈籠は「ばけとうろう」と読みます。
「化燈籠」には正式名があった?!
化燈籠は正式名は「唐銅燈籠」です。
ところで・・化燈籠とは??「化け燈籠の名前の由来」
二荒山神社の本社脇には鎌倉時代に寄進された唐銅燈籠があります。
唐銅は「からかね」または「とうどう」と読み、これは唐から伝わった「青銅(せいどう)」のことです。
二荒山神社には、この燈籠にまつわる「お化け話のような物語」が伝わっており、今では「化燈籠(ばけとうろう)」の通称で知られるようになっています。
日光二荒山神社・化燈籠の歴史・名前の由来と理由
この化燈籠の名前の由来の理由には、いくつかのバリエーションがあるようですが、以下のような現象が起こることで有名です。
- 火を灯そうとしてもすぐに油がなくなって何度やっても火が点かない
- 火を灯すと、不思議な形に変化する
- 火を灯すと、周囲のものが二重に見える
・・などの現象が起こり、神社を警護していた武士たちが怖がり怪しんで、毎晩のように燈籠を刀で切り付けたそうです。
するとなぁんと!摩訶不思議な事に現象はスッキリ収まったと云われています。
この現象の理由として「燈籠の油を舐め(なめ)に来たムササビなどの小動物と錯覚した」という説もあります。
このような話を耳にすると「武士たる者が小動物をお化けと見間違え、銅製の硬い燈籠を大切な刀で何度も切り付けるなど情けない!」などとも思ってしまいます。
しかし現代よりも不思議な現象や能力が信じられていた時代で、更に神社の夜ともなれば真っ暗でしょうから、武士の動揺も当然のことだったかもしれません。
化け燈籠の刀傷の数
この燈籠には、なんと!70か所以上の刀で切られた跡がついています。
何度も痛い思いをしたこの唐銅燈籠も、現在では朱色の丹塗りの覆屋と木柵で守られて、さぞかし安らかな日々を送っていることでしょう。
化け燈籠の造り
この化け灯籠は「銅製の燈籠」で制作は鎌倉時代と伝わっています。
燈籠の基礎部分の形状は六角形で制作されており、火袋(ひぶくろ/火を灯す部分)の部分は格子窓で覆われています。
笠部分も六角形で頂には宝珠が乗っています。
竿の刻銘
ちょっと化け灯籠の竿の部分に注目してみてください。この竿の部分には「願主」いわゆる奉納した人物の名前と、奉納した年月日が刻まれています。
「正応五年(一二九二)壬辰三月一日 願主 鹿沼権三郎入道教阿 井清原氏女敬白 大工常陸国三村六郎守季」
この刻銘によると「正応5年3月1日」「願主 鹿沼権三郎入道教阿」の文字が見えます。
さらにその左側を見てみれば「大工 常陸国 三村六郎守季」の文字も見えます。
この刻銘が真実だとするのであれば、この灯籠が鎌倉時代の正応5年3月1日に鹿沼権三郎入道によって日光二荒山神社へ奉納されたことになります。
鹿沼権三郎と言えば、下野国上都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)に「坂田山城(のちの鹿沼城)」という城を建てたことで知られています。(現在は廃城のため現存せず)
ただ、この燈籠の作者は不明と言うことになっているようですが、上記の刻銘によると、当時の「鹿沼城(栃木県鹿沼市御殿山)の城主・鹿沼権三郎入道教阿」が発願し、燈籠を制作したのが「茨城県(常陸国)の大工・三村六郎守季」と言う人物であることが分かります。
そして燈籠の完成後、1292年(正応5年)3月1日に日光二荒山神社へ奉納されたことになります。
ちなみに、このような刻銘は後の時代において第三者によって刻まれた可能性も示唆されることから、決定的な時代判定の証拠にはならないこともあります。
日光二荒山神社・化け燈籠の場所(地図)
日光二荒山神社・化け燈籠は神苑の受付を入って右手に位置します。神輿舎の前にあります。
⬆️の地図で見れば拝観料を支払ってわざわざ神苑に入らなくても、本殿や拝殿から回り込んで行けそうな気がしますが、実際、現地に行かれれたらお分かりになりますが、神苑からしか行くことができんせん。