日光東照宮・御水屋(手水舎/水盤舎)【重要文化財】
創建年
- 水盤:1618年(元和4年/江戸時代前期)
- 御水屋:1636年(寛永13年/江戸時代前期)
建築様式(造り)
- 十二脚唐破風造
- 妻入
大きさ
- 桁行一間(奥行:約2メートル)
- 梁間一間(横幅:約2メートル)
屋根の造り
- 銅瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1908年(明治41年)8月1日
日光東照宮・御水屋(手水舎)の読み方
御水屋は「御水屋(おみずや)」と読みます。
また「手水舎」とは「てみずや・ちょうずや」と読みます。
意味合いはいずれも同じです。
日光東照宮・御水屋(手水舎)の歴史
日光東照宮の御水屋の水盤(手水鉢)は1618年(元和4年)に九州の佐賀藩主(35万石)・鍋島勝茂(なべしまかつしげ)によって「徳川家康公3回忌」を記念して奉納されたものです。
ちなみにこのような手水舎(御水屋)は古来から日本の社寺の境内に存在した訳ではなく、割と近代に差し掛かってから造営され始めたものです。
正式に手水舎が採用され始めたのが、江戸時代初頭と云われており、なんと!この日光東照宮の手水舎(御水屋)が日本の手水舎の起源であるとも云われております。
日光東照宮・御水屋(手水舎)の建築様式(造り)
サイフォン式の水盤から垣間見える小堀様式の建築
御水屋(手水舎)の水盤は「花崗岩」で造られており、「サイフォン」と呼称される流水の原理を活かして水が途切れることなく出続ける仕組みになっています。
サイフォンの原理とは?
サイフォンの原理とは水位の高低差を利用した水を自動的に出し続ける方法のことです。
早い話が遠い場所から管を通じて水を送水し、途中に送水した位置よりも高い位置があったとしても、ポンプでくみ上げることなく流れ続ける仕組みのことです。
サイフォンの原理を利用するには、「管」を用意して「管」に溢れかえるまで水を入れて真空状態にすることから始まりまする。
その満水状態になった真空の管を、同じく満水状態にした水盤の中へいれて設置し、管の片方は貯水源に挿し込みます。

こうすることで水盤の水が減少すると、貯水源から水が自動的に吸い上げられて送水され、水盤には常に定位の水がある状態を作り出せます。
水盤舎の貯水源はドコ?
水盤の貯水源は日光山内の「滝尾神社」の付近と云われますので、東照宮の境内から約2kmも離れた場所が水源と言うことになります。
そこから「社務所」の裏を経由して「神庫」の裏手の石段から落とし込み、落ちた後に下から上に噴き上がる水圧を利用して水盤へ押し上げる仕組みが採用されているようです。
誰がサイフォン式の原理を作って採用した?
サイフォンの原理のような技法は日本の文化で生み出された技術ではなく、これは西洋の技法です。
おそらく創建当初の建築において最先端の知識を有していた「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」の手による意匠であることが窺えます。
小堀遠州は自身が手がけた庭園の「手水鉢」や、茶室の茶庭に設けた「蹲(つくばい)」にもサイフォンの原理を応用して設置しています。
管の直径はどのくらい?
管の直径は約15cmだと伝えられており、江戸時代の水道管となるとおそらく木造や石製となりますので、これを2km近く設置したことになり申す。
しかし、このような原理や建築技術を江戸時代の初頭から応用し実用していた事実には驚嘆の意を隠しきれません。
現在も水盤舎もサイフォン式が採用されているのか?
ただ、残念なことに現在の水盤には衛生上と耐久制などの観点から、通例の鉄管を用いた上水道による仕様に変更されています。
手水舎の見どころ
飛龍の彫刻
御水屋の唐破風の妻の部分には「飛龍の彫刻」が彫られています。
飛龍とは口から火を吐く伝説の生き物です。
東照宮の飛龍にはコウモリのような羽が生えており、さらに鳥のような足をしています。
一般的に知られる龍は羽が生えていなくても空を自由に飛べるので、何だか少し不気味な感じがします。
飛龍は古代中国で生み出された伝説上の生き物であり、どちらかと言うと「火を司る象徴」として捉えられますが、飛龍の身体は火を吐くので高温になっており、..アヂっ!・・これを冷却するには大量の水が必要になります。モフモフ
このようなことから飛龍は逆に「火難から守護する水の霊獣」として位置づけられたようです。
つまりは火難から東照宮全体を守護すると言った意味で御水屋に備え付けられています。
尚、東照宮内で飛龍の彫刻がある殿舎は複数あり、合計で43体の飛龍が確認されています。
そして、それら43体の飛龍の中でも特にこの御水屋の飛龍は東照宮を代表する見どころの1つとなっています。
鯉の蟇股
上記、飛龍につづき、水に関係のある生き物として、鯉(こい)恋♡が蟇股に用いられいてい‥‥申す。
御水屋の12本の柱
この御水屋を支える柱は稀有な造りになっており、御影石を用いた3本の柱が四隅に寄せ集められた造りなっています。
四隅に3本ずつの柱を配置するとなると合計で12本もの柱が必要になりまする。
柱の素材にも注目したいところ。花崗岩(東照宮に用いられているのは「白御影石」※花崗岩も御影石も同質で名前が異なるだけ。)を用いて造成された柱であることから、これは長期間、水が染み込むことによる腐食を予防する目的を見据えてのことです。
花崗岩(御影石)の持つ特徴として、耐久性、耐水性、耐摩耗性に優れています。
これらの柱が合計12本あり、ゴージャスな唐破風の大屋根を支えています。
また、12本それぞれの柱の貫や鼻の部分の金の装飾が特に目を惹きます。
大唐破風
屋根に注目してみれば、屋根全体を大きな唐破風で覆っていますが、このような屋根の形は俗に「大唐破風」とも呼ばれるものです。
京都の伏見稲荷大社の拝殿にもこの意匠が見られますが、主に安土桃山時代に流行った意匠であり、それを見事に採用していることになりまする。
極彩色の頭貫・蟇股および飾り金具
手水舎に至るまで極彩色が施され、餝り金具のは徳川家の家紋となる葵紋の浮かし彫りが施されています。
このような飾り金具は通例であれば木造の建築物に多く見られるのですが、日光東照宮では石にも飾り金具を用いています。
このことを面白がってか、後に『石に金物、日光ばかり』などというコトワザの生まれてい‥‥申す。
意味合いは『珍しいものばかり』だそうです。…本当にこのサイトって”石に金物、日光ばかり”ね ウフ
日光東照宮・御水屋の特徴
着目してもらいたい点があるのですが、それが欄間部分に据えられた立つ波の彫刻です。
この立つ波模様の隙間から、わずかな光が水盤に差し込み、波型模様が水面に映し出されるという工夫が凝らされています。
日光東照宮・御水屋(手水舎)の謎
御水屋(手水舎)に訪れた際に、ちょっと屋根を見てみてください。
向かって左側奥の屋根の角が切り落とされてキレイな真っ平らになっています。
理由は定かではありませんが、これも何かのメッセージが秘められているものと推察できます。
一説には、陽明門のグリ紋(逆柱)と同様、魔除け祈願のためや、後方にそびえる杉の生長を邪魔しないためともいわれます。
日光東照宮・御水屋(手水舎)の場所(地図)
御水屋は表門をくぐった先の上神庫(想像の象)の前方に位置します。脇には輪蔵があります。