日光東照宮「坂下門」【重要文化財】
🐣造営年:1608年(元和4年)
🐣建築様式(造り):八脚門、唐門、平入り
🐣大きさ:一間一戸
🐣屋根の造り:銅瓦葺
「坂下門」の名前の由来
この坂下門の真下にある立て看板には次のように書かれている
坂下門
この門を潜り石段を約200段登ると家康公の御墓所奥宮がある。
下掲写真のようにこの坂下門から奥宮までの道中はゆるやかな坂道になっており、この門は奥宮から見れば坂の下にあることから、「坂下門」と呼ばれている。
「坂下門」の別名
この坂下門は家康公の御霊が奉安される奥宮(奥社)とだけあって、最重要の霊域として、普段はこの坂下門の扉が閉扉されて閉じられたのです。
そして将軍が社参した際にのみ開扉されたことから、「開かずの門」とも呼ばれていまする。
坂下門の役割
「奥宮(奥社)を護る門」
この坂下門の奥には鋳抜き門と呼ばれる鋳銅製の門があるのみ。
しかしながら鋳抜き門を通行せずとも家康公が埋葬される宝塔まで行けることから、飾り的要素が濃く、実際のところ、この坂下門が奥社(奥宮)を護る最後の砦となりまする。
外界からの穢れを可能なまでに塞ぎ込み、家康公の御霊を護ってい‥‥申す。グホっ
ある意味、家康公の御霊が放つ霊力を封じ込め、将軍社参の時にのみ、その霊力を解放することで霊験あらたかなご利益にあやかれると信仰されていたのかもしれません。
「坂下門」の歴史
この坂下門は、創建当初の面影を伝えており、様式に改造はなく、軽微な屋根の葺き替えや、剥落した箇所や餝金具の補修など微々たる修繕は繰り返し行われているものの創建当初の姿を残す建造物です。
それゆえなのか、国の重要文化財指定を受けてい‥‥‥まする。(フェイント)
「坂下門」の見どころ「特徴や装飾」
この坂下門はそのまま通りすぎてしまう人がほとんどですが、通行人の邪魔にならない範囲でちょぃと、その絢爛豪華かつ、繊細な職人技が成せる装飾をご覧くだせぇな。
門の表側と裏側の違いを楽しむ
🐣門の表側
🐣門の裏側
表側と裏側の違いで、もっとも違いが感じられるのが、門下部に見える純白の格狭間(こうざま)調のレリーフではなかろぅか。
餝り金具(かざりかなぐ)
菊の御紋の六葉、ひし形の飾り金具、拳鼻や出組、実肘木にまで飾り金具がハメ込まれている。ここまで贅を尽くした建築‥‥、おそらく他所ではなかなか見れないだろぅ。
鶴と牡丹の彫刻
ひときわ目を惹くのが、坂下門の頭貫の上の鶴と牡丹の彫刻。
🐣「鶴」の意味
「鶴は千年」という言葉もあるように、鶴は延命(長寿)や生命力の豊かさを意味する瑞鳥として重宝されてきた歴史がありまする。
鶴の生態として、一度つがいになると、共に生涯を添い遂げる習性を持つことから、結婚式の打掛や白無垢に刺繍や染めで描かれることがよくありまする。
🐣「牡丹」の意味
牡丹は古来、大輪の花びらを付けることから花の王様と見られ、異称で「百花の王」とも呼ばれまする。
日本においては「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はユリの花」などいう言葉も生まれ、古くから女性の美しさを表現する形容にも用いられています。
以上、鶴と牡丹を合わせる図様というのは、まさに「永遠の王」という意味合いが込められたことが想像につき、永遠に江戸のみならず、日本全土をお護り下さいとの秘められた願意が伝わってくるようです。
裏側はホトトギス?と梅?
上記、鶴と牡丹の透かし彫りの裏側には別の彫刻(透かし彫り)が嵌め込まれる。
見たところ、春の象徴ともいえるウグイスと梅に見える。
長かった戦乱が終わり、平和という名の永き春の世が到来し、それをもたらし家康公を奉祝しているようにも思える。
格子天井の牡丹と菊の図様
門の内部の天井にも注目!百花の王と言われる牡丹や、長寿の瑞花とさえ言われる菊の花があしらわれてい‥‥‥申す。グハっ
牡丹はクソデカぃ大輪の花を、凛とした様子で威風堂々と咲かせる様は、高貴さや富貴さ、美しさの象徴としても見られ、古くは唐草文様にも用いられてい‥‥‥申す。ゴギャっ
ビックリマンシールのヘッドようなギラギラの意匠が見事。あまりにもまばゆさに目がくらむ。ヘッドロココとブラックゼウス欲しぃ
蹴放
桟唐戸の牡丹のレリーフ
🐣向かって左側扉
門扉の隅々に到るまで餝金具や透かし彫りを多用し、贅と絢爛豪華さを醸す。
🐣向かって右側扉
扉にも透かし彫りを用いた牡丹レリーフのパネルがハメ込まれている。
写真のものは塗装が剥落し、素地となる木目が見えてしまっているが、おそらく純白一色で塗装されていた姿が想像につく。うきゃ
それにしても東照宮の彫刻や図様は、この牡丹が多い。
袖塀にも注目!
かつては艶やかな朱漆(紅色)を発色し、他部に塗布される純白の胡粉(ごふん)との抜群の色調具合と十全十美だった様子を想見させる。
袖塀下部に格狭間(こうざま)を連想させるレリーフも見える。
坂下門の彫刻の数と種類
鶴:5体
植物(牡丹・唐草など):21体
波:2体
綿板:28体
合計56体
東回廊の潜門裏側の彫刻もチェック!
ズズメの彫刻
坂下門から回廊を見ると、ちょうど眠り猫の蟇股の裏側が見える。
この眠り猫の裏側の彫刻(雀)はこの坂下門の前でないと見えないので‥‥‥要チェックやでぃ!by.彦一(スラムダンク)
実は眠り猫の裏側にも上掲写真のような蟇股が据えられているが、なんと!裏側は写真のように雀が表現された蟇股になっている。
表面がネコ(眠り猫)で裏面が雀という配置には実は深いメッセージが込められている。この詳細は下記ページにて💗
眠り猫があるのは坂下門ではない!その手前の回廊!
「眠り猫は坂下門の前にある」というフレーズが広まり、中には坂下門に眠り猫があると勘違いされている方も散見されまする。
眠り猫は坂下門の手前にある東回廊(陽明門から連なる東側の回廊の中)の潜門(くぐりもん)にこそ、左甚五郎作と伝えられる「眠猫」がありまする。
東回廊内および坂下門は原則右側通行!
奥社(奥宮)へ至る参道はある意味、坂下門の手前となる東回廊の入り口から始まっている。
その回廊は通例であれば回廊の中を通行するものなのだが、ことこの東回廊に関しては回廊を横断する形でその奥に坂下門が建ち、その奥に奥社まで続く。
回廊を横断する形で通行口が無理やり回廊に開けられ「潜門」とされていることからも理解できるように、本来、将軍様お1人が通行するだけの広さがあれば良いという設計だったので、まさか設計段階で今日に見られるような大人数がこの通行路を通ることなどは想定されていない。
つまり、必然的に回廊内が混み合う結果となり、その上、回廊頭上に眠り猫があるものだから必然的にこの場所は詰まり気味になり、なにかと混み合う。
なお、往時は潜り門などというものはなく、社参した将軍は回廊を歩いて坂下門を潜り奥社まで歩いたとされる。つまり、今日に見られるような潜り門などいうものは後世にて取り付けられたもの。
坂下門前で眠り猫の写真撮影する時の注意点
眠り猫の前の立て看板
眠り猫の写真撮影は通路(回廊)を抜けた先(回廊より外側)でお願いいたします。
眠り猫が据えられた回廊は混み合うので、そのための処置でしょう。坂下門およびその手前の東回廊は眠り猫という超が付くほど有名な彫刻がありながら、通行路になっていることから、長くその場所に滞在できないという難点がありまする。