別所跡|滝尾神社

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別所跡

上記、入口となる石碑を通過して石段を登ると右側に妖怪ポストのような妖しげ看板が見えてくる。….妖しげな看板?

ただ、看板が無ければ落ち葉の積もったただ、更地よ。

看板が無ければ‥‥‥どなぃしょ。オホっ

看板の内容

別所跡『東照宮の還座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。「日光責め(日光の輪王寺で行う強飯式 (ごうはんしき) の異称)」で有名な輪王寺の「強飯式」(山伏が大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥地である。

明治になって別所は廃絶。永正六年(一五〇九)日光に来た連歌師、宗長(1448-1532)の紀行文「東路(あずまじ)の津登(つと)」には、「ここより谷々を見おろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。』

この看板の内容のよれば往時はこの別所周辺には五百坊(500を超える寺院)が軒を連ねていたことになる。

この滝尾神社は日光権現の一翼を担ぅ存在として、修験道などを通じて信仰の中心であった様子がうかがえる。

付近には史蹟の一つ、「影向石」も素敵にあるので要チェック💘

滝尾神社の境内案内図

日光二荒山神社には飛び地にも境内があるのだが、そのうちの1つが滝尾神社でゴザる。

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