日光東照宮の陽明門手前の石柵の裏側に「飛び越えの獅子」という、彫刻(石像)が左右両脇に合計2体あります。
この獅子、一見、石の柵を倒れないように、両足で支えているようにも見えますし、石の柵を飛び越えた後のようにも見えます。
おおよその参拝客の方は、日光東照宮の陽明門を目指して、この「飛び越えの獅子」の存在を知らないまま、通り過ぎていってしまいます。
一見すれば、この獅子は石の柵と引っ付ているかのような彫刻?なのですが、元来からこうやって1つの石の彫刻として(柵として)制作されたものです。
しかし、この獅子にも由来があります。
この獅子は「冬木太良右衛門」と呼ばれる、獅子像石工の巨匠が1636年(寛永13年)に造立した獅子だそうです。
冬木太良右衛門とは?
冬木太良右衛門とは、日光東照宮の地元、日光に住んでいた石工職人でした。
主に、獅子の石工が得意の職人だと伝わっています。
日光東照宮の石の柵を作る際、幕府は地元の職人にも金100両で募集をかけ、そこに応募してきたのがこの「冬木太良右衛門」と云われています。
この事実は、この時に発行されていた「帳簿」に記録されていることから、事実であることが判明しました。
後の世で、この帳簿に記載があった名前に「冬木太良右衛門」と記されていた事実から、この獅子の製作者が分かったそうです。
「獅子(飛び越えの獅子)」は「飛び越えている?」「支えている?」・・どっチ??
そして、気になるがこの獅子の格好です。
一見みると「石柵を飛び越えているのか?」「石柵を支えているか?」かの見分けがつきません。
しかし、日光東照宮に由来する伝記によるとこの獅子は「石の柵を支える役目を担っている」そうです。
初代・江戸幕府の創始者である「徳川家康公」が眠る、豪華春蘭な造りの日光東照宮です。
きっと、石の柵を支える石にでさえ、家康公に敬意をはらい、デザインを施したしたのかもしれませんね。
飛び越えの獅子の由来(名前を付けた人物)は徳川家光だった?!
この「獅子(飛び越えの獅子)」は、当初、名前など無かったといいます。
しかし、日光東照宮に訪れた徳川家光公が、この獅子を見るなり大変、驚いたそうです。
そして、徳川家光公は、この獅子を見て驚きながら、こう言ったそうです。
「おお、まるで獅子が柵を飛び越えておるように見える」
これ以来、この獅子の石柵は「支えている」のではなく、「飛び越えている獅子」と言いあらためられ「飛び越えの獅子」というネーミングが付いたそうです。
その後、現代まで「飛び越えの獅子」として名前が伝わっています。
飛び越えの獅子が見られる場所
日光東照宮の陽明門の手前の石柵の裏側(左右両脇に1対ずつ)※片方向かい見て左側の方は手前に木柵が置かれているため見づらい。
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