日光東照宮「石鳥居(一ノ鳥居)」【重要文化財】
造営年
- 1618年(元和4年)
鳥居の型
- 明神鳥居
大きさ
- 高さ:9.2m
- 柱間:6.7m
- 柱の直径(太さ):3.6m
材質
- 花崗岩
重要文化財指定登録年月日
- 1908年(明治41年)8月1日
発願者(奉納者)
- 黒田筑前守長政(筑前国福岡藩・初代藩主)
石鳥居の読み方
石鳥居=「いしとりい」
日光東照宮・石鳥居の歴史・由来
この石製の鳥居は日光東照宮の入口に位置し東照宮の正門ともなる「一の鳥居」です。
通称・石鳥居と呼称されており、世間一般にはこちらの名前で知られています。
大きさは江戸時代に造営された鳥居では日本最大の規模を誇り、それ故「日本三大石鳥居」の1基として数えられています。
日本三大石鳥居
- 八坂神社の鳥居(京都)
- 鶴岡八幡宮の鳥居(鎌倉)
- 日光東照宮の石鳥居
黒田長政によって奉納された鳥居
日光東照宮の石鳥居は、徳川家康が日光山に祀られた翌年の1618年(元和4年)に黒田長政によって奉納されたものです。
間近で石鳥居をよく見ると継ぎ目のようなものが見えますが、これは筑前国(現在の福岡県)で切り出した15個の石をはるばる日光まで運び、現地で積み上げて造営した際に出来た継ぎ目だと伝わる。
運搬に際して、海や川では船舶を使用したと考えても、陸路は荷車のような物に乗せて人力での運搬が予測されることから、多大な労力が必要であったことが想像につきます。
石を15段積み上げた証拠として鳥居の柱には、なんと!!「奉寄進元和四年戊午四月十七日」と言った文字や「黒田長政の名前」、「日光に至るまでのルート」がしっかりと刻まれています。
筑前国(福岡)から日光に至るまでのルート
海路および水路
- 筑前国志摩郡小金丸村の可也山(かやさん/現在の福岡県糸島市)で切り出した15個の石を海路で輸送→
- 江戸湾の港まで輸送→
- 江戸川→利根川→渡良瀬川を遡る→
- 思川(おもいがわ/御用川とも呼ばれた)→
- 小山の乙女河岸にあった卸問屋「山中八郎兵衛」
陸路
石があまりにも重量がある且つ、原型を維持する必要性があったことから、多くの丸太が用意され、その上に石を乗せて転がしながら移動したらしい。
- 問屋「山中八郎兵衛」→壬生(みぶ)→鹿沼→今市(十石坂)→日光
想定移動ルート
十石坂の地名の由来ともなった
例幣使街道の十石坂(今市市室瀬)の地名は、この石材を運ぶ人夫が当地で米十石を食い潰したことが由来になっているらしい。
日光東照宮・石鳥居の「特徴と構造」
日光東照宮・石鳥居には「扁額(へんがく)」が掲げられています。
この扁額の大きさはなんと!畳・約1畳ほどもあります。
9メートルも頭上にあるので、それほど大きくは見えませんが間近でよくご覧になってみてください。
この扁額に書かれている文字は「後水尾天皇(ごみずのおてんのう)」の勅筆で、家康の死後に家康の死後の名前である「東照大権現」と書かれています。
扁額に残された刻銘
この扁額の「東」の文字の背面より、『元和8年(1622年)3月吉日』という刻銘が検出され、この事実を以って後水尾天皇の筆であることが明らかにされた。
とりわけ東照宮にあるすべての扁額はこの書体で揮毫されてい‥‥申す。…グハっ。
日本一長いしめ縄が取り付けられていた?!
この石鳥居には日本一長いしめ縄がかけられていたが、昭和61年の扁額の修理以後、鳥居の倒壊の危険性が憂慮され、パっぴょり素敵に取り外された。
然るに往時の日本一の注連縄で飾られた豪壮感あふれる石鳥居の勇姿は、今となってはもぅ見られない。
石を積み上げる時は内部に心棒を入れて固定させているので倒れなかった
昭和61年、上記、「東照大権現」と揮毫された扁額が修理に出される運びとなり、石材の表面も洗い磨きが実施されることになった。
扁額はクレーン車を用いて素敵に外し、日光社寺文化財保存会の技師が監臨の上、鳥居柱の継ぎ目の確認作業が実施された。
この確認作業によって明らかにされた事実としては、15個もの石を柱として、やっぱり素敵に積み上げ、その間となる継ぎ目に直径30cmほどの穴を開け、木製の”心棒”で”辛抱”できないほどに固定させていた事実。
それとこの”辛抱”できないほどに固定された”心棒”は腐食が著しく、三分の一程度になっていたこと。
このため、日本一長いと称賛された注連縄もバランスが崩れる危険性が憂慮され、やっぱりぱりと素敵に取り外される運びとなった。
”心棒”を”辛抱”できないほどに固定させていた理由
‥‥は!すでに察しのとおり、積み上げた花崗岩が地震などの自然災害によって倒壊しないようにと、鼻血止めのティシュの如くに素敵に詰め込んだ模様💘
とりわけ1924年(昭和24年)に日光を襲ったM 6.0〜7強の地震においても、この石鳥居はわずかに柱の一部が歪んだだけで耐えており、驚くことにその後の余震でもとに戻ったという神がかり的な伝説を残す。
これも神君家康公、‥‥いや、鳥居に乗り憑った長政公が主君である家康公の陵墓(東照宮)を守ったとも言い換えることができ申す。
戻ったというから、なんとも奇怪かいかい奇々怪々‥な出来事でござる。
当初は14個の石材に3本の笠木と言われていた?!
忘れてならないのは、この修理にて15個の石材が使用されていたという事実。
それ以前のこの鳥居は14個の石材に3本の笠木で成り立っているというのが、定説だったらしいが、調査によって上記、扁額を吊り下げるための金具が笠木の継ぎ目を隠していた事実が明らかになった。
然るにこの石鳥居は次のような構成で成り立っているという新事実が検出されたことにな〜る。
- 柱4、貫3、束石1、島木3、笠木4 ‥以上、合計15個
えぇっ?!石鳥居は左右の柱の太さが違う??
写真で見たり、意識せずに鳥居を見るだけでは気づきにくいのだが、実は左右で大きさ微妙に異なる。
扁額の方向から見て左側の柱の方が直径約10cmほど太くなっているのだが、これは昭和62年に当宮に奉仕する巫女さんが発見した新事実らしい。
まさに日光東照宮の七不思議と言いたい‥のだが、これはおそらく手作業で石を削ったことを意味する。
この鳥居が建造された江戸初期、現代のような加工技術や機材があるわけではなく、むしろ、逆の見方で10㎝程度にとどめることができたと言っても差し支えはない。
なお、実際に長さを測る場合は許可を取ってから行ってください。
黒田長政が鳥居を奉納した理由
黒田長政とは、2014年の大河ドラマの主役となった黒田官兵衛の息子です。
幼少期に父・官兵衛が幽閉され、豊臣秀吉の息子同然に育てられ、やがて豊臣家を支えるまでの武将に成長して行きます。
しかし秀吉の死後は、家康の養女を妻にしたことからに関ケ原の戦いでは徳川家康に従い功名を立て福岡筑前52万3000余石の城主に任じられています。
長政が鳥居を奉納した真の理由とは、福岡産(筑前産)の石を使用し巨大な鳥居を奉納することで故人となった家康公への敬意と幕府への絶対の恭順の意を示し、52万石の大大名としての力を見せつける思惑があったとも考えられています。
ちなみに石高が「1万石」以上だと「藩」と呼ばれ、江戸時代には250前後もの藩が存在しました。
その中で「52万石」という石高は日本全国でも10本の指に入るほどの規模です。
2代目の藩主「黒田忠之」が松平を拝命するキッカケを作った石鳥居
長政が石鳥居を奉納したことがキッカケになったのかは定かではないのだが、なんにせよ将軍家より長政の功績が評価され、その息子である黒田忠之(くろだただゆき)には、徳川家発祥の姓である「松平」の名字と将軍の偏諱(へんき/功績のあった臣や元服する者に自分の名の一字を与える行為)を拝領するという大変、名誉な結果をもたらした。
それだけにとどまらず、忠之以後の福岡藩の歴代藩主・嫡子も松平姓を名乗ることを許されたのだった。
このように考えると、まさに黒田家に幸運をもたらした幸運の鳥居だったと言い換えることもできる。
参道と鳥居の結ぶ直線状は真南から6度ほど東南に傾いている?!
この石鳥居と参道とを直線上に線で結ぶと真南の方角から6度ほど東南にズレて見える。
実は、日光東照宮本殿と石鳥居の中心とを結んだ先に江戸城が建ち、このような構図にするためにわざと6度、東南方向へズラしたという説が素敵にある。
その本意は、『死してなおも江戸を守護する』といった東照権現となった家康公の思いが込められていると考えられてい‥‥申す。えっ
遠近法を用いて鳥居を大きく見せる工夫が凝らされていた?!
この石鳥居は日光東照宮の境内入口に立つ鳥居であるとともに、家康公が眠る奥宮への最初の関門です。
一説に、この石鳥居に遠近法を用い、鳥居を大きく見せるギミックが凝らされているとも云われる。
具体的には鳥居に近づくほど、参道の幅が狭く造成されており、逆に鳥居から離れれば離れるほど、参道の幅が広くなるように設計されているらしい。
長さで表した場合、鳥居から離れた参道の幅が約7.5m、鳥居付近の参道の幅が約6.5mになり申す。
【補足】石鳥居の手前にある不思議な奇石「照降石」??
実はこの石鳥居の手前には「照降石(てりふりいし)」と呼称されるバイアス状に白色と黒色の配色をもつ敷石がある。
あまつさえ、石の名前にも”照”と”降”という文字が含まれるなど、何かと曰くつきの石であることを、プンぷんプンぷん‥と、焼肉後の1発目のゲップの如くに匂わせ〜る。どんなニオイや
この名前の意味や名前が付された経緯については下記ページを要チェック💘
関連記事:日光東照宮「照降石(石鳥居・石畳)」
日光東照宮・ 石鳥居(一ノ鳥居)の場所
輪王寺黒門が建つ、表参道を徒歩4分ほど進んだ先の境内の入口となる場所にそびえるようにして建つ鳥居。
日光東照宮には似たような鳥居がいくつかありまするが、江戸時代に銅製に建て替えられたりした鳥居もあるので石鳥居は数えるほど。‥‥必見💘
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