日光東照宮の三猿に4匹目の猿がいた?!場所や意味・歴史(由来)・作者・秘密などを簡単に説明!

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日光東照宮・三猿【重要文化財】

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製作年

不明
推定:1636年(元和3年/江戸時代前期)

再建年(大修理)

1952年(昭和27年)3月
2017年(平成28年)3月

パネルの大きさ

横幅:142cm
高さ:44cm

作者

不明
推定:左甚五郎(眠り猫と同じ作者)

「三猿」の読み方

「さんざる」「さんえん」

日光東照宮・三猿の歴史

三猿の正確な製作年は不明ですが、神厩舎の竣工(創建)と時を同じくするのであれば、1636年(元和3年/江戸時代前期)には完成していたものと考えることができます。

以来、約10年おきに修理が行われていますが、2017年(平成29年)の修理ように8面すべてが対象となる大規模な修理は1952年(昭和27年)以来、約65年ぶりになるとのことです。

この三猿の彫刻は、経年による老朽化や極彩色が剥げ落ちてきたことに伴い、2016年(平成28年)6月から修理(修善)に出されていたことから、三猿の修理期間中は「本物の三猿を精密に模して製作されたレプリカ(贋作)」が神厩舎に据えられていました。

そして2017年3月30日、晴れて修理を終え、見事に本物の三猿が神厩舎に取り付けられ、31日から一般公開されています。

したがって現在では、創建当初を彷彿とさせる「光り輝く極彩色の三猿」を観ることができます。

修復後に三猿の顔が変わった!?

この新しい三猿がお披露目されてから、主にネット上で、「猿の顔が以前と全然違う」ということが話題となりました。

これまでも三猿は頻繁に修理・塗り直しが行われており、確かにその度に顔つきはやや変わっているのですが、それらと比較しても今回の三猿は、目がかなり大きくなっています。

⬆️塗り直された修理後の三猿のレリーフ。2017年3月30日より神厩舎(しんきゅうしゃ)に再び戻された直後の写真

元祖三猿の顔はもはや知るすべがないので、現存する過去の修理の記録を元に塗り直しが行われるため、どの段階の猿の顔に近づけるのかは、難しい問題です。

ただ、今回に関しては、「過去のものを再現するという意味では明らかに問題がある」という声もあり、専門家の中には、次回の修理の機会に元に戻すべきだとする意見も出ています。

日光東照宮・三猿の修復前&修復後の画像一覧

⬆️修理の主要な手本となった見取り図の「言わざる」 画像提供:日光社寺文化財保存会
⬆️1973年修理後の「言わざる」  画像提供:日光社寺文化財保存会
⬆️2017年度の修理後の「言わざる」   画像提供:日光社寺文化財保存会
⬆️1951年修理直前に撮影された「言わざる」。1923年の修理の塗装が一部残る   画像提供:日光社寺文化財保存会
⬆️1951年の修理後の「言わざる」   画像提供:日光社寺文化財保存会
日光東照宮の三猿の過去の修復歴

東照宮はこれまで幾度も修理を繰り返してきており、常に新しい状態を維持しています。

この三猿も明治時代以降、次の年代に修理が実施されおり、都度、塗り直しが実施されてい申す。

  • 1900年
  • 1923年
  • 1951年
  • 1973年

なお、東照宮の修理は日光の2社1寺がつくる職人集団・「日光社寺文化財保存会」が中心になって行ってい申す。

三猿とは?

ご存知でしょうかか?

日光東照宮には5173個もの彫刻がありますが、中でも、もっとも有名なのが「見ざる、聞かざる、言わざる」の「三猿」の彫刻です。

向かって左から「耳を手で塞いでいる猿」「口を手で塞いでいる猿」「目に手を当てている猿」です。

「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の彫刻

これらの「3匹の猿」は「三猿」と呼ばれ、通称・「見猿(見ざる)、聞か猿(聞かざる)、言わ猿(言わざる)」と言われる世界的に有名な猿くんたちになります。

三猿の彫刻の場所

日光東照宮には「神馬(しんめ)」と言う神様に仕える馬がいます。

その神馬が休む「神厩舎(しんきゅうしゃ)」と呼ばれる馬小屋の屋根の下に、三猿の彫刻は彫られています。

日光東照宮の「神厩舎」の場所は、五重塔近くの表門を入って、左手スグになります。

日光東照宮の「神厩舎」の場所は、表門を入って、左手スグになります

日光東照宮・神厩舎についての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 関連記事:日光東照宮・神厩舎(三猿)【重要文化財】


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えぇっ?!日光東照宮の神厩舎には「まだ7つも猿の彫刻があった」?!

実は日光東照宮の神厩舎には、上述でご紹介した「三猿」以外にもまだ猿の彫刻があるのです。

勘違いをされる方が多いのですが「三猿」とは「8つの猿の彫刻」の内の1つの彫刻になります。

つまり「合計で8つある猿の彫刻のパネル」の中の「見ざる(見猿)・聞かざる(聞か猿)・言わざる(言わ猿)」のパネルが「三猿」になります。

これら日光東照宮の8つの猿の彫刻は、家康公が深く信仰した中国の道教の思想を参照し、猿の一生を通しての人間としての正しい生き方を示していると言われています。

残り7つの猿の彫刻の場所はドコ?

残り7つの彫刻がある場所は、「見ざる(見猿)・聞かざる(聞か猿)・言わざる(言わ猿)」と同じく「神厩舎」にあります。

「神厩舎」の他の壁面にも三猿の彫刻が据えられている分かるハズです。

そしてこの壁面に、上述した「8つの猿」の彫刻があり、8つの猿それぞれに意味や秘密が隠されています。

神厩舎の左側面には何がある?

気になってくるのは神厩舎の左側面ですが、残念無念なことに左側面には三猿はありません。

代わりに緑色を基調とした、花柄や渦巻き模様が金色で描かれた板がハメ込まれています。

⬆️神厩舎の左側面。まばゆいばかりの緑色と金色の板が見えるだろか。

日光東照宮の三猿に込められた意味や秘密とは?

これら三猿を含めた8つのパネルは、猿が題材となっているのは共通して同じなのですが、それぞれがまったく同じポージング(形)をとっていません。

また、三猿のパネルはこの8つあるパネルの中の左から2つ目に飾られているのですが、なぜ2つ目なのでしょうか?

これらの謎に気付いたあなたは、なかなか鋭い洞察力を持った方です。 

入口付近にそびえる五重塔の彫刻、陽明門の彫刻、本殿の拝殿前の門の彫刻にしろ、東照宮内の彫刻は意図して配置されたものがほとんどです。

だとすればこの三猿を含めた8つのパネルにも製作者が何かしらのメッセージを伝えるために意図して配置したと考えることができ申す。

実は現在ではこの謎を紐解く方法が解明されており、下記のように順番に見ていくことでその謎が解けるようになっています。

三猿の見方

8つの猿のパネルは正面を向かい見て、左から順番に見るようになっています。

以下では、各パネルに隠された秘密を打ち明かすとともに、さらに分かりやすくするために「左端から①番→右側面の右端⑧番」までの番号を振っています。

三猿の画像(写真)と照合しながらご覧になってみてください。

①「親猿が子猿の今後の将来(人生)を見つめている様子」【赤子の時期】

親猿が子猿の今後の人生を見つめている様子。

子猿は親猿を心の拠り所として、親猿を下から熱い眼差しで見つめています。

親猿の目線の先には「ビワの実」と「たなびく雲」があり、子猿の未来が明るいことが表現されています。

②「見ざる(不見)、言わざる(不言)、聞かざる(不聞)」の”三猿”【幼少の時期】

「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の彫刻

有名な三猿のパネル(彫刻)です。小さい頃は何にでも興味が湧くが、悪事を見たり、悪事を言ったり、悪事を聞いたりせず、良い事だけを受け入れて、素直な心で育っていくように、という意味が込められています。

「座っているの姿の猿」【青年の時期】

座っている猿の姿

まだ座っているが立ちそうな猿の姿が描かれています。これは、これから独り立ちしようとしている猿の姿です。

④「大きな志を抱いて天を仰いでいる様子の猿」【大人の時期】

猿は大きな志を抱いて、天を仰いでいる様子 (2)

青い雲が「青雲の志」を暗示しています。「青雲の志」とは、将来、立派な人物になろうとする大きな志のことです。

⑤「人生における最大の悩みを抱え込み下を見ている猿」【大人の時期・仕事で悩む】

下を見ている猿

挫折を味わっている猿を、仲間の猿達が励ましている様子が見られます。

物思いにふける猿」【大人の時期・恋に落ちた猿くん】

物思いにふける猿

イケメン猿が、べっぴん猿を見つけたのか、恋に悩んでいる猿くんの様子が表現されています。

「ついに恋が成就して結婚しちゃった猿くんたちウフ」【大人の時期・人生のパートナーを得る】

結婚した猿

これから夫婦で力を合わせて、人生の荒波に立ち向かっていこうという姿が描かれています。青い波も見られます。

身ごもってお腹が大きくなった母猿」【大人の時期・結婚後、子供ができる】

身ごもった母猿 (2)

真っ赤な熱ぅ~ぃ恋を実らせ、やがて母親になり子供ができ、その子供が同様の人生を歩む・・そして、再び①(最初)の親子猿のパネルへと戻る形で繋がります。

このようにして人生が繰り返されるということです。

三猿のパネルを含めた8つのパネルには「猿の一生が表現されている」!

上記の内容をご覧になって理解したと思いますが、これら8つのパネルを左から順番に見ていくことで「猿が生まれて親に見守られながら育ち、やがて自らも親になって自らの子供を産み育てるまでの半生」が表現されています。

実はこれら8つパネルは猿くんたちの半生を示す(表現する)ことにより、人の半生を表現していると云われます。

すなわち、無言で悟らせる人生の教訓のような意味が込められていると解釈でき申す。

8面の猿の彫刻の真意とは?

これら8面の猿のパネルに込められた秘密こそが先君・家康公が自らの子たち・末代に至るまで伝えたかった熱き思い(メッセージ)でだと汲み取ることができ申す。

自らが創設した江戸幕府の永続統治による日本の恒久的な安寧と、その安寧を築き上げる自らの子たちが君主(将軍)と呼べるに相応しい人格者に育ってくれるよぅ、そんな切なる願いが痛々しいほどに込められていると解釈でき‥‥申す。

人らしい生き様・人格者を表現すると共に恒久平和を訴えかけている

惰性で生きるのではなく、常に何かに興味をもち(周囲に目を配り)、常に押し寄せる人生の荒波に打ち勝っていけるように(諍い・戦争は政治的な最後の手段と心得る)仲間を作り、その仲間を思いやり、仲間に相談して紛争を回避する手段を講じる。(自らは魅力ある人格者として、強固な家臣団を作り上げる礎となる)

同時に人としてこの世に生を得た後、人間らしい人生の歩み方をこの8枚のパネルを通じて見事に伝えてい‥‥申す。

以上のような思いが、この8面の彫刻から伝わってき‥‥申す。

そして、このパネルが訴えかける真意とは「このような生き方が出来る時代を常に築いて行けるように‥‥」という真意が隠されているとも考えることができ‥‥申す。

ところで‥‥三猿を含めた8つの猿のパネルには合計何匹の猿くんがいる?

ちなみにパネルは8つですが、パネル1枚1枚には猿が複数匹います。いったい神厩舎全体で、何匹の猿がいるかお分かりになりますか?

・・

・・

・・

残念賞〜!違います!

正解は16匹います。

神厩舎に訪れた際は是非!数えてみてください。


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なぜ、三猿のパネルだけが有名なのか?

この日光東照宮の三猿は、明治時代に著名人を通じて世界に名前が知られるようになり、やがて、世界屈指の三猿像のひとつになってい申す。

さらにそれに拍車を掛けるように日光東照宮が世界遺産に登録されたことも三猿を世界的に有名にしたとも言え申す。

後述していますが、現在、このような3匹の猿を引き合いに出した思想は日本や中国のみならず、世界中に伝播しており、この三猿に込められた”教え(見ざる/言わざる/聞かざる)”そのものが評価を受けたことと比例して、この東照宮の三猿も評価を受けている背景があると推察でき申す。

伊勢神宮には神厩舎があって神馬もいる!なぜ東照宮には三猿がある?

実は日本人の総氏神とされる伊勢神宮の敷地内にも「神厩舎」があるですが、本物の馬(神馬)がいるにも関わらず、猿の影すらありんせん。

他にも日本には伊勢神宮とまでは行かずとも、有名な大社がいくつかあり申すが、山王信仰の鎮守「日吉大社」を除いたそれらの大社には干支の縁起物以外の猿の像や、猿の絵馬すらありんせん。

つまり、日光東照宮は極めて特殊な例だと言わざる(”言わ猿”…上手いっ!をえません。

ところで‥‥三猿の意味や由来(起源)とは?

ちょぃと下掲のパネルをご覧くだせぇな。

「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の彫刻

これら3匹の猿くんたちはそれぞれ異なる像容で表現されており、それぞれのポージングには意味が隠されてい申す。

これらの猿くんたちは無言で人生の教訓を伝えているものであり、見る者は像を見てその真意を悟る必要があり申す。

左端の猿の意味

左端には両耳を両手で覆っている。

意味:「聞かざる(聞か猿)」

人生の教訓:『悪いことを何も聞くな』

解釈:自分にとって害となる悪口や、噂話は聞くな。聞いても聞き流せ。
聞くと災いに巻き込まれたり、気持ちが滅入って悪い方へ物事が動いていく。

中央の猿の意味

中央の猿は両手で口を塞いでいる。

意味:「言わざる(言わ猿)」

人生の教訓:『悪い事(悪口)は言うな』

解釈:他人にとって害となる悪口や、噂話は言うな。
言うと、いずれ逆に自分に災いが跳ね返ってくるであろぅ。。ふぉっふぉっふぉっ…..

右端の猿の意味

右端の猿は両手で目を隠している。

意味:「見ざる(言わ猿)」

人生の教訓:『悪いモノは見るな』

解釈:自分にとって不利益なモノは最初から見るな。見たことで災いが降り注ぐようにやってくる。
そもそも見なければ”言わ猿”の概念すら無くなる=言うことも無い。悪いモノ(他人の悪事や中傷するモノ)。

以上をもって三猿の意味とは「3匹の猿の仕草に秘められたメッセージを紐解いて、その内容(答え)を教訓として実践することで、自らの身を守る助けとなり、人生を全うできるだろう」と言うことです。

三猿の起源や詳細は下記ページにて詳しく述べてい申す。

えぇっ?!実は、三猿ではなく、4匹目の猿がいて「四猿(しざる)」だった?!!

日光東照宮の三猿は、「三猿」としてその名を知られていますが、実は元来、4匹目の猿がいたと云われています。

と言うのも、上述したような三猿の思想は中国から日本に伝わった思想であり、中国では「4匹の猿」で1つの意味合いを成すセットだと言うのです。

中国の四猿が指し示すの意味や由来とは?

中国では4匹の猿を「四猿」と書いて「四猿(しざる)」もしくは「四猿(せざる)」と呼んでいます。

その意味とは、「せざる=しない(=浮気をしない)」と言うことです。

つまりこれは、「余りある欲は、災いをもたらす」と言った意味合いになります。

ちょぃと下掲の四猿の彫刻の画像をご覧くだせぇ。

四猿と書いて、『せざる』

いかがですかぃ?

どれが4匹目の猿か分かりますかぃ?

‥‥‥

‥‥‥

‥‥はい〜!残念無念!

正解は‥‥

一番右端の股間を両手で覆っている猿が「四猿」です。

しかし、日光東照宮の「神厩舎」の上には、どこにも4匹目の猿などいません。

これはいったい、どういうことでしょう??

なぜ日光東照宮には「四猿」が存在しないのか?

理由その1

日光東照宮は故人となった「徳川家康公」をお祀りするために建てられました。

つまり、見る者が失笑するような姿の四猿の像は、

「あまりにも品位にかけ、家康公が静かに眠る聖なる地に、ふさわしくなく、無礼である」

と考えられたことが原因であったとも言えます。

理由その2

日光東照宮は家康公が深く信仰した中国道教の思想が採り入れられ、その思想は境内の門や建物の彫刻などで表現されています。

その道教の教えによれば、人の腹の中には「三尸(さんし)」と呼ばれる3匹の虫が棲んでいるとされてい‥‥申す。

1年に6度ある「庚申の夜」になるとその虫たちが蠕き(うごめき)はじめ、睡眠中の人の身体から抜け出し、その人物の悪事やこれまでの罪を洗いざらいすべて天帝にブチまける(告げ口する)という故事があり申す。

三尸から報告を受けた天帝は、その罪の重さの度合いによってその人物の寿命を削り取ると云われ申す。

つまり、この「三尸」の故事を鑑み、「天帝に報告させない=寿命を削り取らせない」処置として、このような三猿の像(不見、不聞、不言)を据えたと考えることもできます。

もう少し分かりやすく言うと、三尸にこの三猿の像を見せることによって、その三尸にも三猿の教え(不見、不聞、不言)を学ばせて、天帝に告げ口しないようにしてしまおぅということです。

なお、道教は家康公が信仰した以外にも、天海僧正が僧籍をおいた天台宗の中核を担う天台教学の中枢にある教理でもありまする。(天台宗は”道教の里”とも呼ばれる中国の”天台山”がルーツ)

この事実を加味すれば、天海僧正が師であり天台宗の開祖である伝教大師(最澄)へ礼を尽くすために三猿像を神厩舎に配した‥‥とも考えることができ申す。

理由その3

「四猿」と書いて「せざる」と読みますが、その一方で「しざる」とも読むことができ、「四」が「死」を連想させ、「死猿」となることに縁起の悪さを意識して3匹にした。

‥‥という説もありまする。


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先生、質問っ!!「なぜ、三猿(8つの猿の彫刻)が神厩舎にあるの?」

理由その1:中国の陰陽五行説・五行相克に由来

実はあまり知られていませんが、日本には「陰陽五行説」と言う思想があります。

陰陽五行説とは?

「陰陽五行説」とは、中国の春秋戦国時代に成立した思想のことです。

陰陽五行説の教学によれば、天地の万物は「木、火、土、金、水」の五要素から成り立ち、それぞれの要素が作用し合うことにより生じるとされる思想です。

日本へ伝来した陰陽五行説は朝廷にもたらされ、陰陽師を通じ、「陰陽道」として天災や厄災を退けたり、回避する手段として用いられた占術でもありまする。

この陰陽五行説には「五行相剋(ごぎょうそうこく)」という考え方があり、これによれば

  • 「馬」は「
  • 「猿」は「

とされます。

上図をご覧になれば理解が進み申すが、馬は「火」なので、その火を消すことのできる「水」は「火」に勝つ存在でありまする。

陰陽五行説を通じてこの事柄を述べると、「馬に降りかかる火の粉(厄災・病気)は、猿が水の力で振り払うことができる」=「馬にとっての猿とは厄災や病気から守ってくれる瑞獣」だと位置づけられるということです。

理由その2:厩猿信仰に由来したもの

往時の日本の農家では、馬は牛と並んで農業を営む上で欠かせない労働力でした。

馬は叔母や娘が飼い慣らし、名前まで与えられ、まるで家族の一員のようにして大切に扱われていたのです。

しかし馬は動物なので人間とは身体の構造が異なり、身体に異常をきたしても治癒できなかったりすることが多く、馬がいなくなると、たちまち農業が立ち行かなくなり‥申す。

農家が農業ができなくなるということは自分たちの糧を失うことに相当し、死をも意味します。

このような恐怖心から農家を中心とした「厩猿信仰(うまやざる・まやざる)」なる信仰が生まれています。

特に東北地方には農家が多かったせいか、この信仰が根強く根張りし、猿のことを「招福猿」などと呼び慣わし、馬小屋(厩)で猿と馬を一緒に飼っていたようです。

岡山県を代表例とした西日本では、牛の飼育が盛んであったことも重なり、猿の頭蓋骨を「牛神様」と呼び慣わし、これを祭壇に祀ったり、厩の柱に吊るして崇拝する信仰があり‥申す。

厩猿信仰とは?

厩猿信仰(うまやざる)では、まず、馬の守り神とした猿を「厩神(うまやがみ)」として崇め、厩の柱の上に神棚などの祭場を設け、猿の頭蓋骨、もしくは猿の手足をご神体として祀りたてます。

ボンビー農家(訳:貧しい農家)では、猿の画像(絵)や猿を描いた絵馬などを厩の柱上や厩入口の頭貫などに貼り、お札として扱い、馬の魔除けとしていたようです。

しかし実際のところ、個人が生きている猿を飼うというのは世話や管理を想像して見ただけでも容易ではなく、そこで猿を連れてお祓いをする祈祷師までもが出現します。

また、四季折々で馬の健康長寿を祈念し、厩の周りで猿を舞わせる風習も生まれてい申す。

この風習は江戸時代中期になると大道芸の猿まわしとして庶民層の間で大流行し、現代にまで踏襲されていることになり申す。

国学者の柳田邦男は「この祈祷師が行なった猿を連れたお祓いこそが、猿回しの起源である」という見解を示していますが、信ぴょう性や根拠に欠けるものがあり、現在でも想像の域を出ない”説”とされてい申す。

山王信仰では猿は安産の神としても崇拝対象とされ、これが厩猿信仰と結びついたのか「馬の多産・軽い分娩で済む安産」の守り神としても崇められるようになり申す。

地域によっては馬頭観音を厩の中の祭壇に祀る農家もあり、他には馬が何らかの理由で死を遂げた際には、その場所に馬頭観音の像を建てて供養する風習もあったようです。

ちなみにこのような猿回しの起源とされるのが、鎌倉時代に編纂された著名な文献「吾妻鏡」の1245年(寛元3年)4月21日条に「左馬頭の足利義氏の猿が将軍の御前で舞い、観覧する人々を驚かせたという記述が残されていることから、鎌倉時代にはすでに猿回しが舞われていた事実を物語ってい申す。

厩猿信仰はいつから日本に定着した?

平安末期に成立した「石山寺縁起絵巻」の猿が馬と共に厩に繋がれた様子が描かれている絵図は有名ですが、この事実をもって平安末期にはすでに厩猿信仰が広まっていた背景が浮かびまする。

画像引用先:東京国立博物館

他にも、同様の年代に編纂された「春日権現験記絵」や「一遍上人行状絵巻」「厩馬図屏風」などにも厩猿が見られまする。

これらの図絵の中には、厩の中に「猿木」と書かれているものも見受けられるのですが、これこそが馬小屋で猿を繋いでいた証拠に他ならないものです。

平安時代末期(1180年前後)に後白河法皇により編纂された歌謡集・「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には、『御厩(みまや)の隅なる飼猿は 絆はなれて さぞ遊ぶ』なる一文があり、まさに平安時代の厩の中の様子を詠み語ったものです。

なお、このような厩猿信仰の起源は不詳とされていますが、「天竺から猿が飛んできて厩の御祓いをする」という説があるように、その起源は中国やインドにまで遡(さかのぼ)るとされています。

理由その3:えぇっ?!三猿は「日光東照宮の鬼門封じ」のために神厩舎に据えられた?!

日光東照宮の造営に際、プロデューサー(総指揮)となったのは僧侶の「南光坊天海(なんこうぼう てんかい)」です。

天海僧正は陰陽師としての側面も併せ持っていたため、家康公が静かに眠れるように、また、家康公の遺徳を後世にまで伝えるために、日光東照宮に様々な施策を施しています。

その施策の1つが、この「三猿」だと考えらえています。

しかしそもそも何故、神厩舎に三猿の彫刻があるのでしょう?

不思議ではありませんか?

別に神厩舎でなくとも、据え付ける殿舎は他にもたくさんあるハズです。

実はこれには深い理由があると考えられています。

それは、なんと!ちょうどこの「神厩舎の場所が日光東照宮の裏鬼門にあたる」と云われているからなのです。

「鬼門」とは?

「鬼門」とは「北東の方角」、つまり「艮(うしとら/丑と寅の間)」を指します。

「裏鬼門」とは?

裏鬼門とは「裏」なので鬼門とは真逆の方角という意味になり、これは北東の反対の南西の方角「未申(坤)/ひつじさる」を意味します。

つまり、天海僧正がこの裏鬼門を封じるために三猿を含めた「8つの猿」を神厩舎に据え付けたのだと考えられていることになり‥‥申す。

なお、天海僧正は天台宗に僧籍をおいた僧侶であり、その天台宗には「山王信仰」なるものが教学の中心にあって、猿を「真猿(まさる)」もしくは「神猿(まさる)」などと呼びなわらし、神として崇めていたことも理由に挙げられます。

理由その4:真猿・神猿(まさる)は「魔去る」に通じる

前述の山王信仰では、「真猿・神猿(まさる)」は「魔去る」「勝る」に通じるとして、古くから猿は大変、縁起の良い瑞獣だと信仰されてい‥申す。

この神厩舎に猿が用いられたもの神馬を守る存在であると共に、同時に鬼門をも封じる要(かなめ)的な役割とされたとも考えられ‥申す。

ところで「神厩舎」に猿の彫刻を彫った作者って誰?

実のところ、神厩舎に彫られている三猿を含めた彫刻は、作者はいっさい不明とされています。

ちなみに、日光東照宮で三猿と並ぶ人気者の「眠り猫」の彫刻に関しては、作者は「左甚五郎(ひだり じんごろう)」だという説が濃厚ですが、その左甚五郎も歴史上に複数人いるため、どの左甚五郎が彫ったものなのかが定かではありません。

実は日光東照宮が建てられた際、延べ20万人と言う腕利きの彫刻家がこの日光の地へ寄せ集められたと言うことで、三猿は特定の1人の彫刻家(作者)ではなく「複数人にも及ぶ合作」であったとされる説もあります。

そして、その他にもこんな説があります。

その説とは、なんと!

上述した眠り猫の「左 甚五郎」が三猿の作者ではないか?

‥‥という説です。

他にも天海僧正の師にあたり、天台宗の開祖でもある「伝教大師」その人が手彫りしたという説もあるのですが、‥‥‥あくまでも想像の域を出ない仮説です。

あなた様はどう思いますかぃ?

眠り猫の詳しい詳細については当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 関連記事:日光東照宮 眠り猫の意味・由来・歴史・伝説

えっ?!日光東照宮にはまだ他に猿の彫刻がある?

実は日光東照宮には、まだ猿の彫刻があります。

「えっ?!」と、思われたかもしれませんが、何せ、日光東照宮全体で5173個もの彫刻があるのです。

その中に猿の1匹や2匹いても何ら不思議ではありません。

で、その場所ですが「五重塔に1匹」「本地堂に2匹」「東廻廊に1匹」います。

是非、これらの猿くんたちを探してみて、神厩舎の三猿と比較してみてください。

三猿のお守りをお忘れなく!

日光東照宮では、この三猿に因んだお守りを授与されてい‥‥申す。

三猿(神厩舎)の付近にはお守りを授与されている場所があるのですが、ココでは下掲写真のような三猿をモチーフとした猿くんの姿が型どられたお守りを数種類、授与されてい‥‥申す。

三猿守りのご利益

三猿守りのご利益としては‥‥「身体健全」「厄除開運」「交通安全」「学業成就」「吉報祈願」などなど、様々でゴンす。

日光東照宮参拝記念に!お土産にぜひ!

ところで‥‥日光東照宮の三猿を英語で発音するとどうなる?

日光東照宮の三猿は世界的に有名と冒頭で述べましたが、いったい外国ではどのように言われているのでしょうか?

実は英語で三猿はこのように発音されてい申す。

『Three wise monkeys』

「wise」は「賢い」という意味のほか、「自分にとって都合が悪いことや余計なことを見たり聞いたりしない。他の人にも話したりしない。」などの意味合いがあります。

ゆえに「Three(3匹) wise(賢い) monkeys(猿)」と解され申す。

終わりに・・『三猿は誰に向けて発信したメッセージ(教訓)なのか?』

現在に至っては、これらの猿くんたちは無言で人生の教訓を伝えているものだと明らかにされていますが、ではいったい誰に向けたメッセージだったのか?

社参する代々の将軍たちへ向けたメッセージだったのか?

江戸時代の日光東照宮には一般庶民は陽明門まで入れなかった‥‥とされることから、現在と配置が変わっていないのであれば、陽明門の前の神厩に配置されたこの三猿は元々、大勢の人々に対して見せるつもりで、その他大勢へ向けたメッセージだったのか?

いずれにしても謎が付いてまわるのだが、この三猿のパネルは8枚据えられていて、8枚を通してストーリーになっている。

これは陽明門の奥に蟇股として据えられた眠り猫とは仕様が大きく異なるが、眠り猫同様、やはり観る者に対し、無言で訴えかけるメッセージを発信していると捉えられる。

それゆえ、この三猿を見る者は、3匹それぞれの猿くんたちが取るポージングを凝視して、その真意を悟る必要があるのです。

このように日光東照宮にはメッセージを表現したような彫刻がたくさんあります。

三猿に関しても一見、単なる木彫りの彫刻。

しかし、彫刻に残された謎や秘密を紐解いて行くことで、彫刻を作った人物の人物像や生きた時代の思想がイメージできます。

はたして、日光東照宮を建立した人たちとは、どのような人たちであったのか?

また、その人たちがどのような思いを込めて、この日光東照宮を建てたのか?

このように日光東照宮の歴史や、その時代背景など考え、理解を深めながら参拝することで、より深みのある参拝ができます。

無数にある彫刻を見ながら、遠い過去からのメッセージを紐解いていくと‥‥ほら、彫刻が少し違ったものにも見えてきやしませんかぃ?

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