日光東照宮 五重塔【重要文化財】
創建年
- 1650年(慶安3年)12月17日/江戸前期
再建年
- 1818年(文政元年)
重要文化財指定年月日
- 1908年(明治41年)8月1日
大きさ
- 四辺三間(約6m)
塔高
- 36メートル
重塔の数
- 五重
屋根の造り
- 銅瓦葺
彫師(彫刻担当)
- 後藤正秀
発願者(寄進者)
- 酒井忠勝(創建)
- 酒井忠進(1818年時)
行事
正・5・9月8日 五重塔法楽
日光東照宮の五重塔の歴史
日光東照宮の五重塔は、石鳥居をくぐった左側にある、美しい風貌を放つ塔で、国の重要文化財に指定されています。
しかし、この大変美しい日光東照宮の五重塔ですが、これは創建以来のものではないと伝わる。
日光東照宮の五重塔は実は創建年代が未詳!
日光東照宮の五重塔は今日、神君家康公の第33回御神忌(慶安元年/1648年)を奉祝し、1650年(慶安3年)12月17日に初代若狭小浜藩主(現在の福井県)・酒井忠勝によって寄進されたものと素敵に伝わ〜る。
これが今日までの定説とされてきたが、「東照宮 五重塔修理報告書」によると、再建された塔の先端、宝珠の刻銘に「慶安二年 十二月十七日」に創建、再建時に発見された銅板棟札には「慶安三年 四月十七日」の銘があり、いずれが正しいのかが問題視されてきた。
しかしながら、再建時に見つかった銘には何かしらの根拠に基づくものがあったとされ、現在では慶安二年12月17日が上棟日(まだ完全な完成ではない)、慶安三年4月17日は竣工(完全な完成)だと推定されている。
ただ、このように解釈すると創建年次は慶安二年になる。
日光東照宮の五重塔は「過去に一度、火災で燃え尽きていた?!」
折しも1815年(文化12年)の落雷による回禄にて焼失し、現在の五重塔は1818年(文政元年)に十代目の若狭小浜藩主・酒井忠進によって、ショっパリ素敵に再建されたものだと伝わ〜る。
火事があった根拠?五重塔の周囲の杉の樹齢が若い!
実は五重塔周囲に植わる杉は、さらにその周りの杉と比べると樹齢が若いことが明らかにされてい‥‥申す。あひゃ
この現象は自然現象では説明が付かず、今日に到っては樹齢年代測定などの結果に基づき、文化十二年の火事の折、周辺の杉が焼失し、これが回禄の事実の傍証とされてい‥‥ます。ふぅ。(耐)
日光東照宮の五重塔の大きさ(高さ)
日光東照宮の五重塔の大きさ(高さ)は36メートル、全国の五重塔の中では、6番目の高さを持つ塔だと素敵に伝わ〜る。
日本の五重塔「高さランキング」
- 教王護国寺(東寺/京都市):高さ 54.84メートル
- 興福寺(奈良):高さ 50.1メートル
- 法観寺(京都):高さ 38.8メートル
- 醍醐寺(京都):高さ 37.44メートル
- 備中国分寺(岡山):高さ 36.55メートル
- 日光東照宮五重塔:高さ 36メートル(寛永寺・仁和寺と並ぶ)
日光東照宮の五重塔の建築様式「屋根」隠された秘密
扇垂木
日光東照宮の五重塔は、摩訶不思議なことに一層から四層までが和様の「平行垂木」、五層は唐様(禅宗様)の「隅扇垂木(すみおうぎたるき)」となっており、これも東照宮の謎の一つとされる。
⬆最上層のみ屋根の裏側(垂木)が扇状(放射状)になっているのが見える
ちなにに「垂木(たるき)」とは、屋根を構成する構造材の一つであり、屋根の裏面にたくさん見える棒のことをいう。
この垂木の本数が多ければ「繁垂木(しげたるき)」、この本数が少なければ「疎ら垂木(まばらたるき)」などと呼ばれるのだが、この五重塔の垂木は繁るように多いので「繁垂木」になる。
寺社建築では、上⬆の写真で見ても分かるように垂木が二重に重なり合うようになっているのだが、これはあえてそういう組み方をしているものであって、内側の垂木を「地垂木(じたるき)」、外側の垂木を「飛檐垂木(ひえんたるき)」と呼称する。
実際は地垂木の上に飛檐垂木が乗って屋根を二重で支えていることになる。
とりわけ、この日光東照宮の五重塔の構造は、下記の心柱なども含め、重塔を持つ我が国の社寺群の中では類を見ない、極めて完成度の高い重塔だと云われる。
驚くべき「日光東照宮の五重塔の逓減率」の秘密
例えば法隆寺(奈良)の五重塔を代表例とした五重塔は、初層から最上層にかけて屋根の面積が小さくなる。
↑緩やかなAライン状になっているのがお分かりいただけるだろうか?
法隆寺の五重塔の例で示せば最上層は初層と比較して、およそ半分の面積しかない。
対して、この日光東照宮の五重塔は初層部から最上層まで、ほぼ一直線であり、一貫して屋根の面積が均一に整えられているのが分かる。
屋根の逓減率から分かる建立年代
通説では屋根の逓減率は初層部から最上層にかけて均一であれば比較的新しい時代に造られた塔であることを示し、逆に法隆寺の例に見られるように最上層にかけてピラミッドのようなAラインを描いていれば古い時代を示すとされる。
この理論に基けば、初層部から最上層まで一貫して面積が同じとされる日光東照宮の五重塔は比較的、新しい時代に建てられたことを意味し、然るに江戸時代に造営された傍証ともなり得る。
日光という土地の気候を意識して建てられた?
五重塔受付係の談によると、冬季が長ぃ日光では積雪量も多く、積雪の重みで屋根が傾いてしまわないようにと、屋根の面積を均一整えて建てられたらしい。
日光東照宮の五重塔の建築様式「心柱」隠された秘密
えぇっ?!日光東照宮の五重塔のど真ん中には、巨大な「木の柱」がブラ下がってる?!
日光東照宮の五重塔のど真ん中には「巨大な木の柱」がブラ下がっています。
この巨大な木の柱は、「心柱(しんばしら)」と呼び、その大きさは直径で60センチメートルもあります。
さらに、なんと!この巨大な心柱を宙に浮かすという「懸垂式(けんすいしき)」が採用されています。
懸垂式とは、ある物体を吊り下げることによってブラ下がったような仕組みをとることです。代表例に「懸垂式モノレール」があります。
この心柱は、屋根上にある相輪(そうりん)の底部分に付けられた鎖に接続する形で、四層目から吊るされている格好となります。さらに、底部は磯石から約10センチ浮遊させています。
日光東照宮 五重塔の「心柱」が宙に浮いている理由
心柱を浮かせる理由は大きく3つあります。
実は五重塔の屋根は、上から被せているだけなので、屋根を固定するための重石の代わりになるものが必要だったため。
屋根上に据えられている相輪(そうりん)が転けないように支えるため
地震が起きても簡単に塔身が倒壊しないようにさせるため
心柱を垂れ下げる理由
屋根の上から心柱を垂れ下げる理由は、地震の「横揺れ」「縦揺れ」に対しての振動を心柱を振り子にすることによってうまく逃がすことができるからです。
さらに、心柱の重さを最上部の大屋根で受け止めることによって、五重塔の内部を適度に密閉状態にすることが可能になります。
これは、五重塔で使用されている内部の木材が乾燥して干からびないようにキッチリと密閉する役割をしており、はたまた、屋根上の巨大な相輪(そうりん)を支える役目も担っているとされています。
日光東照宮の五重塔の屋根の「造りと役割」
日光東照宮の五重塔の屋根は、縦の柱となる木に凹みを作り、うまくハメ込んで、乗せているだけの格好となります。
固定されていないことで、地震が来た時に、屋根と柱の結合部が、柔軟に動くことになります。
すなわち、揺れても地面からの振動を吸収して逃がすことができるので、結果的には地震の間だけ揺れて地震がおさまれば、また元の形の戻ることができると言ったことになります。
五重塔の屋根をキッチリと密閉する理由
五重塔の屋根をキッチリと密閉する理由は、木材の性質を良く知っている者の手によって造られたことを実証する証拠ともなるのですが、木材とは伐採されても実は生きている(呼吸をしている)といいます。
これがどのようなことかといいますと、木材が年月を経ていくと言うことは気温差がある四季を歩むと言うことです。
四季を歩むと言うことは、「乾燥」や「湿気」にさらされるということになります。
乾燥や湿気が発生すると、木材は、凝縮したり、水分を含んで膨らんで柔らかくなったりします。
そして、塔身を構成する1つ1つの木材の大きさに変化が生じると、当然の如く「歪み」が生まれ、塔身がグラついてしまいます。
以上のことから、各部材の変化を少しでも軽減するために適度にキッチリと密閉することで、塔身を維持できるような構造になっているということです。
その他にも、万が一、塔身の変化が著しい時でも、心柱が五重塔の屋根を突き抜けることがないように工夫されているとも云われています。
「東京スカイツリー」の建設計画に日光東照宮の五重塔が応用されていた?!
ちなみに、この五重塔の免震機能は、なんと!、あの「東京スカイツリー」の地震制振システム(心柱制振)にも応用されているそうなんです。
これは東京スカイツリーの設計監修者でもある元東京藝術大学学長の「澄川喜一」氏の発表によるものです。
そして、この日光東照宮の五重塔の驚きのスゴさがまだあります。
実は、今も日本の人々の脳裏に悲惨な記憶として残る「3・11の大厄災」と呼ばれた「東日本大震災」の時も、この日光東照宮の五重塔は損傷がなかったそうなのです。
これはつまり、マグニチュード9.0という振動に耐えたことになります。
遠い100年以上も前の江戸時代に、ここまで考えて設計されて造られているのには、非常に、非常に!驚きです。
日光東照宮の五重塔の干支の彫刻の歴史・由来
五重塔の一層目の蟇股(かえるまた)には、東西南北の四つの面に日光・富田宿(とんだじゅく)の名工・後藤正秀が手掛けた「十二支の彫刻」があります。
蟇股(かえるまた)とは?
カエルが足を広げたような木材の部品のことを言います。
蟇股は何もこの日光東照宮の五重塔だけではなく、神社仏閣の建物の屋根を支える部材として幅広く採用されています。
古式の蟇股は中央で2つに分かれる仕様であり、その上、装飾がないのが特徴です。
しかし、日光東照宮の境内ではこの五重塔のみならず、ほとんどの社殿の蟇股には極彩色で彩られ、股下部分には精巧な透かし彫り見られます。
蟇股はおよそ安土桃山時代を境として、部材というよりは建物の装飾として変貌をとげ、江戸時代以降の蟇股は精巧な透かし彫りや極彩色が施されている例がほとんどです。
しかし、この十二支の彫刻にも多くの謎や秘密があり、現代まで解き明かされていない「日光東照宮の七不思議の一つ」と言われています。
日光東照宮の五重塔の干支の彫刻の配置図
「東側(五重塔正面)」の動物の彫刻:虎、兎、龍
徳川三代将軍・家康、秀忠、家光の干支に合わせているとされています。
南側の動物の彫刻:蛇、馬、羊
「西側の動物の彫刻:猿、鶏、犬
「北側」の動物の彫刻:猪、鼠、牛
ご紹介したとおり、東面に「虎・卯・辰」の干支が彫刻されているのですが、これは、偶然にも徳川三代将軍である家康・秀忠・家光の干支になっていると言います。
- 虎は「徳川家康」
- 兎は「徳川秀忠」
- 龍(辰)は「徳川家光」
日光東照宮・五重塔の特徴「干支の装飾は謎だらけ」
歴代の将軍の順番で干支が並んでいる?!
実は、この徳川三代将軍の干支に合わせられたとされる動物が「虎→兎→龍(辰)」の歴代の将軍の順番に右から並んでいるといいます。
実際に上⬆の写真を見れば分かりますが、そのとおりになっています。
「虎・龍」の彫刻の組み合わせは五重塔だけ?!
東照宮には「虎・龍」の単独の彫刻はありますが、組み合わせになっているのは、この五重塔だけとなっています。
「鼠、蛇、馬」の動物の像・彫刻も五重塔だけ?!
さらに、東照宮には「鼠、蛇、馬」の動物の像・彫刻が、この五重塔以外にはありません。
日光東照宮五重塔の内部拝観について
日光東照宮の五重塔は、初層部のみ扉が1つ開扉されていて、中を覗き見ることができます。
ただし、別途、以下のような拝観料金が必要になります。
料金:一般300円、小学生200円
※いずれも団体割引の適用なし
内部拝観の入場料金の支払いについては、五重塔を向かい見て左脇にある受付で行います。
なお、五重塔を内部拝観すると、漏れなく記念品の「五重塔とスカイツリーのデザインのクリアファイル」が1枚、進呈されます。
夏休みに拝観料が割引になることがある?
2019年の例だと、7/20~8/30までの間、小学生通常200円→100円/小学生の同伴家族等通常300円→200円の割引が実施されていた。
その上、参拝者には漏れなくクリアファイル1枚が記念品として進呈された!
日光東照宮五重塔特設ステージ
日光東照宮の五重塔では特設ステージが設けられることがあり、コンサートやイベントが開催されることがあります。
過去の例を挙げれば、寺尾聰、ゆず、クリス・ハート、モンゴル800などの著名な歌手や、オーケストラでは東京スカパラダイスオーケストラなどのリサイタルも開催されています。
コンサートやイベントについての情報は日光東照宮のホームページでも掲載されていますので、気になる方は要チェック💘
日光東照宮五重塔の場所(地図)
五重塔は東照宮の正面玄関となる石鳥居をくぐった先に位置します。
ちなみに、この五重塔が建つ場所は拝観料無料エリアです。(表門の先から有料)
五重塔の入口に設けられた受付で拝観料金を払うだけで内部拝観できます。