日光山輪王寺・大猷院「仁王門」【重要文化財】
- 創建年:1653年(承応2年)
- 高さ:3.2メートル
- 大きさ(規模):三間一戸
- 門の様式:八脚門
- 屋根の造り:切妻、銅瓦葺
仁王門の読み方
仁王門(におうもん) 最近、風呂3日に1回….おケツ”におうもん”
仁王門の名前の由来
「仁王」の名前が示す通り、この門の左右の間口には仁王像が安置されることから、仁王門と呼ばれまする。
大猷院仁王門の役割
この仁王門は日光山輪王寺大猷院の正門であり、1653年(承応2年)に大猷院が造営された際に建てられた門です。
大猷院は1651年(慶安4年)に2代将軍・家光公が逝去した後、家光公の遺言により、当地に造営されてい‥‥‥申す。ギャハっ
家光公は臨終の際、「死後に至ってはこの魂、日光山中に鎮まりて東照公のお側近くに侍り仕えまつらん」との遺言を残していまする。
大猷院は驚くべき速さで完工を迎えた
大猷院はわずか1年と2ヶ月あまりで完工しており、これは東照宮の約2年と比較してみても驚くべき速さです。
大猷院仁王門は世界遺産「日光の社寺」に登録を受ける構成資産の1つであり、左右に延びる袖塀を含め、世界文化遺産および、国の重要文化財の指定を受けていまする。
大猷院・仁王門の造り
両妻流破風造り
仁王門の特徴の1つであるのが、両側の妻が流破風造りになっているのが特徴的です。
これは正面からは分かりづらいので左右(東西)へまわりこんでご覧ください。
彫刻
欄間の透かし彫り彫刻も必見!
外観としては、下部は全体的は朱色を基調として仕上げられており、上部の支輪(しりん)は金色、それ以外は黒漆塗りで仕上げられています。
屋根を含めた上部は漆黒の黒漆に金色の飾り金具が用いられていることから、どこか重厚感が漂いまする。
三棟造り
仁王門の内部は大屋根の下にさらに2つの屋根が配された三棟造りになっています。
三棟造りは法隆寺の東大門や東大寺の転害門(てがいもん)、宮島・厳島神社の本殿でも見られるような古式の様式です。
このような古代の寺院の建築様式を得意としている大工が、幕府の作事方筆頭・大棟梁の甲良宗広(こうらむねひろ)です。
日光東照宮にはこのような古代の建築様式をわざわざ採り入れて建造されている様子が随所で散見されまする。
雁の蟇股
それぞれの小屋根内部には、雁が装飾された蟇股がみえまする。
大猷院・仁王門の見どころ
仁王門をくぐり抜けた先の床石に注目!
仁王門をくぐり抜けると二天門が見えまするが、特に降雨の翌朝のような湿気を含んだ空気が多い時、床石が青色や赤色が混じった君の唇のようなセクシーな床石が現れまする。
実はこの床石、神奈川県根布川(ねぶかわ)産の石で、水に濡れると赤や青に変色することで知られています。
2体の仁王像
この仁王門には阿吽(あうん)2躯(体)の仁王像が安置されています。
阿吽とは、口を開けた仁王像と口を閉じた仁王像という意味でゴザる。
密迹金剛力士(口を開いた阿形)
「みっしゃくこんごう」と読みまする。怒りの形相をしていまする。
持物として、手に金剛杵(こんごうしょ)という武器を持ち、仏(釈尊)を警護する鬼神とされていまする。
1体のときは「執金剛神 (しゅうこんごうじん)」とも呼ばれる。
那羅延金剛力士(口を閉じた吽形)
「ならえんこんごう」と読みまする。
上記、密迹金剛と比べると表情がおだやかですが、これは内にさらに激しい忿怒の形相をもつと云われ、表情に出すとあまりにおぞましいことから、おだやかな表情で造形される例がほとんど。
厳密にはこの仁王像は「那羅延天(ならえんてん)」と呼ばれる天部の護法善神です。梵天・帝釈天(たいしゃくてん)とともに仏教を守護していまする。
大力の持ち主であることから、星霜経て、密迹金剛力士とともに金剛力士に属するものとされています。
ちなみに「阿吽の呼吸」という言葉の語源は、これらの2体の天部が由来になっている云われます〜る。
仁王門を拝観するには拝観料金が必要!
大猷院は有料です。拝観料金が必要になりまする。
この仁王門は大猷院境内に入口に建つ門ですが、仁王門の前に拝観受付が設けられているため、残念無念ながら拝観料金を支払う必要がありまする。