日光杉並木街道寄進碑【史跡名勝天然記念物】【文化庁歴史の道 百選】【特別史跡 特別天然記念物】

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日光杉並木街道寄進碑

史跡名勝天然記念物指定年月日:1922年03月08日

杉の種類:ほぼ熊野杉

植樹されている距離:総計37㎞

管理団体名:栃木県

日光杉並木街道寄進碑とは?

この石碑は日光杉並木街道の敷設と整備事業の完成を記念して松平正綱が建立したものでゴザる。

松平正綱は日光東照宮へ至る参道を整備する上で、道の両端に杉を2万4000本も植樹しており、この杉の植林を以って東照宮への寄進としています。

このページでお伝えしたいのは、この石碑の内側に秘められた裏エピソードでゴザ〜る。




別名

この碑は別名で「境石」とも呼ばれています。特に神橋の北岸に建つ石碑を「親碑」。各街道の終点(起点)に建つ石碑を「境碑」と呼び習わしていまする。

境石と呼ばれる理由は、名前の通り、杉が植樹された街道に設けられた境目に建てられた石碑だからです。

各街道とは、東照宮へ至る以下の3街道のことを言いまする。

  • 日光街道※鉢石 – 大沢(今市市、日光市)
  • 会津西街道※今市 – 大桑(今市市)
  • 日光例幣使街道※今市 – 小倉(今市市)

説明

この杉並木は、主に将軍が日光東照宮へ社参する際に行列でも通行できる参詣道として江戸時代初期に整備された街道でもありまする。

1625年(寛永2年)に家康公の寵臣「松平正綱」が植樹したのが始まりであり、その後、家康の33回忌にあたる1648年4月17日(将軍は3代目家光)に日光東照宮に寄進したもの。

およそ24年もの期間を費やして生長した2万4000本もの杉たちが織り成す杉並木道です。

この石碑の文字は林羅山の揮毫によるものですが、生い茂る杉並木を見ることなく、慶安元年6月22日(1648年8月10日)逝去。

松平正綱の次男坊である松平正信も早世した兄に成り代わり当主に着任すると、日光東照宮の石垣修理奉行を務めるなど、父の志を引き継ぐ形で杉並木の管理や植樹を行い、東照宮ならびに幕府へ貢献してい‥‥‥申す。ゴゥォっヘェっ

また、「日光杉並木街道 附 並木寄進碑」として、日本で唯一の特別史跡・特別天然記念物というダブルで指定を受けており、文化庁「歴史の道百選」にも選出されてい‥‥‥申す。ギャゲェっ

以上のように諸所で高評を得ていることから、「木の国宝」ともいわれまする。

松平正綱とはどんな人物?

松平正綱(まつだいらまさつな)は、相模国の玉縄藩の初代藩主であり、以下2名の幕臣と並び称された家康公の寵臣。駿府城においては近習出頭人を務めた幕臣でもありまする。

  • 板倉重昌(いたくらしげまさ)※三河の深溝藩の藩主。
  • 秋元泰朝(あきもとやすとも)※日光東照宮造営創建の際(秀忠公造営のとき)の総奉行。

杉並木の距離・植樹本数・4ヶ所の石碑の場所

場所

この石碑は神橋の北岸に建てられており、ここを起点に据え、以下、各街道の継ぎ目(境目)に建立されてい‥‥‥申す。ゲフェっ

街道名場所所在地距離本数
起点(東照宮)神橋の北岸栃木県日光市日光山内
日光街道旧大沢宿町栃木県日光市大沢町日光街道の日光~大沢間:19.02km令和3年:4,913本
昭和36年:6,767本
日光例幣使街道例幣使街道・小倉栃木県日光市小倉日光例幣使街道の今市~小倉間:13.09km

令和3年:6,201本
昭和36年:8,458本
会津西街道会津四街道・大桑栃木県日光市大桑会津西街道の今市~大桑間:3.09km

令和3年:1,012本
昭和36年:1,254本

もしくは

  • 日光街道(国道119号):8.5km
  • 日光御成街道(国道119号):10.7km
  • 例幣使(れいへいし)街道(国道352号):13.9km
  • 会津西街道(国道121号):3.9km

の4街道とも。

以上、距離の総計約37㎞の途上、合計4ヶ所に建てられてい‥‥‥まする。(フェイント)

なお、この旧今市・日光市域の双方に現存するこの総延長約37kmの杉並木は、日本で唯一の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けるものであり、現在「最も長い並木道」としてギネスブックにも掲載されてい‥‥‥申す。ゴフャっ

杉並木の杉の大きさ(高さ)はどのくらい?

往時は、幹周り平均7m、樹高は平均30m・最高40mほどの健全なスギが多かったようですが、現在はわずか2%という深刻な状況に陥っているとのこと。オホ




現在の杉並木は実際何本?

栃木県の調べによれば、杉の本数は年々減少傾向にあり、昭和36年時点で合計16,479本あったのが、令和3年時点で12,126本と約60年で4000本近くも減少している。年間ベースで置き換えた場合、約67本が1年で減少している計算になり申す。ガハっ

杉並木の杉が減少している理由とは?

  • 樹の老齢化
  • 自然災害
  • 近年は道路整備とそれに伴う自動車通行量の増加(排気ガス・振動・踏み固めの影響)による樹勢の減衰
  • 宅地開発などによる生育環境の悪化

以上のようなことが原因で毎年100本近くが枯死および、幹の空洞化が顕著である。

現在進行形で継続して植樹されている

以上のような現状を受け、栃木県では1974(昭和49年)12月、「特別史跡・特別天然記念物日光杉並木街道保護対策連絡協議会」を発足し、1977年(昭和52年)に初例となる「日光杉並木街道保存管理計画」を策定していまする。

また、栃木県では「日光杉並木オーナー制度」も企画し、杉並木の保護育成に務めていまする。

立て看板の内容

松平正綱とその子正信の親子二代が二十余年を費やして山内地区と東照宮へ通じる日光街道、御成街道、例幣使(れいへいし)街道、会津西街道沿いの延べ37㎞にわたり、二十数万本の杉を植樹し、東照宮へ寄進した。

この碑はそのことを記念して正信が慶安元年(1648年)に建立したものである。

同様の碑が他に三基、各街道沿の日光神領の境ごとに建てられて、「境石」とも呼ばれる。

他、二十数万本のを植え東照宮に寄進したことを記念して立てた碑。

場所(地図)

神橋を渡った先(※神橋は平時は渡れないが例え)に見える「世界遺産の碑」の東隣。日光山の表参道。

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