「勝道上人像」|日光東照宮(日光輪王寺)

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日光東照宮(日光輪王寺)・ 勝道上人像

造立年

  • 1955年(昭和30年)
大きさ

  • 像高:2.1m
  • 台座の高さ:3.6m
  • 台座の重さ:31t(推定)
材質

  • 銅(像)
  • 黒硝子石(台座)
作者

  • 新関国臣彫刻家

「勝道上人」の読み方

勝道上人は「しょうどうしょうにん」と読みます。




 勝道上人像の歴史

日光東照宮が位置する日光山内の入口となり「神橋(しんきょう)」の付近に位置する日光山輪王寺の入口付近に建つ大きな像です。

この銅像は、日光山中禅寺に安置されている「勝道上人立像」が原型となっており、日光山の「開山1200年」を記念して「日光市市制記念事業」の一環として造立された銅像です。

作者は彫刻家の巨匠「新関国臣」氏です。

像が立つ巨石には「日光開山 勝道上人之像」と彫られています。

手には錫杖(しゃくじょう)という杖を持ち、彫りの深い厳しい表情をしています。

像の足元の巨大な岩は日光山内の「憾満ヶ淵(かんまがふち)」で拾ってきた岩だそうです。

この日光東照宮は江戸時代初頭に造営され、以後、現在に至るまで繁栄を誇ってきたイメージがあります。

しかし、実は奈良時代に勝道上人が「紫雲立寺」を創建し、現在に至るまでの日光山の礎を築いたことが始まりとされています。

ちなみに余談とはありますが、2016年(平成28年)は勝道上人が日光山を開いて1250年の節目となります。

そんなことから、なんと!日光山・中尊寺では自寺に安置されている勝道上人立像の修繕が執り行われ、初の一般公開されています。

ご興味のある方は是非!日光山・中尊寺まで足を運んでみてください。

期間:平成28年4月29日(金)より常設として公開
場所:日光山中禅寺 立木観音
入場料金:中禅寺拝観券(大人:500円・小人:200円)

 

【補足】勝道上人の生涯

735年

現在の栃木県真岡市に生を得て、殺生を嫌い、自然を愛し、山林での修行を行う、そんな子ども時代を過ごしていました。

7歳の時には「大人になったら日光山を開くように」という夢のお告げを受けたといいます。

766年

「二荒山(ふたらさん、現在の男体山)」に向かって拝していると、突如、「4本の紫の雲」が現れ、二荒山に向かってたなびきました。

これを見た勝道上人は、雲の出所は「4体の神が守護する地」だと感じ、「紫雲立寺(現在の四本龍寺)」を建立しました。

現在は観音堂と三重塔のみの小さなお寺ですが、奈良時代・平安時代にはこの四本龍寺こそ日光の中心地であり、日光の繁栄は四本龍寺から始まったとも言えます。

四本龍寺には、「紫雲石(しうんせき)」という石があり、4本の雲はこの辺りから出ていたと云われております。

767年

後に二荒山神社の別宮・本宮神社となる祠(ほこら)を建てました。

また、生きとし生ける物の幸福を願い神々に会うために二荒山の登頂に挑戦しますが、雪や霧に行く手を阻まれて失敗しています。

781年

二荒山登頂に再度挑戦しますが、これまた失敗に終わってしまいます。

782年

3回目の二荒山登頂挑戦を決意します。

この時は山麓にしばらくとどまり、以下のような日光山の神々に入念な祈りを捧げます。

「私は日光山に登り、生きとし生ける物の幸福を願い、あなた(神々)のためにお勤めをしたい」

「失敗すればもう二度と登ろうとはしないので、今回だけは(神々に)お助け願いたい」

こうして3度目の正直で無事に祈りは神々に通じ、願いが聞き届けられ無事に山頂に辿り着くことが叶います。

二荒山の山頂に立った勝道上人は素晴らしい眺めに感動し、1か月ほどとどまって山の神々のために深く感謝を捧げ礼拝をしました。

この時建てられたのが、二荒山神社の奥宮だと云われております。




784年

再び二荒山に入り、今度は中禅寺湖を遊覧しました。

その際、湖上に「千手観音」を見たということから縁を感じ、自ら立木に「十一面千手観音像」を彫り、それを本尊として中禅寺を開いたと云われております。

817年

四本龍寺北側にある岩窟で、弟子たちに見守られながら83歳でこの世を去ることになります。

ちなみに、この岩窟の場所は輪王寺所属の「開山堂」が建立され、お墓も現存しております。

尚、勝道上人に関して現存している資料が乏しく、勝道上人の生涯や功績などが様々な形で伝承されておりますが、現在の日光の繁栄の礎となったことだけは疑いようのない事実のようです。

勝道上人像の前の龍の水盤にも注目!

勝道上人像の前には年季が入ってそうな龍の水盤が置かれています。

この水盤の正面には次のような刻銘がみられます。

『宇都宮市 有志者中 明治三十年 岡崎雪聲』

この意味を紐解けば以下のようになります。

「この水盤は1897年(明治30年)に宇都宮市の有志者たちが奉納した。水盤の作者は岡倉派の彫刻家「岡崎雪聲(おかざきせっせい)」である。」

勝道上人像の場所(地図)

勝道上人像は日光山の入口、神橋の付近に位置します。

付近に勝道上人像に因んだ「世界遺産めぐり循環バス」の「勝道上人銅像前バス停」があります。

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