日光山輪王寺「常行堂(2つ堂)」【重要文化財】

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日光山輪王寺「常行堂(2つ堂)」【重要文化財】

創建年

  • 848年(嘉祥元年)頃 ※輪王寺寺伝による

※他説では1100年代/平安時代後期の創建という説もある。

再建年

  • 1619年(元和5年/江戸前期)
建築様式(造り)

  • 宝形造
  • 向拝付き
屋根の造り

  • 銅瓦葺
大きさ

  • 桁行五間(奥行:約10m)
  • 梁間六間(横幅:約12m)
  • 向拝:約2m
御本尊

  • 宝冠五智阿弥陀如来像(重要文化財)
重要文化財指定年月日

  • 1944年(昭和19年)9月5日
行事

  • 正月1日~7日 修正会

輪王寺「常行堂」の読み方

輪王寺は「りんのうじ

常行堂は「じょうぎょうどう

常行堂の別名

この常行堂は名前の通り、「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」と称する修行を修する道場であったことから、別名で「常行三昧堂」とも呼ばれることがある。




日光山輪王寺「常行堂」の歴史・由来

この日光山は勝道上人が766年(天平神護2年)が大谷川北岸(現在の神橋の川岸)に草庵を築き、修行の最中、紫の雲がたなびくという不思議しぎしぎ摩訶不思議な瑞祥が訪れます。

その紫の雲は現在の滝尾神社付近の紫雲石に宿り、霊験に感得した勝道上人はこの石の近くに「紫雲龍寺(現在の四本龍寺)」を創建します。これが日光山の開創とされてい‥‥‥申す。ギャハっ

以来、日光は山岳信仰、修験道、神道などが結びつき、神仏が習合した聖地として発展を遂げます。

その発展の途上、慈覚大師・円仁が来山した際に築かれたのが、この常行堂です。

この常行堂は台密に所属する円仁が築いたとだけあって、台密の総本山たる比叡山延暦寺の「西塔・にない堂」を模して造営された堂宇(お堂)となりまする。

天台宗と日光の結びつきはいつから始まった?

慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)は、794年(平安時代)に下野国(しもつけのくに/栃木県)にて、壬生氏の氏族としてこの世に生を得ています。

なんでも円仁が生まれた直後にお空には吉兆を告げる紫色の雲がたなびいたとか。

しかもちょうど何の因果か、平安京が成立した年の生まれでゴンす。

円仁は802年に下野の大慈寺に入山し、15歳のときに比叡山(ひえいざん)の伝教大師・最澄(さいちょう)に師事します。

838年には遣唐使として、遣唐使船に乗り込み、中国唐へ訪れています。

帰国後、叡山へ一度戻り、今度は台密(天台密教)を広めるために、関東地方や東北地方を中心に練り歩きます。最終的に円仁が創建するなどの関わった寺は関東に209寺、東北に331寺を超えるといわれます。

その中の1つに満願寺(現在の輪王寺)があり、有名どころでは、浅草の浅草寺や、平泉の中尊寺があり申す。

輪王寺の寺伝によれば、829年(天長6年)〜833年(天長10年)頃に、慈覚大師・円仁は満願寺へ入山し、天台密教を布教しまくります。

円仁は遣唐使として中国に渡った実績があることから、知名度もあり、人気もありました。そんな円仁が日光山へ入ったことにより、天台宗が日光へ広まりをみせます。(この当時の日光は山岳信仰や修験道の修行の場とされていた。日光修験は有名。)

日光で天台密教が広まるのを見て、まずは常行堂の隣地に建つ法華堂が創祀されます。輪王寺の寺伝よると、この常行堂は848年(嘉祥元年)に円仁の手によって、比叡山延暦寺の「にない堂」を模して、建立したとのこと。法華堂が先に建てられたのだとするならば、848年以前かそのあたりということになり申す。

また、円仁は千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の三仏(日光三所権現本地仏)を日光市野口にある山王社(現在の日枝神社)に勧請してい‥‥‥申す。(つまり山王社は現在の三仏堂のルーツということになる)

しかしながら、現在見ることのできる姿は、1649年(慶安2年/江戸時代)に再建された時の姿ですが、この再建では創建より踏襲される姿形を可能なかぎり模して復原するように再建されてい‥‥申す。

それゆえ、この法華堂はじめ、常行堂、これらをつなぐ渡り廊下となる「渡廊」までもが重要文化財指定を受けるに至りまする。

円仁の帰国後の奇跡

円仁は帰国後、3代目の天台座主(てんだいざす=天台宗のトップ)に就任し、事実上、天台宗山門派の始祖となってい‥‥申す。

健脚の持ち主であり、はたまた大変な行動力の持主と伝えられてい‥‥申す。グハっ

円仁が創建・再建・復興したと伝わる寺院は関東・東北だけでも500以上あると云われます。

日光山縁起に登場する神々一覧
日光三山日光三社権現日光三所権現日光三所権現本地仏(三仏)日光三神
女峰山(※母)滝尾権現女体権現阿弥陀如来田心姫命(母神)
二荒山(男体山)(※父)新宮権現男体権現千手観音大巳貴命(父神)
太郎山(※子)本宮権現(太郎権現)太郎大明神馬頭観音味耜高彦根命(子神)

※滝尾権現、新宮権現、本宮権現は、明治初年の神仏分離により、滝尾神社、日光二荒山神社、本宮神社へと置き換えられています。

1186年(文治2年)には源頼朝が下野国寒河郡の田地15町を日光山三昧田として常行堂へ寄進していまする。

常行堂は世界遺産!

この常行堂は、「日光の社寺‥‥」の世界遺産の1翼を担う存在であり、隣地に建つ法華堂とこれらをつなぐ、渡り廊下である「渡廊」も同様に世界遺産の1つです。うきゃ

日光山輪王寺「常行堂」の建築様式(造り)

一般的には「常行堂は和様建築」で造営され、「法華堂は唐様(禅宗様)建築」で造営されていると云われます。

このような稀有な造りの堂舎は天台宗の寺院特有のもので、日本中を探しても「比叡山延暦寺・西塔のにない堂」と、この輪王寺・2つ堂のみと云われます。

屋根は中心から四辺四隅へ4枚の三角の屋根板が流れる「宝形造り」が用いられてい‥‥申す。

常行堂を一目見て、目がいく構造材としてが軒下の緑色をした支輪(しりん)と呼称される斜め格子の飾りがありまする。

壁面の組みあげ方が分かりにくく、他ではあまり見られない様式をしています。

その他に特に注目すべきは「扉」と「木鼻」です。

常行堂の方は一般的に和様建築と伝わっていますが、扉はなぜか数枚の板を張り巡らした桟唐戸(さんからと)の「折れ扉」になっています。

↑常行堂の桟唐戸と折れ扉

桟唐戸は唐様(禅宗様)の典型的な造りとなり、これは鎌倉期に大陸から伝来した建築様式です。

また框(かまち)と呼称される「枠」を扉の四辺へ張り巡らせ表面部分に据えられており、これは隣の法華堂と類似した扉と言えます。

また木鼻(拳鼻)も唐様(禅宗様or大仏様)で見られる渦状の形状をしています。

↑龍の蟇股の下「網目状の支輪」に貫端(右端)「渦状の木鼻」




日光山輪王寺の「2つ堂」とは?

「2つ堂」とは、2つの同じ形をした堂舎を「2つ堂」と言いまする。

日光山輪王寺には「常行堂」「法華堂」と言う、2つ連なった珍しい形状の堂舎が、ちょうど大猷院の参道入口あたりに建立されています。

同じ大きさの2棟の堂舎が渡り廊下で繋がっており「二つ堂」あるいは「天秤(てんびん)」に見立てて「担い堂(荷い堂/にない堂)」とも呼ばれてい‥‥申す。

なお、2つのお堂と渡り廊下(渡廊)は、それぞれ国の重要文化財に指定されています。

円仁が「2つ堂」にして建立した理由

円仁の考えというよりは、台密としての教理の中に、阿弥陀如来を本尊とする常行堂と、普賢菩薩を本尊とする法華堂とが、渡り廊下によってつなぎ合わされることにより、天台宗の教理の1つである法華一乗と念仏が一体化した様子を表現していると云われるからです。(天台宗は正式名を「天台法華円宗」という)

常行堂の本当の創建年はいつ?

常行堂は848年(平安時代初期)、円仁が輪王寺(当時の寺号は”満願寺”)へ入山して創建され、その後、1100年代に再建されたという説があり申す。

しかしながら、円仁が輪王寺を訪れたという話は俗説との見方があり、実際は1100年代に創建されたとも考えられています。

なお、この常行堂は創建された場所は現在の場所ではなく、現在の日光二荒山神社の本殿が建つあたりに建っていました。

ところが、1619年(元和5年)に日光二荒山神社の新宮(現在の本殿)が造営されることになり、2代将軍・秀忠公により、現在地に隣地に建つ、法華堂とともに移築されています。

「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」とは?

常行三昧とは、飲食、大小便、乞食以外のほぼすべての時間は堂内にて行法にあって、仏(阿弥陀仏)の周りを歩きながら90日間に渡って念仏を唱える「常行三昧」という修業を行うために造営されています。

現に本尊が安置されている「須弥壇(しゅみだん)=豪華な台座(仏壇)」の周りには、歩き回るための通路があります。

現在では正月に修正会が行われていたり、鎮守国家や日本国民全体の幸福を願う祈祷が執り行われています。

常行堂(常行三昧堂)では1145年(久安元年)に、この行法が開始されています。

常行三昧の起源は、中国唐です。円仁は中華人民共和国山西省忻州市五台県にて五台山を巡礼し、中国天台宗の天台大師から念仏三昧法を伝授されていますが、常行三昧はその一部になり申す。

このような常行三昧の修法は当時の日光に受け入れられることになり、やがて関東はもとより東北地方へも広まりを見せることになり申す。

なお、現在の常行堂は回向の道場にもなってい‥‥申す。
※注釈※=回向とは自分の積んだ功徳を、他者に回し向けることを言います。(先祖供養・水子供養など)

それゆえ、堂内では回向の申し込みを行ってい‥‥‥申す。ノハっ

常行堂の回向についての詳細は下記、常行堂(輪王寺)の公式サイトをご覧くだすわぁぃ

常行堂の内部

常行堂を入ると中央に大きく煌びやかな金色の須弥壇が設置されている様子が分かると思いまする。

⬆️朱漆を基調とした折り上げ小組み格天井と中央に須弥壇が佇む。(画像は輪王寺公式より)

 

中央の須弥壇は柱こそ朱色の単色なれど、その上部となる天井付近の組物などは極彩色で彩られ、まるで極楽浄土の様相を醸す。

常行堂の御本尊「宝冠五智阿弥陀如来像」

※堂内は写真撮影禁止です。写真はお借りしたものです。

常行堂の御本尊「宝冠 五智阿弥陀如来像」は平安時代末期、1100年代の作品と言われ、鳥獣座となる孔雀(クジャク)の背に乗ってい‥‥申す。

脇侍の四菩薩像も蓮座と孔雀に乗っており、このスタイルも、阿弥陀如来像が四菩薩像を従える「阿弥陀五尊像」という組み合わせも、たいへん珍しい如来像です。

孔雀は毒蛇を食べることから神格視され「邪」を祓う吉鳥とも言われており、インドでは国指定の国鳥(国を象徴する鳥)とされています。

なお、上記の常行堂の御本尊と脇侍、5体合わせて1944年(昭和19年)に国の重要文化財に指定登録されています。




宝冠 五智阿弥陀如来の脇侍

五智阿弥陀如来の脇侍として以下の4仏が配されてい‥‥‥申す。

  • 四菩薩(金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩)

これら4仏も同様に孔雀の背中に乗ってい‥‥申す。グホっ

上記、4仏が配された理由

天台密教にも真言密教と同様、「金剛界曼荼羅」が存在しますが、なんでもこの曼荼羅は円仁が中国唐の長安で、代価6千文でにて絵師・王恵に描かせたものになるようで、その図様の一部を再現したものになるとのこと。オホ

常行堂の後戸の神「摩多羅神」

常行堂には、まだ他に「後戸の神」と称される神さまが奉斎されてい‥‥申す。

「後戸の神」とはあまり聞き慣れない名前でありまするが、お堂の背後の入口に鎮座する門神のことであり、「摩多羅神(またらじん)」のことです。

常行堂には、ご本尊の真後ろにも入口があることから、後戸から悪いモノが侵入しないよう、ご本尊を守護するために護法神として、摩多羅神が配されてい‥‥申す。

「摩多羅神」とは?

摩多羅神とは天台宗における「常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)」の守護神でゴザる。

念仏の守護神とされ、慈覚大師・円仁によって、中国唐より平安時代に日本へ持ち込んでいまする。台密では、最高秘密の伝法である「玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)」の祀神でもありまする。

常行堂の内部へは入れる?

この常行堂のみであれば拝観料無料で入堂することが可能です。少し離れて見る形にはなりますが、御本尊の御尊容も拝することができます。

常行堂は堂内にて御朱印を授与されていますので、内部は日常的に公開されてい‥‥‥申す。

堂内に入るときは靴を脱ぐ必要がありますので、脱ぎやすい靴でお越しを。

激しく足が臭いと豪語できるほどのレベルの方で、周囲に臭いがバレたくない方は臭い消しスプレーをお忘れなく💋

現在は、死者の冥福を祈る「回向(えこう)」を行う場所となっており、堂内では一般の方の申し込みも受け付けています。

日光山輪王寺「常行堂」の御朱印

日光山輪王寺「常行堂」の堂内では御朱印をいただくことができます。

そしてなんと!ここ「常行堂」にも「期間限定の御朱印」が存在します。

毛越寺の印付きの期間限定の御朱印

中央に大きく「阿弥陀如来」の墨書きがあり、左に「世界遺産」の墨書きと左下隅に「毛越寺(もうつうじ」の御朱印があります。

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※毛越寺(天台宗の寺院)=岩手県平泉

通常の「常行堂」の御朱印

中央に同じく「阿弥陀如来」の墨書きがあります。

期間限定の御朱印との違いは、主に左側の「世界遺産」の墨書きなく、また「毛越寺」の押印が「日光山常行堂」の押印になっています。

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常行堂の入堂料金(拝観料金)・拝観時間

入堂料金(拝観料金):無料

拝観時間:

4月〜10月 午前8時(開門)〜午後5時(閉門)
11月〜3月 午前8時(開門)〜午後4時(閉門)

※拝観受付は、いずれも閉門30分前で終了させていただきます。
※常行堂は午前9時 開門

定休日

休業日はなし。
下記の日程は大猷院の拝殿内に入れない時間帯あり。

  • 4月18日、19日、20日
  • 5月17日
  • 7月14日、15日

詳細は下記、輪王寺の公式サイトをご確認ください。

日光山輪王寺「2つ堂(常行堂・法華堂・渡廊)」の場所(地図)

日光山輪王寺「2つ堂(常行堂・法華堂・渡廊)」は、日光二荒山神社の鳥居前に位置し、左脇の最奥には家光公が眠る「大猷院(たいゆういん)」があります。

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