光明院稲荷社社
- 創建年:鎌倉時代中期
- 発願者:輪王寺第24世座主「弁覚法印」
光明院稲荷社の歴史
大護摩堂の脇にある光明院稲荷社は、鎌倉時代中期に第24世座主の弁覚法印が光明院を創建し、日光山本坊とした際に、その守護神として勧請した歴史ある稲荷社です。
光明院は、戦国時代に一時衰微するのですが、江戸時代に入り日光山中興の祖としても知られている天海大僧正(1536−1643)が入山したことにより、再興されまする。
明治初年になると、新政府により神仏分離令が発出され、混乱の際に焼亡してい‥‥‥申す。
この稲荷社は、五穀豊穣の神である宇迦之御魂神という神が奉斎されていながらも、かつて光明院があったことを示す貴重な遺構でもあるのです。うきゃ
⬆️小社殿ながら東照宮や大猷院の影響を受けてか極彩色で彩られ、かつ金色の塗装が施されるなど絢爛豪華さを兼ね添えた社殿である
看板の内容
鎌倉時代中期、輪王寺24世の弁覚僧正が新たに光明院を造営し、日光山の本坊を定めた。
この光明院の守護神として稲荷社を勧請(招く)し、光明院稲荷と称した。
古くから日光山の五大稲荷として数えられる。
光明院稲荷社のご利益
当稲荷には古くから以下のようなご利益があると信奉されてい‥‥‥申す。グヘっ
- 学業成就
- 家業繁栄
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