日光東照宮・奥社(奥宮)「拝殿・宝塔・銅鳥居・銅神庫・鋳抜門」【重要文化財】
奥社(奥宮)は家康公が眠るとされる日光東照宮でもっとも神聖な場所です。
ここは元来、歴代徳川将軍しか立ち入ることが許されなかった場所でもあり、江戸時代であれば我々一般庶民は、けっして立ち入ることができなかった場所になります。
しかし1965年(昭和40年)に執り行われた「日光東照宮・三百五十年式年大祭」を記念して、特別に一般公開され現在に至っています。
奥社(奥宮)は意外に広く、以下のような建造物があります。
日光東照宮・奥社(奥宮)の建造物・一覧
- 銅鳥居
- 銅神庫
- 拝殿
- 鋳抜門
- 宝塔
以下ではこれらの建造物を参拝の順番でご紹介しています。
銅鳥居【重要文化財】
重要文化財登録指定年月日
1908年(明治41年)8月1日
坂下門からの207段の石段を昇った先には奥社の入口となり銅鳥居が建っています。
この銅鳥居は1683年(天和3年)に5代目将軍徳川綱吉公が奉納した鳥居であり、鳥居の扁額(へんがく=かんばん)は後水尾天皇の勅筆になります。
後水尾天皇の嫁ハン(妻)は「東福門院・徳川和子(とくがわかずこ)」であり、和子は2代目将軍秀忠の娘になります。
徳川和子は、なんと!「武家から皇家へ嫁いだ初めての女性」と言い伝えられています。
陽明門の扁額も後水尾天皇の勅筆となり、後水尾天皇が徳川家との絆を証明するものです。
創建当初は石造りの鳥居であったと伝えられています。
銅神庫【重要文化財】
重要文化財登録指定年月日
1908年(明治41年)8月1日
銅神庫は銅鳥居の脇に建っている建物です。
ここにはかつて家康公の甲冑や刀剣などのご愛用の品々や、位記(いき=天皇から授けられた官位を証明する書状)などの書物が収められていました。
そんなことからかつては「宝蔵(ほうぞう)」と呼ばれていました。
現在、これらの品々のほとんどは日光東照宮宝物館などへ移されています。
天台宗を信仰した天海大僧正が設計に参加しただけに、台密の建物によく見かける密教法具の輪宝(りんぽう)が据えられています。
清浄な空間を保つために輪宝で邪気を防いでいるのでしょう。
拝殿【重要文化財】
創建年
1617年(元和3年)
再建年
1636年(寛永13年)
建築様式
入母屋造
平入
平側前後唐破風付
屋根の造り
銅瓦葺
大きさ
横幅:約10m
奥行:約6m
重要文化財登録指定年月日
1908年(明治41年)8月1日
拝殿の歴史・建築様式(造り)
かつては歴代将軍のみしか昇段が許されなかった場所です。
拝殿は奥の宝塔に眠る「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所です。
拝殿を表側から観ると黒漆が基調として塗られ、細部には金の装飾が施され正面には蔀戸(しとみど)が見え、まるで貴族の邸宅を偲ばせます。
しかし内部は打って変わり、金色柱や極彩色で彩られています。
殿舎の入口は重厚な造りの桟唐戸、壁面には上下に開閉式の蔀戸が設けられ殿舎を取り巻いています。
尚、拝殿では奥社限定の「叶鈴守」を授かることもできます。
鋳抜門
制作年
1636年(寛永13年)
再建年
1650年(慶安3年)
大きさ
高さ:3.4m
柱間:2.5m
鋳抜門の読み方・歴史・特徴
鋳抜門は「いぬきもん」と読みます。
名前から察することができる通り、扉部分以外を唐銅の鋳造によって製造された門です。
「鋳抜門」の「鋳抜」の由来とは、鋳型による製造工程の技法のことです。
基礎となる扉部分以外の屋根・柱・桟などの部分を鋳型で制作し「鋳抜」で型を取り出した事からこの名前が付されています。
「鋳抜」とは、鋳型に溶かした金属を流し込んで、冷めて固まった金属を取り出す際、鋳型後部の穴から棒状のもので突いて鋳型を取り出すことから「鋳抜」の呼称が付されています。
創建当初は石造りの門であったと伝えられ、当時の石造りの門は現在、日光東照宮宝物館の横に展示されています。
ちなみに唐銅とは「金・銀・銅」を溶かして造られた合成金属(合金)になります。
鋳抜門の特徴
雄雌対の狛犬
鋳抜門の大きな特徴となるのが、門の前で墓前を警護している狛犬の像です。
狛犬はオスとメスの対になっており、向かいみて左側の角が出ている狛犬がメスになります。
伝説上の生き物??「蜃」
門の左右の上部には「蜃(しん)」という伝説上の生き物の彫刻があります。
一見すると龍のようにも蛇のようにも見えます。
蜃は燕(つばめ)を食べることで口から「気」を吐いて、蜃気楼を創り出し、実体のない楼閣を出現させると云われています。
まさに家康公が眠る墓前の最後の門となることから、蜃気楼で墓を守護する守護神と言えます。
奥社宝塔【重要文化財】
- 塔高(高さ):約5m
- 作者:椎名伊豫
宝塔の下には8角形で9段の石が積まれて基檀とし、その上に宝塔が建てられています。
この宝塔の下で家康公は永眠され、つまり家康公の遺骨があることになります。
ただし、創建以来誰も掘り出したことがないので、現在までも本当に家康公の遺骨が実在するのかは不明とされています。
尚、家康公の遺骨は「神柩(しんきゅう)」と呼称される柩の中に収められていると伝えられています。
創建当初の宝塔は木造であったとされ、後に石造りとなり、1683年(天和3年)に現在の唐銅製に造り替えられています。
実は1683年に東照宮で大規模な地震があり、その際、奥社の一部の建造物が損壊しています。
その後に奥社建造物は再建され、現在見ることのできるような唐銅製に造り替えられています。
奥社宝塔は日光東照宮における「最強のパワースポット」??
実はこの奥社宝塔には日光東照宮でもっとも強いパワーがある場所として有名になっています。
家康公が眠っていたことや、江戸時代は誰も立ち入ることすら叶わなかったことから、パワーがこの空間に閉じ込められ、逃げることなく蓄積され続けていたことが理由として挙げられます。
パワーの源泉である家康公が眠るというだけでも、相当なパワーを放っているハズですから、計り知れないパワーが蓄積されているのは確かです。
現在では一般に開放されてはいますが、それでもここに来ると身体がゾクゾク・ソワソワして何か巨大な力を感じずにはいられません。ヒぇ~
尚、宝塔の前にある鶴の彫刻や花瓶や香炉は当時の朝鮮国王から贈られた物になります。
奥社宝塔の脇の叶え杉
奥社宝塔の脇にはもう1つ「叶杉(叶え杉)」と呼称される樹齢約600年もの杉の木が、天を貫くかの如く、そびえ立つようにして立っています。
この叶え杉からも強烈なパワーが発せられていると云われています。
しかし、この叶え杉がもっともパワーが蓄積されていると言われる理由も理解できます。
なにせこの杉の根っこは、おそらく宝塔の下に眠る家康公の神柩のあたりまで伸びているハズです。
つまり家康公のパワーを長年に渡り、根っこを通して吸収していると考えることができ、強烈なパワーを蓄積し、溢れかえったパワーを放出しているという解釈も成り立ちます。
ちなみに、この叶え杉は日光東照宮のお守りとしても授与されています。
参拝された折には是非!叶え杉のお守りを授かって帰途につかれてください。
日光東照宮のパワースポットに関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。
日光東照宮にパワースポットが??東照宮のパワースポットの「場所・効果」と「ある場所」を待受け画面設定すると・・?
【補足】日光東照宮・奥宮(奥社)の御朱印
実はこの奥宮(奥社)では御朱印をいただくことができます。
中央に「東照宮奥宮」と墨書きされ、右に「奉拝」と徳川家の葵紋の朱印、左に参拝した日が墨書きされています。
尚、奥宮(奥社)御朱印は紙に書かれた朱印になります。
御朱印の授与場所は奥社(奥宮)の社務所になります。(案内板が出ています)
- 初穂料(値段):300円
終わりに・・
奥宮(奥社)の御朱印は「奥社のみ」でしかいただくことができませんのでご注意ください。
奥社までは少し距離があり、その上、坂道の連続ですが、昇りきった後は開放感があります。
参拝帰りのビールの旨さを思い浮かべて、何とか頑張って昇りきってください!ビールがうまくなること間違いなしです!
そして帰りには是非!頑張った自分に対してのご褒美として、浴びるほどビールをドテッ腹へ流し込んでください!いや、もう浴びてください(車の方は要注意)オホ
日光東照宮の付近周辺のランチ&ディナーについては当サイトの以下↓のページでご紹介しております。
【これ10選!】日光東照宮付近周辺の「ランチ(ディナー)・グルメ・カフェ」人気おすすめランキング!!
【これ7選!】日光東照宮の付近周辺のランチ店「人気おすすめ・美味しい・子連れ・安い」
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