日光輪王寺の「入場料(拝観料金)・参拝(見学)所要時間・営業時間(閉門開門)・見どころ(見所)・由来・歴史」
日光輪王寺は、なんと!東日本では最も大きい木造建築物と云われております。
766年(天平神護2年)に勝道上人により日光山は開山されました。
項・一覧
あまり知られていない日光輪王寺の組織構成
実は日光輪王寺は、以下のお堂(支院)を総称して「日光輪王寺」と位置づけられています。
- 本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺などのお堂
- 本坊・15の支院
これらを統合したものを、総称して「日光輪王寺」と呼んでいます。
日光山・輪王寺の宗派とご本尊
- 宗派:天台宗
- 本尊:阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音
日光輪王寺の「入場料金(拝観料金)」(個人・団体)
輪王寺券
三仏堂と大猷院が拝観できるセット券です。
- 個人:大人900円、小中学生400円
- 団体(35名以上):大人810円、小中学生360円
三仏堂券
三仏堂のみの単独拝観券です。
- 個人:大人400円、小中学生200円
- 団体(35名以上):大人360円、小中学生180円
大猷院券
大猷院のみの単独拝観券です。
- 個人:大人550円、小中学生250円
- 団体(35名以上):大人495円、小中学生225円
拝観券の自動販売機があるって本当!?
日光東照宮・輪王寺の拝観券は、東武日光駅でも購入可能!
東武日光駅の「ツーリストセンター」内には、日光東照宮と輪王寺の拝観券が買える自動販売機が設置されています。
現金、交通系電子マネー、クレジットカードが利用可能で、なななななんと!9か国語に対応している、超グローバルな発券機です。
なお、自動販売機で発券できるのは「個人券」のみとなっています。
ツーリストセンターでは、カウンターでも拝観券を取り扱っています。
東武日光駅ツーリストセンター
- 営業時間:9時~17時
- 電話番号:0288-54-0864
さらに!拝観券の自動販売機が輪王寺にも導入されました!
2018年10月より、輪王寺でも9か国語対応の拝観券の自動販売機が導入されました。
支払い方法はクレジットカード(マスターカード・ビザカード)または交通系電子マネー9種類で、現金は利用できません。
また、個人券のみの取り扱いとなります。
自動販売機導入により、拝観券販売窓口の混雑緩和が期待されます!
日光輪王寺の見学所要時間
日光輪王寺の境内は、上記のお堂のご紹介からも理解できるとおり、すべてを観光(参拝)すると、以下のような所要時間になります。
- 足早にお参りのみ:30分ほど
- ゆっくりお参りのみ:1時間
- 普通にお参り+お守りの拝受:1時間30分
- 普通にお参り+お守りの拝受+御朱印の拝受:2時間
以上が見学所要時間の目安となります。
日光輪王寺の拝観できる時間(営業時間)
営業時間(開門・閉門時間)
- 8:00~17:00(4月-10月)
- 8:00~16:00(11月-3月)
※いずれも閉門30分前に拝観受付終了。
※二社一寺全て同じ
定休日
- 年中無休
日光輪王寺の見どころ(見所)
日光山・輪王寺のCM(コマーシャル)が意外なほど人気??
実は、日光輪王寺は、コマーシャル(CM)を制作していて毎年の年末年始のみの期間限定で、お茶の間のテレビにコマーシャルが流れるそうです。
さらに、なんと!この日光輪王寺には、「オリジナルのテーマソング」があるそうです。
ちなみに、輪王寺のオリジナルのテーマソングは、「福来い囃子」という名前だそうです。
「福よ来い♫福よ来い♪」「年の初めに福よ来い」というフレーズから歌が始まります。
えっ?!日光輪王寺でも「写経」ができるの!?
日光山・輪王寺では、他のお寺と同じく「写経」ができます。
写経の会が開催されるのは、「毎月2回」・「朝9時より」、「大護摩堂」の二階・仏間で写経会が開かれています。
輪王寺の写経って難しい?厳しいの??
輪王寺の写経会では、般若心経のお経の文字のうち、約276文字を心を込めて写します。
最初は、筆サバきが慣れなくて、うまく書けないのですが、書けるようになるまで、丁寧にご指導していただけるそうです。
日光輪王寺の写経の料金
- ご志納金(写経の料金)は1000円です。
時間に制限はありませんが、初めての方でも1時間あればゆっくりと書くことができるそうです。
日光輪王寺の歴史
かつて日光山輪王寺には武器を持った精強な僧兵がたくさんいた?!!
これはあまり知られてはいないようなのですが、この輪王寺には、戦国期には、武器を持って甲冑を装備した、たくさん僧侶の兵士、つまり「僧兵」がいたそうです。
僧兵は、僧侶がそのまま坊官として兵士になる者をおりましたが、主に、この時代の僧兵は、お寺が雇った傭兵という類のものであったと位置づけられております。
戦国期には、天皇や将軍の力が失墜し、法や秩序がなかったので、自らの身は自らで守る必要がありました。
そのため、輪王寺もお堂や境内といった輪王寺のあり方と、領地を守るために武器を取って守るための戦いを行う必要がありました。
日光山・輪王寺の歴史(年表)
766年、「勝道上人」によって四本龍寺が建立されます。
848年、「円仁」の代の時に「天台宗」に宗派が変わり「三仏堂」「常行堂」「法華堂」が建てられます。
この後、輪王寺を含めた日光山は関東の霊場として、関東の豪族たちから信仰と保護を受けます。
戦国期には、多数の「造兵(兵器・僧兵)集団」を持つ「一大領主」にまでなったそうです。
しかし、戦国時代に入ると日光山は地方の豪族の争いに巻き込まれます。
1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の時には、日光山の「忽政所・壬生氏」が造兵とともに北条側に付いたことで、秀吉の怒りを買ってしまい、日光山領66郷、18万石を没収され、一時衰退してしまいます。
しかしながら、1617年に徳川家康の遺言により日光東照宮が建てられ、1634年には南光坊天海の主導により、日光東照宮の大造営がされます。
大造営された後は、日光は徳川将軍の祖を祀る霊地として幕府からの手厚い保護を受け、隆盛したと言われています。
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