日光山輪王寺「三仏堂(本堂)」の歴史や名前の由来とは?見どころは星祈願と限定御朱印!

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日光山輪王寺「三仏堂」【重要文化財】

創建年

  • 不明
    寺伝では848年(嘉祥元年)
再建年

  • 1645年(正保2年)
  • 1954年(昭和29年)から1936年(昭和36年)
建築様式(造り)

  • 入母屋造
  • 一重もこし付
屋根の造り

  • 銅瓦葺
大きさ

  • 桁行(横幅):33.8m
  • 梁間(縦幅):21.2m
  • 高さ:26m
材質

  • ケヤキ
重要文化財指定年月日

  • 1917年(大正6年)4月5日
発願者

  • 伝・勝道上人(創建)
  • 伝・円仁(中興)
  • 徳川家光(江戸幕府3代目将軍)

日光山 輪王寺「三仏堂」の読み方

にっこうさん りんのうじ さんぶつどう

三仏堂の大きさ

外柱の端から端まで約34メートルもあり、日光最大の建造物です。東日本では最も大きな木造の建物でもありまする。

三仏堂の役割

この三仏堂は日光山輪王寺の本堂にあたるお堂です。日光山輪王寺の中心となるお堂でもありまする。

三仏堂内では輪王寺における様々な大法要が執り行われています。

「日光山」とは?

日光山とは、輪王寺の山号です。

ただ、ほかにもこの輪王寺を含めた二荒山神社や東照宮を含めた日光寺社群が軒を連ねる一帯を「日光山内」とも呼びます。(住所地では”日光市山内”と表記される)

ほかに栃木県北西部の男体山(2,486m)、女峰山(2,464m)、太郎山(2,368m)の三山を中心とした山岳地帯の総称も「日光山」と呼びまする。

輪王寺の山号に日光山があてがわれた理由は、明治初年の神仏分離令の影響によるものです。

「輪王寺」とは?

輪王寺とは15の寺院(支院)の総称が輪王寺です。

かつては四本龍寺から始まり、後に嵯峨天皇から「満願寺(まんがんじ)」の名前を与えられ、改称しています。

全盛期には109もの支院を連ねるほどの大伽藍を擁した大寺院であったと伝えられています。

「輪王」とは?

輪王の意味を辞書で調べると次のような事柄が記載されてい‥‥‥申す。

「転輪王(りんてんのう)」「転輪聖王」の略。連声で「りんのう」ともいう。

「輪王」とは 仏語。
身に三十二相を備え、武力によらず正義によって、感得した輪宝を回転させて四方の世界を治めるという理想の帝王の意。
輪宝の種類により金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王の四王が立てられる。

日光山 輪王寺「三仏堂」の歴史(年表)

三仏堂は現在の輪王寺の本堂にあたる建物ですが、輪王寺の前身は勝道上人(しょうどうしょうにん)が建てた「四本龍寺(しほんりゅうじ)/紫雲立寺(しうんりゅうじ)」とされ申す。

その四本龍寺は天平神護2年(766年)に創建されていますが、当初は現在の本堂(三仏堂)がある場所から約1kmほど離れた、稲荷川(大谷川支流)付近もしくは滝尾神社付近だっとされてい‥‥‥申す。

三仏堂の創建年

この三仏堂の創建年は古いのですが、現在に至るまで確証となる資料が現存しておらず、不詳とされてい‥‥‥申す。グホっ

寺伝によれば848年(嘉祥元年)に関東巡礼中の円仁(慈覚大師)が立ち寄り、その折、三仏堂、常行堂法華堂を創建したとされてい‥‥‥申す。グヘっ

創建された場所も現在地ではなく、現在の滝尾神社付近だと伝えられてい‥‥‥申す。ガハっ

円仁が来山したことにより、それまで山岳信仰ならびに修験道の聖地とされていた日光にも、にわかに天台宗が広まりをみせます。

そして、この頃から輪王寺は天台宗に属する寺院として日光山の信仰の中核を担い、この三仏堂はその中心的な役割を担う堂舎としての歩みをみせまする。

鎌倉時代

仁治年間(1240年から1242年/鎌倉時代)に当時の鎌倉幕府3代目将軍「源実朝」によって、現在の東照宮が建つ地に移築されてい‥‥‥申す。グハっ


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江戸時代

1617年(元和3年)

1617年(元和3年)、日光東照社(現在の日光東照宮)造営につき、その折、現在の日光二荒山神社社務所あたりの場所へ再び移築されてい‥‥‥申す。ゴホっ

1647年(正保4年

その後、1647年(正保4年)を迎えると徳川家光公の発願により、日光東照社の境内が大改修される運びとなり、後の世で言う「寛永の大造替」が施工されまする。(寛永13年に完工)

寺伝によればこの折、大雪で倒壊した本堂も再建されることとなり、現在見られるような間口33m、奥行22m、高さ26mもの巨大な建造物として改造されてい‥‥‥申す。

なお、この当時の輪王寺の寺号は「満願寺」でした。

〜1650年まで

1650年までの間に輪王寺は三仏堂を中心に序々に規模が拡大し、伽藍の寺観が整っていきます。

さらに1650年頃から1655年頃にかけて、皇族(輪王宮)が住職に就くなどして大伽藍を擁する巨大寺院へと発展していきまする。

1653年(承応2年)

1653年には寛永の大造替の立役者である3代将軍「徳川家光」の御霊を奉安するため、その霊廟である大猷院(たいゆういん)霊廟が造営されまする。(現在、大猷院は輪王寺の所管)

1655年(明暦元年)

輪王寺はこれまで嵯峨天皇(平安時代)から下賜された「満願寺」でしたが、後水尾上皇の院宣(いんぜん/天皇が発したのと同じ効力をもつ文書・命令)により新たに「輪王寺」の寺号が下賜されまする。

この院宣により、後水尾天皇の第3皇子・守澄法親王が入寺する運びと相成りまする。

皇族が住職になることで強大な権力を持つ寺院が誕生した

以後、輪王寺の住職は法親王(親王宣下を受けた出家した皇族男子)が入山する形で代々、就任することになり、「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称されまする。親子による世襲制はなく、宮家の適任者が入った。

輪王寺の住職は「門跡」と呼ばれ、他にも江戸(東京)の寛永寺にも門跡が置かれたため、これらを合わせ、さらに天台座主(天台宗のトップ)をも兼務したため「三山管領宮」とも呼ばれてい‥‥‥申す。グヘっ

輪王寺宮は、日光輪王寺と江戸上野の輪王寺、寛永寺(徳川将軍家の菩提寺)の住職も兼務していたことから、仏教界においては比叡山、日光、上野の寺院をすべて総括していたこともあり、絶大な権力と発言力を誇った。

話は少し逸れるが、神奈川県江の島も江戸時代、権力闘争の渦中にあったが、門跡寺院の仁和寺の傘下に列することで仁和寺門跡の権威を背に受けた岩本院が、最終的には江の島を支配する結果となっている。

関連記事: 江の島岩屋の歴史

明治時代

1869年(明治2年)

戊辰戦争終結後、その後処理の一環として、明治新政府の命令により、輪王寺の称号を没収される。以後は旧称の「満願寺」に戻されることになった。

1871年(明治4年)

明治新政府による神仏分離令が明治初年に発令されると、輪王寺の大伽藍は解体され集約されることになりまする。

この時、本堂(三仏堂)は仏教色が色濃いとされ破壊処分が下ったのですが、木戸孝允ら諸臣の協力を仰ぎ、なんとか解体は中止され、江戸建築のままの三仏堂の姿で移築される運びとなってい‥‥‥申す。グぎゃ

1883年(明治15年)

栃木県が介在する形で新政府との交渉の末、「輪王寺」を正式な寺号にする許可が下る。

昭和時代

1954年(昭和29年)から1961年(昭和36年)

1954年(昭和29年)から1961年(昭和36年)の間には、大改修が執り行われていまする。

 

以上、現在見ることのできる三仏堂は、1645年(正保2年)に江戸幕府3代目将軍の徳川家光公によって再建された時の姿になりまする。

現在の三仏堂が建つ場所は、ちょうど日光山内の玄関口に位置するため、ここから日光山巡りが始まることとなり申す。

三仏堂の建築様式と内部構造

延暦寺の根本中堂に倣った建築様式がうかがえます。台密特有の仏堂形式の造りになっています。

例えば、以下のような台密の寺院によく見られる特徴的な外陣、内陣が設けられています

外陣

外陣部分は畳敷きで須弥壇が置かれ、須弥壇と外陣の高さは均等になるように造られています。

内陣

一方で内陣は外陣とは打って変わり、外陣より1段上がった壇上に設けられ、さらに石畳が敷かれています。

「三仏堂」と呼ばれる理由とは?「三仏堂」の名前の由来

三仏堂と呼ばれる理由は、以下の3体の仏様=三仏を奉安することが名前の由来となってい‥‥‥申す。ガハっ

  • 千手観音
  • 阿弥陀如来
  • 馬頭観音

「三仏堂」と呼ばれる理由と由来※堂内は写真撮影禁止。(写真はお借りしたものです。)

明治時代以前の日光の社寺は神と仏の信仰が一体化した場所でした。

日光山内では、主に鎌倉時代を境に神仏混淆の思想が進化し、「権現(ごんげん)」と言う信仰が生まれてい‥‥‥申す。ガハっ

権現とは、神様が地上に降臨した姿こそが、仏(仏像)であるという信仰のことを言い、三仏堂内に安置される3躯(体)の仏像がまさにその権現です。

日光山縁起に登場する神々一覧
日光三山 日光三社権現 日光三所権現 日光三所権現本地仏(三仏) 日光三神
女峰山(※母) 滝尾権現 女体権現 阿弥陀如来 田心姫命(母神)
二荒山(男体山)(※父) 新宮権現 男体権現 千手観音 大巳貴命(父神)
太郎山(※子) 本宮権現(太郎権現) 太郎大明神 馬頭観音 味耜高彦根命(子神)

※滝尾権現、新宮権現、本宮権現は、明治初年の神仏分離により、滝尾神社、日光二荒山神社、本宮神社へと置き換えられています。

千手観音(正面右側に鎮座)

  • 高さ:703.6cm(本尊のみ335.4cm)
  • 本地仏:男体山
  • 権現:新宮権現
  • 祭神:大己貴命

阿弥陀如来(正面中央に鎮座)

  • 高さ:756.3cm(本尊306.3cm)
  • 本地仏:女峰山
  • 権現:滝尾権現
  • 祭神:田心姫命(たごりひめのみこと)

馬頭観音(正面左側に鎮座)

  • 高さ:744.7cm(本尊301.3cm)
  • 本地仏:太郎山
  • 権現:本宮権現
  • 祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)

馬頭観音像は美術院国宝修理所(京都市)にて2014年11月下旬から2015年11月17日まで解体修理されています。

この修理では頭部の大きな穴ボコの修復や、体躯の金メッキコーティングが施されています。


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その他の堂内の安置仏像

伝教大師(でんきょうだいし=最澄)の尊像 ※天台宗開基

慈恵大師(じえだいし=良源」の尊像 ※延暦寺中興の祖

慈眼大師(じげんだいし=天海大僧正)の尊像 ※史上最後の大師号を持つ偉人

日光山輪王寺(三仏堂)の見どころ

 金剛桜

この三仏堂の魅力は建物の中だけではありません。

三仏堂を入口の方へ正面に出てみてください。

出入り口のすぐ脇には、推定、500年という樹齢を経た「金剛桜(こんごうざくら)」が春先には咲き誇ります。

出入り口のすぐ脇には、推定、500年という樹齢を経た「金剛桜(こんごうざくら)」が春先には咲き誇ります。

この金剛桜、なんと!国の「天然記念物」にも指定されているほどの大変、貴重なサクラとなります。

ぜひ、日光山・輪王寺へ参拝へ来られた際には、じっくりと見学してみてください。

毛虫が、あなたの鼻の上に「ポトっ」と落っこちてくるかもしれませんがね。・・フフフ。

三仏堂の御朱印

三仏堂ではオリジナルの御朱印を授与されています。種類は2種類で、他に期間限定で三仏堂落慶を記念した金文字の御朱印を授与されています。

三仏堂の御朱印

 

  • お布施(値段):300円
下野三十三観音霊場3番「四本龍寺」の御朱印

日光 二荒山神社 御朱印 四本龍寺

四本龍寺の御朱印は下野三十三観音霊場めぐりされている方のみが授与できる御朱印になります。専用の御朱印長がありますが無ければ相談してみてください。

  • お布施(値段):300円
三仏堂の御朱印の授与場所

場所は堂内を正面に見て左奥です。堂内は写真撮影が禁止されていますので、口頭での説明になりますが、三仏堂の内部は反時計回りに拝観するようになっています。

入口入ってすぐに手前の拝観受付で購入した拝観券を渡す受付があります。この受付では「鬼門除札」と輪王寺限定の強力なご利益を持つとされる厄災除け札を授与されています。

その奥に進み、入口と反対側の正面来たところに御本尊「三仏」が祀られています。

三仏の間からさらに奥に進みちょうど再び入口に戻るような感じで進むと左手前角部分に、御朱印およびお守りの授与所があります。

 「天空回廊」※天空回廊はもうありません

日光山輪王寺(三仏堂)・「天空回廊」

東日本最大の木造建築ともいわれる「日光山 輪王寺・三仏堂」が、約50年ぶりの工事(平成の大修理)が、平成19年から平成30年までの予定で開始されましたが、無事、2019年3月に落慶し、一般参拝が開始されています。

つまり、約10年間という長期に渡っての大修繕でした。

三仏堂の建物自体は2019年3月に無事に再建工事が終了しています。一般参拝者も堂内に入って御本尊の尊容を排したり、御朱印の授与も内部でできます。ただし、今現在も一部、敷地内にて工事中の場所がありますのですべてが見れるわけではありません。

「天空回廊」とは?

三仏堂の再建工事を行うに際して、まずは足場づくりとして三仏堂を覆う「素屋根」が完成しています。

この素屋根には回廊が設置されており、一般参拝者も工事中の様子が見れるようになっています。

すなわち天空回廊とは、地上26メートル ビルの7階に相当する高さに設置された「見学用の通路」のことです。平成23年4月29日にオープンしています。

そして、この「天空回廊」、なんと!三仏堂の屋根の頂上と同じ高さで造られています。

つまり、三仏堂のお屋根に昇って、修理している全景を見学できるということです。

他にも、この「天空回廊」からは「日光の門前町」の眺望も楽しむことができます。

他にも、この「天空回廊」からは「日光の門前町」の眺望も楽しむことができます。

期間限定の新名所、訪れる価値があります。ぜひ!

「星祈願」

一人ひとりに、「星祈願の短冊」に、「名前」と「願い」を書き、「三仏堂の大護摩所」にお供えします。日光山では古来、北斗七星に願いを託すと必ず成就すると言い伝えられています。南斗乱れる時、北斗現る…by.北斗の拳

これはおそらく「北斗七星」を「家康公」になぞらえていることが根底にあると思われます。

つまり「北斗七星=東照権現(家康公)」にお祈り(お願い)をするといったことになります。

1人1人に「星祈願の短冊」に、「名前」と「願い」を書き、「三仏堂の大護摩所」にお供えします。

短冊は僧侶によって御祈願され、そのあと浄焼されます。

  • 星祈願の短冊の料金:無料(拝観料に含まれます。)
輪王寺の「星祈願」については下記ページにてご確認ください。

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輪王寺・三仏堂の場所(地図)

日光東照宮の境内入口となる「石鳥居」前の参道(表参道)を直進すると、輪王寺境内へ入る黒門がみえてきます。

この黒門の奥に見えているクソでかいお堂が三仏堂です。

輪王寺境内の観光スポット一覧

手前に拝観受付があって拝観料金を納めてから入堂します。

三仏堂の入場料金

三仏堂のみの単独拝観券です。

  • 個人:大人400円、小中学生200円
  • 団体(35名以上):大人360円、小中学生180円

他にも券種がありますので、詳細については下記ページを参照してください。

また、拝観受付所の前には輪王寺の見どころと逍遥園もありますので、三仏堂へ参拝された際は忘れずに立ち寄ってみてください。

逍遥園は秋になるとライトアップされ、日本屈指の紅葉が観れる庭園へと変貌します。

【補足】輪王寺が平成の大修理を急かされた原因「とてつもない害虫がいた?!」

輪王寺では、平成19年から3年計画で行う予定だった塗装の最中に、なんと!「柱」や「梁の表面」に、痕跡を残すことなく、部材の中心部を食い散らかす、「とある虫」が発見されました。

その「とある虫」の名前を、「オオナガシバンムシ」といいます。

この害虫によって柱の破損が見つかったため、平成21年より、大幅に修理の方針が変更になりました。

どのように変更になったかは、すでにご存知のとおり、塗装から「解体修理」へと切り替わりました。

その為、平成30年まで大修理が行われています。

ちなみに、なんと!本堂からオオナガシバンムシは、約700匹も見つかったそうです。

また「二天門」からは別の「クロトサカシバンムシ」「チビキノコシバンムシ」が、約70匹捕獲されました。

このため、建物全体の「ガス燻蒸」するため「フッ化スルフリルガス」を投入し、修理の前にまず「虫の全滅」といった消毒作業を行っています。

オオナガシバンムシ(シバンムシ)とってどんな虫?

「シバンムシ」とは「死の番人」と書いて、「死番虫」といいます。

死番虫は、「乾燥した木材」や「キノコ」などを主食とする昆虫です。

「シバンムシ」の名前の由来

オオナガシバンムシ(シバンムシ)とは?「シバンムシ」の名前の由来は、「乾燥した木材(家内の柱)」などを食べる時や、仲間との交信する時に「カチ..カチ..カチ..」などいう音を立てるそうです。

この「カチ..カチ..カチ..」が、死神が死の宣告の際に、告げる、「死への秒読みのカウント」に似ていることから、この名前がついたそうです。

すなわち、この死番虫は日本特有の昆虫ではなく、世界中に分布している昆虫であり、その種類も2000種いるそうです。

以上のことから、輪王寺のシバンムシは2000種いる中の「オオナガシバンムシ」という種類になります。

ちなみに、このシバンムシ、あなたにとっても決して、無縁ではないのです。

つまり、一般の木造のお家には、高頻度(高い確率)でいるそうです。

現に、東京都では、かなりの数のシバンムシが見つかっているそうです。

・・あなたのお宅は大丈夫??

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