日光山輪王寺 大猷院「二天門」

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日光山輪王寺 大猷院「二天門」【重要文化財】

日光山・輪王寺大猷院「二天門」

創建年

  • 1653年(承応2年)
再建年

  • 2012年(平成24年)
建築造り

  • 入母屋造
  • 八脚楼門
  • 裏表軒・唐破風付(裏表に破風付き)
屋根

  • 銅瓦葺
大きさ

  • 桁行5間(約10m)
  • 梁間3間(約6.3m)
重要文化財指定年月日

  • 1908年(明治41年)8月1日

輪王寺大猷院「二天門」の読み方

輪王寺の境内には、漢字の羅列で読みにくい名前のお堂や仏像が安置されていますが、「輪王寺・大猷院 二天門」は「りんのうじ たいゆういん にてんもん」と読みます。

輪王寺大猷院「二天門」の歴史

日光山内にある輪王寺の「大猷院 二天門」は、1653年(承応2年)の創建です。

訪れたものを圧倒するような雄大な姿であり、1908年8月1日に国の重要文化財に指定されています。

2012年(平成24年)には、剥げた塗装の塗り直しや門全体の老朽化した場所の補修・改修工事が開始されており、無事、2018年(平成30年)に落慶を迎えています。(落慶を記念した御朱印(2種類)が頒布されています。)

二天門の建築様式(造り)

日光山で最も大きなこの門は、三間一戸、八脚楼門、入母屋の銅瓦葺き、前後の屋根には唐破風がしつらえて有ります。

⬆️極彩色の三手先と見られる詰組

上層部は極彩色の組物が見えますが、対称的に下層部は装飾が少なく上層部に比べれば質素な造りになっています。

実はこれには理由があり、なんでも「見上げたとき」「見下ろしたとき」の景観を考えてあえて下層部の装飾を抑え気味にしたとのことです。

真ん中に掲げられている「大猷院」の扁額(へんがく)は後水尾天皇の「宸筆(しんひつ/天皇本人が書いたもの)」になります。

⬆️「後水天皇宸筆の扁額」

また陽明門と対をなすような朱色(弁柄色)が基調であり、そこに金物の金色が冴えます。

門に近づくにつれ、少々アンバランスさを感じるほど上部に多くの組み物が施されています。

中間にある組み物は黒色、上部の組み物は極彩色で彩られています。

是非、真下に立ちじっくりと彩の美しさ精密な造りを観察して下さい。

二天門の「二天」の由来と意味

門の正面左右には二天門の名の由来となる「二天」、四天王の内の「持国天」と「広目天」が安置されております。

正面の左側(東)を守護するのが「持国天」、右側(西)を守護するのが「広目天」です。

持国天

2016y02m17d_133733082 ↑「持国天」

広目天

2016y02m17d_133746224↑「広目天」


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大猷院・二天門は、なぜ「四天」ではなく「二天」なのか?

実は大猷院は鬼門の方角(家康公の眠る東照宮の方角)を向いて建立されています。

鬼門であることは、建立以前の病床にあった家光公も承知していたことですが、それでも「自らの存在は家康公の忠臣であることで成る」という考えのもと、あくまでも東照宮の方角へ向けて建立されました。

二天門が設けられた理由は、家光公を鬼門から守護するために、せめてもの配慮から建立されたものと思われます。

どちらも極彩色な衣装(鎧)に身を包み、キッと睨み付けた表情の迫力ある像容です。

広目天の足元には人間の煩悩を表すと言う「天邪鬼(あまのじゃく)」がいます。

広目天に踏みつけられ、哀しくもどこかユーモラスな姿にもご注目下さい。

「持国天・広目天」の呼称が「持国天・増長天」に変更された!

2019年7月18日に輪王寺の公式発表にて持国天&広目天の呼称が「持国天・増長天」へと変更されています。

持国天の方はそのままで、二天門を向かい見て右脇の「広目天」のみが→「増長天」へと変更されたことになりますが、変更理由としては次のとおりです。

そもそも広目天とされた理由

  • 首の内部に「寛政九巳(西暦1797年)~廣目」の墨書が見つかり、ここでの「廣目」とは四天王(増長天、多聞天、持国天、広目天)の「広目天」を指していると判断されたから。
  • 筆」を持つはずの広目天が「刀」を持っていることから調査が秘密裏に進められていた。
  • 古写真を用いた調査によれば二天門内の像の配置が入れ替わっていた時期がある。

以上、2014年に行われた像の修復に合わせて、輪王寺は調査を行っており、その結果、呼称の変更にいたっています。

本殿最奥部の宮殿の四隅にある四つの像も調査

大猷院 本殿に関する記録では宮殿の四隅に安置される4つの像は「梵天、帝釈天、増長天、多聞天」とされていますが、刀を持つはずの増長天像は筆を持っていたことが明らかになります。

輪王寺は「この増長天像が本当の広目天」と考えてさらに寺内に残る古い文献を独自に調査。

この結果、大猷院の完成当初、各像の名称は決められておらず、1778年に像の名称と配置を記録したことが判明しています。

唐招提寺(奈良)金堂と四天王像の配置が一致!

調査によれば本殿・宮殿の四隅に安置される4つ像は奈良 唐招提寺の金堂に奉安される四天王像と配置が一致することが明らかになり、加えて、像の持ち物が逆であることを踏まえ、二天門右側の像は広目天ではなく、「増長天」であるという結論に至ったとのこと。

これはつまり、江戸時代(1778年)に像の名称を間違えていたことになり、240年経て、元来の呼称が明らかにされたことになりまする。

風神雷神像

また門の背後には「風神」と「雷神」が安置されており、このことから二天門は別名「雷門」とも呼ばれています。

実は二天門の風神雷神像はもともと東照宮の陽明門に安置されていましたが、星霜幾ばくかを経て、大猷院に移されています。

「風神」「雷神」の像が安置されている理由としては、風神・雷神の名前の由来の通り、家光公の霊廟を雨風嵐などの自然災害から守る目的(除災)で安置されたものだと思われます。

風神像

門の背後には「風神」と「雷神」が安置されており、このことから二天門は別名「雷門」随所に塗装の剥落が見られる。腐朽化が懸念される

雷神像

門の背後には「風神」と「雷神」が安置されており、このことから二天門は別名「雷門」

風神雷神像は二天門にない?!

この風神雷神像は写真をご覧になって分かる通り、塗装の剥落が進み、腐朽化が懸念されることから2019年に輪王寺宝物殿へ移し、補修が行われ、さらに宝物殿にて展示されることになっています。

その代わり現在、それぞれの像を精巧に模して造立されたレプリカの像が2019年3月15日に二天門へ安置されています。

したがって現在、二天門で見られる像はレプリカの像ということになり、オリジナルは宝物殿に展示されていることになり申す。

二天門の場所(地図)

二天門は大猷院の拝観受付から入って仁王門をくぐった先に位置します。ウフ

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