弘法大師・空海が「二荒(にこう)」を「 にっくゎう」と呼び始めたという説
「日光(にっこう)」という地名は820年(弘仁11年)、当時、日光が「二荒(二荒山)」と呼ばれていた頃、当地を訪れた旅僧の弘法大師・空海が”二荒を、”にこう”と呼び、さらに時が下ると”にっくゎう”と呼び始めたことが起源と伝わる。
その後、”にっくゎう”は、”にっこう”と呼ばれるようになり、やがて「日光」の字が充てられたという話。
そもそもの”二荒”の名前の由来とは?
なんでも大師が登拝する以前の782年(延暦元年)のこと、旅僧の勝道(のちの勝道上人)が修行の最中、山に住む観音菩薩が夢枕に立ち、託宣を受けた。
勝道は観音菩薩が暮らすその山を「補陀落山の如し」と盲信し、「補陀落山」と呼びはじめたが、訛りが生じて、いつしか「二荒山」になったらしい。
ちなみに補陀落山とは、仏教によるとインドの遥か南の海にそびえる伝説の山とされ、山上では観世音菩薩が暮らす。(仙境)
延喜式神名帳では「二荒」と書いて「フタラ」と読む?
なお、延喜式神名帳(九条家本)に記される「二荒山神社」には「フタラノ」という「読みがな」があてられており、「フタアラ」もしくは「フタラ」とも読まれていたとされる。
大日如来が由来になっているとも‥‥
弘法大師・空海といえば、古今東西、現在の高野山を開創した人物として広く知られる。また、真言宗(真言密教)の宗祖でもあ〜る。
真言宗では「大日如来(だいにちにょらい)」の存在そのものを核に据え、その教えを教義とするが、この大日如来は中世以降になると神道の神である天照大御神とも習合し、やがて太陽神としても尊崇されるよぅになる。
太陽神は、自らの光を以って世界の果てまでを遍く照らし、生命を育み、希望や恵みを与える存在である。
まさに太陽そのもの。
このような理由があってからか、大師と大日如来にちなんで「日光」と付されたという見解もある。
ちなみに日光では秋の紅葉シーズンになると、東照宮はじめ、輪王寺や二荒山神社、奥日光などで毎年ライトアップを実施しているが、”日の光”のみならず、”日光の夜の光”も、これまた見モノとな〜る💘(うまい!)
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