日光東照宮・神厩舎(三猿)【重要文化財】
創建年
- 1636年(元和3年/江戸時代前期)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 素木造
- 妻入
- 一重
- 正面軒唐破風付
大きさ
- 桁行三間(奥行:約6メートル)
- 梁間五間(横幅:約10メートル)
屋根の造り
- 銅瓦葺
重要文化財指定年月日
- 1908年(明治41年)8月1日
「神厩舎」の読み方
神厩舎は「しんきゅうしゃ」と読みます。
「神厩舎」の別名
別名で「上御厩(かみのおうまや)」とも呼称され申す。
日光東照宮・神厩舎の役割
神厩舎は「神馬(しんめ)」と呼称される神様に奉仕するお馬さんが生活をする場所です。
通常の馬小屋を指す「厩舎(きゅうしゃ)」に神馬の「神」の文字が付いて「神厩舎」となっています。
このように神社へ生きた馬や獣類などを奉納する風習は江戸時代から始まったものではなく、天皇・公卿・武家などを通じた間では、古くから行われており、神馬を奉納する儀式を「幣馬獣進(へいばじゅうしん)」と言い申す。
伊勢神宮の両宮でもこのような神馬が飼育されいる。
なお、日光東照宮の神馬は、実際にはここで生活しているワケではなく、普段は別の場所にいます。
日光東照宮・神厩舎の「歴史・由来」
日光東照宮の神厩舎は1636年(元和3年)の徳川家光公による東照宮再建の折に造営されています。
家康公がこの世を去った後、家康公の愛馬が主の永眠を守るためのご奉公の場所として造営されています。
日光東照宮・神厩舎の建築様式(造り)
日光東照宮の神厩舎は気品ただよう寝殿造の馬屋形式を呈し、金の装飾で着飾った煌びやかな境内の殿舎とは打って変わる。
唯一、これといった特徴の無い、塗装や飾り金具が施されていない素木造りで建造されている。
素木造りとは上から漆などの塗料を塗布ぜず、伐採した樹木(素木)をそのまま用材として使用する方法。
また神厩舎の大きさとして、奥行は約6mで横幅が約10mあり、殿舎の内部では2頭の神馬が無理なく休憩できるに設計が成される。
大名の邸宅に見られる馬屋に倣ったか
馬立場(うまたてば/馬を休める場所)の右側に遠侍(とおざむらい)と呼ばれる供待(ともまち/警護の武士の詰所)の座敷部屋を備え、馬をつなぐ部具、立面の構成など、京師(京都)の「洛中洛外屏風(らくちゅうらくがいびょうぶ)」に描かれた大名邸宅の馬屋に似せる。
例えば、上記のように白木造りを主として用い、これに黒漆塗りの格子扉を据えて白黒のアクセントを用いるなど、優雅な貴人の邸宅様式を醸す。
馬屋としながらも、貴人の邸宅様式を融合させて、新たな意匠を生み出している大工たちのアイディアに注目がいく。
日光東照宮の神厩舎の見どころ
外壁の「三猿」と呼ばれる彫刻
神厩舎の外壁には合計8枚の猿の彫刻があしらわれたパネルがある。
その中のパネルの一枚には「三猿」と呼ばれる有名な猿の彫刻がある。
なお、厳密にこのパネルは正面に5面、側面に3面の合計8面あり、合計で16匹の猿の彫刻が見られる。
これら16匹の猿くんは何かのメッセージを無言で伝えていると云われる。
日光東照宮の三猿については下記ページを要チェック💘
植物紋
日光東照宮のおおよその社殿には「三つ葉の葵」紋が彫られていますが、神厩舎の軒下の破風(鼻隠し)の部分には植物紋があしらわれており、他に妻の内側にも「牡丹」か「菊の彫刻」が施されています。
植物紋の理由は定かではありませんが、これも日光東照宮の謎、もしくは七不思議の一つといえるのではなかろぅか。
神厩舎の神馬
日光東照宮の初代神馬はなんと!あの徳川家康公が関ヶ原の戦いを共にした戦友とも言えるべき名馬(白馬)だったそうです。
「日光東照宮四百年式年大祭記録誌」によれば、初代の神馬は徳川家康公が関ヶ原合戦でも乗馬したとされる愛馬「立黒(たちぐろ)」だと記録される。
1630年まで日光東照宮で奉公し、以後は何か大きな祝い事があった時などに将軍家から駿馬が献進されることになり、常時、3頭の神馬が繋養されていたらしい。
明治時代から昭和16年にかけては、北白川宮家(明治の初期に伏見宮邦家親王の第十三王子智成親王が創設した宮家)から神馬が奉納された。
東照宮の神馬については下記ページを要チェック💘
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日光東照宮・神厩舎の場所(地図)
神厩舎は表門をくぐってスグの左脇に位置します。
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日光東照宮には三大彫刻があるのをご存知か?
一つは上神庫の妻にある「想像の象(そうぞうのぞう)」
一つは坂下門の蟇股にある「眠り猫(ねむりねこ)」
そして最後は本項の神厩舎の三猿
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