日光東照宮「内番所」【重要文化財】
建築様式(造り):入母屋造、ベンガラ塗り
屋根:瓦葺き、狐格子
「内番所」の読み方
「うちばんしょ」
日光東照宮「内番所」の役割
現在はお札やお守りを授与している社務所的な役割を担う殿舎だが、江戸時代は日光奉行が管理する番所だった。
日光東照宮には他に表門を「表番所」という番所も素敵にあり、合計で2棟、類似した建造物があるのだが、江戸時代の日光山内には日光奉行が所管した番所が11ヶ所もあった。
「番所」ということで日光奉行所が所管した施設であったわけだが、番所には現代風にいうと24時間・昼夜問わず警備をする役人(武士)が昼夜交代制で2人ずつ詰めていたらしい。
「番所」とは?
番所とは江戸時代、交通の要所に置かれた役人が詰めている詰所(場所)。
指名手配中などの怪しい通行人はいないか?
怪しい船舶はいないか?
もしくは積荷のチェックをしたり、ほかに税の徴収を行ったりもしていた。
東照宮の場合だと、不審者の検挙はもちろんのこと、建造物に触れたり、東照宮境内の建造物や彫刻やらを紙に写しとる行為は禁止されていたので、万が一、見つかった場合は咎に問われたらしい。
江戸においての番所は「町奉行所」を指す
🐣江戸市中においての番所とは大岡越前や遠山の金さん(遠山金四郎景元)でスッカリかりかり梅‥‥すっぱ!!的なほどスッカリと庶民にお馴染みの「町奉行所」のこと。
🐣種類としてはほかに江戸城の城門に置かれた「御門番所」
🐣辻斬りの未然防止を務める「辻番所」
🐣両国橋など、主な橋のたもとに設置された「橋番所」
🐣市中の木戸ごとに設けられた「木戸番屋」
🐣町人地に置かれた「自身番屋(じしんばん)」
🐣宿場町を例とした該当地域内の要衝などに置かれた「口留番所・境目番所」
🐣ウラぐぁ〜など(訳:浦賀など)の主要な港湾に置かれた「船番所」
口留番所・境目番所では、指名手配犯の探しや、不当に物資が領外へ流れないように見張りをしたり、荷物あらため(チェック)なども行なっていました。
誰でも番所を設置できたのか?
武家諸法度では大名が無断で関所を設置するが禁じられており、番所が関所の代替の役目を担う機関だった。
内番所の建築様式
日光山内特有ともいえるべき、妻の木連れ格子(狐格子)は黒漆塗り、他部位はベンガラ塗りを用いる。
内番所の歴史
内番所の創建は1622年(元和八年)とされ、以降は微々たる修繕のほか、部分的に改造したりしたものの、昭和19年に東照宮社殿群の附属として国宝指定(現在は”充分”過ぎるほどに”重文”)された。
日光東照宮の内番所は往時は現在の西浄の奥に建っていたのですが、星霜経ながら、現在地に移築されていまする。
内番所は1980年(昭和55年)に漆の塗り替え修理が実施され、記録によると、わずか6坪という、それほど大規模な建造物ではないにも関わらず、塗り替えだけで1300万円もかかったらしい。
この時、塗り替えを監臨した専門家の調べによると、現在の内番所は”完成”するほどの勢いほどに”寛政”八年〜十年(1796〜8年)に再建されていることが明らかにされた。
ちなみに後日談として、当建造物が国宝指定を受けた理由の一つに1636年(寛永十三年)の創建という歴史が評価されたにも関わらず、この専門家は自ら行った内番所の調査結果(江戸中期の再建)を論考として公的に発表してしまったため、危うく国宝指定を除外されかけたという事件も起こった。