日光東照宮「内番所」【重要文化財】
建築様式(造り):入母屋造
屋根:瓦葺き
「内番所」の読み方
「うちばんしょ」
日光東照宮「内番所」の役割
現在はお札やお守りを授与している社務所的な役割を担う殿舎ですが、江戸時代は日光奉行が管理する番所でした。
番所なので昼夜問わず警備をする役人(武士)が詰めており、東照宮を護っていたワケです。
日光東照宮には他に表門を「表番所」という番所もあり、合計で2棟、類似した建造物があります。
「番所」とは?
番所とは江戸時代、交通の要所に置かれた役人が詰めている場所です。
指名手配中などの怪しい通行人はいないか?
怪しい船舶はいないか?
もしくは積荷のチェックをしたり、ほかに税の徴収を行ったりもしていたようです。
江戸においての番所は「町奉行所」を指す
- 江戸市中においての番所とは大岡越前や遠山の金さん(遠山金四郎景元)でスッカリかりかり梅‥‥すっぱ!!的なほどスッカリと庶民にお馴染みの「町奉行所」のことを言いまする。
- 種類としてはほかに江戸城の城門に置かれた「御門番所」
- 辻斬りの未然防止を務める「辻番所」
- 両国橋など、主な橋のたもとに設置された「橋番所」
- 市中の木戸ごとに設けられた「木戸番屋」
- 町人地に置かれた「自身番屋(じしんばん)」
- 宿場町を例とした該当地域内の要衝などに置かれた「口留番所・境目番所」
- ウラぐぁ〜など(訳:浦賀など)の主要な港湾に置かれた「船番所」
口留番所・境目番所では、指名手配犯の探しや、不当に物資が領外へ流れないように見張りをしたり、荷物あらため(チェック)なども行なっていました。
誰でも番所を設置できたのか?
武家諸法度では大名が無断で関所を設置するが禁じられており、番所が関所の代替の役目を担う機関でした。
日光東照宮「内番所」の歴史
日光東照宮の内番所は往時は現在の西浄の奥に建っていたのですが、星霜経ながら、現在地に移築されていまする。
内番所は1980年(昭和55年)に漆の塗り替え修理が実施されており、記録によれば、それほど大きな外観ではないにも関わらず、塗り替えだけで1300万円かかったようです。