日光東照宮「銅神庫」【重要文化財】|奥社(奥宮)

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奥社(奥宮)は家康公が眠るとされる日光東照宮でもっとも神聖な場所です。

ここは元来、歴代徳川将軍しか立ち入ることが許されなかった場所でもあり、江戸時代であれば我々一般庶民は、けっして立ち入ることができなかった場所になります。

しかし1965年(昭和40年)に執り行われた「日光東照宮・三百五十年式年大祭」を記念して、特別に一般公開され現在に至っています。

奥社(奥宮)は意外に広く、以下のような建造物があります。

日光東照宮・奥社(奥宮)の建造物・一覧

  • 銅鳥居
  • 銅神庫
  • 拝殿
  • 鋳抜門
  • 宝塔

以下ではこの中でも銅神庫をご紹介します。

日光東照宮「銅神庫」【重要文化財】

  • 建築様式:寄棟造
重要文化財登録指定年月日

1908年(明治41年)8月1日

日光東照宮「奥社銅神庫」の歴史・由来

銅神庫は銅鳥居の脇に建っている建物です。

ここにはかつて家康公の甲冑や刀剣などのご愛用の品々や、位記(いき=天皇から授けられた官位を証明する書状)などの書物が収められていました。

そんなことからかつては「宝蔵(ほうぞう)」と呼ばれていました。

現在、これらの品々のほとんどは日光東照宮宝物館などへ移されています。

天台宗を信仰した天海大僧正が設計に参加しただけに、台密の建物によく見かける密教法具の輪宝(りんぽう)が据えられています。

清浄な空間を保つために輪宝で邪気を防いでいるのでしょう。

江戸期に建てられたものとは思えないほど綺麗な外観をしていますが、これは江戸時代には将軍およびその一部の関係者しか立ち入りが許されなかったという背景が浮かび上がります。

現在は修学旅行生をはじめ、多くの外国人も訪れるなど、何かとこの銅神庫の前は混雑し、ガヤガヤと賑々しい雰囲気があります。

しかし、江戸期のこの場所は静寂に包まれ、小鳥のさえずりやセミの鳴き声だけがコダマするような、大自然の伊吹に包まれたような場所だったのでしょう。

日光東照宮「奥社銅神庫」の場所

日光東照宮の奥宮(奥社)の拝殿前の通路脇にヒッソリそりそり髭剃りなほどにヒッソリと佇んでいる倉庫です。

坂下門からの207段の石段を昇った先でまず、参拝者を出迎えてくれる奥社(奥宮)の表玄関ともなる鳥居をくぐった右脇にあるでゴンす。

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