【”つつが”と上下の龍の彫刻が特徴的💖】日光東照宮・唐門(本殿)【国宝】

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日光東照宮・唐門(本殿)【国宝】

創建年

  • 1617年(元和3年/江戸時代前期)
再建年

  • 1636年(寛永13年/江戸時代前期)
建築様式(造り)

  • 四方唐破風造
  • 一戸
大きさ

  • 奥行:約2メートル
  • 横幅:約3メートル
屋根の造り

  • 銅瓦葺
重要文化財指定年月日

  • 1953年(昭和28年)3月31日
国宝指定年月日

  • 1951年(昭和28年)6月9日

日光東照宮・唐門の読み方

唐門は「からもん」と読みます。

日光東照宮・唐門の「歴史・由来」

日光東照宮・唐門は、日光東照宮の唐門は本殿を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されます。

唐破風の大きな特徴として、弓なりのアーチ型の屋根の形状が特徴的です。

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実は、この唐門を始め陽明門や御本殿、しいては日光東照宮全体の殿舎の屋根は創建当初、「ヒノキの樹皮」を使用した「檜皮葺(ひわだぶき)」であったと云われております。

その後、徳川家光によって現在見ることのできる銅板を使用した豪華な屋根に一斉に葺き替えられています。

この唐門は本殿の殿舎を取り囲む玉垣(透塀)の中心に位置し左右の玉垣と連絡しています。

通常は閉ざされており、神職を始め、一般の参拝客も唐門をくぐることは叶いませんが正月時期や例大祭、勅使が下向された時には開放されます。

江戸時代においての、この唐門は将軍に拝謁できる身分の者(勅使・幕臣・大名など)だけがクグることが許されたようです。

正面左右の柱には地紋彫が施されており、その上から貝殻をすり潰して作られた「胡粉(こふん)」でコーティングされています。


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日光東照宮・唐門の建築様式(造り)

昇龍・降龍

唐門の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻があります。

昇龍(向かい見て右側の柱)

この龍は別木による寄木造りで造立されており、別木の種類としては「黒壇(こくたん)」や「紫壇(したん)」が使用されています。

降龍(向かい見て左側の柱)

なお、龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になります。

昼と夜を守護する霊獣「恙」「唐獅子」

この唐門には昇龍・降龍以外にも寄木造りの龍が存在しており、この龍は屋根上の棟の部分の左右両端に備え付けられています。

さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される「唐獅子(からじし)」が備え付けられています。

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これらの意味する所とは「龍は昼を守護する霊獣」で「恙は夜を守護する霊獣」という故事になぞらえたものです。

そしてこれら龍と恙をよく見ると、不思議なことに恙の4本の足には「輪」が付けられており、龍にはヒレが付いていないことに気づきます。

この理由とは、屋根の上に繋ぎ留めておくと言った意味合いになると云われております。


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日光東照宮・唐門の彫刻の謎

彫刻の数

陽明門と比べると見劣りする印象を受けますが、実はこの唐門に施されている彫刻の数はなんと!611(うち人物が6体で64人)もあり、この数は陽明門を上回る数(陽明門:508体)です。

ここから推測されることは、徳川家の思想や威厳、家格を表現したような重要な意味合いを持つ門であると言えます。

舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)

「舜帝朝見の儀」とは?

「舜帝朝見の儀」とは、正月元日に舜帝に会いに大勢の役人たちが拝謁する様子を表現したものです。

「朝見(ちょうけん)」の意味とは、「天子にお目にかかること」もしくは「天子に拝謁すること」です。

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舜帝とは?

舜帝(舜/しゅん)とは、中国の紀元前403年・春秋時代の伝説上の人物とされ申す。

神話上の中国を統治した五帝の最初の帝。顓頊(せんぎょく)の6代子孫とされます〜る。

舜の母親は早世し、継母と連子と父親と暮らしていたのですが、継母は自らの子を後継ぎにしたかったがために父親と共謀を働き、舜を殺そうと画策します。

舜は家庭内においても冷たくあしらわれていたのですが、そんな父や継母に対しても孝を尽くし、その様子を見知った人々は人から人へ舜の人物像を語り継ぎます。

やがてこの話は時の帝王であった「堯(ぎょう)」耳へも入ることになり、舜を自らの息子である「丹朱」と競わせて人物像を試し見たそうな。

その結果、息子と比べ物にならないほどの非凡な才をもった有徳かつ、有能な人物であることが分かり、舜に譲位する旨を告げます。

ところが、舜はこれを固辞し続け、堯の逝去後は丹朱へ帝位に就くように進言するのですが、それを知った民衆たちは断固としてそれを拒み、舜に帝位に就くように諌言します。

これを受け舜は帝位に就き、舜が治めた御代は安寧が続き、国は大いに栄えたとされます〜る。

家康公はそんな舜帝を敬愛し、自らの子々孫々、家臣たちにも模範とすべき人物像として説き聞かせたと云われます〜る。

舜帝の表情にも注目!

唐門の舜帝の像をよく見ると分かるそうですが、なんと!家康公の姿に似せて造立されているとのこと。

上掲、写真をご覧になれば分かるように実に穏やかな表情で表現されており、家康公が敬愛した舜帝の人柄を家康公のイメージした通りの人物像に表現されてい‥‥‥申す。グヘっ

これは家康公も舜帝と違わぬ人物ほどの君徳を有した人物であったことを職人たちが表現して彫ったものです。

同時にこれは家康公が開いた江戸幕府が根幹に据えるべき思想として、子々孫々伝え聞かせるためにこのような舜帝を彫像を据えることで無言のメッセージを残したのでしょう。

その他の彫刻群

その他、唐門破風の下には中国の著名な偉人とされる「七福神」「八仙人」「竹林の七賢人」の彫刻が彫られています。

これらも古の故事になぞらえた家康が理想とした政治の在り方や理想的な人物像を表現していると考えられます。

 


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唐門の左右に延びる「透塀」

「透塀」はスケベと読みま・・お、いやいやいや「すきべい」!!と読みます。

このドスケベは御本殿を・・ふぅ。。「透塀」!!!・・は、こホンっ!御本殿を厚く守護するかの如く御本殿を取り囲むようにして左右に展開して造営されています。

総長約160mあり、塀全体に透かし彫りで彫刻が施されていることから「透塀」の名前が付されています。

透塀上部の欄間部分には「鳥、植物」の彫刻が施されており、下部の腰羽目部分には「水鳥、波」が彫られています。

実はこれらの彫刻は左右が同じデザインであり、つまりは1枚の下絵をもとに左右対称に彫られたものだと考えられます。

唐門の・・「謎」

実は、この「唐門の扉の模様」が「1箇所だけ異なっている箇所」あります。

具体的には、他の文様と文様の向きが異なっています。

見ることができるのであれば是非、見つけてみてください。

これも陽明門の逆さ柱(逆さのグリ紋)と同様、東照宮の謎であり七不思議の1つと言えます。

日光東照宮・唐門の場所(地図)

唐門は本殿の前方に位置します。前には陽明門があります。

 

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