【なぜココに置かれている?】日光東照宮「一本灯籠」【重要文化財】

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日光東照宮「一本灯籠」【重要文化財】

  • 奉納者:東福門院
  • 材質:鋳銅製
  • 様式:六角灯籠

一本灯籠の名前の由来

この灯籠は東福門院(徳川和子/2代目将軍・徳川秀忠公の娘で御水尾天皇の中宮)より奉献された鋳銅製の灯籠1基。

通例の灯籠は参道の左右に置くものと考えて一対(2本)で奉献される例がほとんど。なのにこの灯籠は1基で奉納されたことから、「一本灯籠」と呼ばれる。

一本灯籠が本殿脇に置かれた理由

往時の東照宮境内では本殿に近づくほど尊い場所とされ、その尊い場所にこの灯籠は建てられている。しかも1基で。

陽明門の内側には灯籠を置く例はこの灯籠以外みられない。だけれども、その通例をくつがすのが、この銅灯籠。

この銅灯籠が本殿脇に置かれた理由は、東福門院が2代目・秀忠公の娘でありながら、後水尾天皇の嫁(妻)でもあったことから、皇室からの奉納品として見られたための幕府の配慮であろぅ。

その証拠といってはなんだが、ちょぃと灯籠の笠部分に注目してもらいたぃ。

東照宮境内の灯籠はすべてといっても良いほど天下の徳川紋(三つ葉葵い紋)があしらわれている。

対してこの灯籠には徳川紋が1つもない。

笠部分に見える大きな文様は徳川紋ではなく、如意宝珠(にょいほうじゅ)の文様。

それと火袋の部分には徳川紋ではなく、これはどうやら皇室を示す桐紋(丸に五三の桐)があしらわれているのが見える。

⬆️火袋の6つそれぞれの面の下部に4つの小さな「丸に五三の桐」が見える⬆️ウワサの「丸に五三の桐」

この当時、桐紋は皇室ならびに皇室が許可した氏族、もしくは皇室ゆかりの氏族しか使用が許されない高貴なものだった。

しかし、徳川幕府の御代になると今度は桐紋よりも徳川紋たる三つ葉葵紋の価値が上昇し、これを受けて徳川幕府も1723年(享保八年)2月28日に「葵紋禁止の法令」を発布している。

逆に桐紋に関しては1884年に官報で特に定めないことが公示されたため、自由に使用できるようになっている。

以降の皇室はというと、桐紋ではなく、現在に至る16枚の葉に複弁を付け添えた菊御紋(十六葉八重表菊)が使用されるようになる。

「十六葉八重表菊」もしくは「十四葉一重裏菊」が公式に皇室の紋とされたのは、明治2年8月25日(1869年9月30日)の太政官布告第802号を経て、1926年(大正15年)に制定された皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)によるもの。これを期とし皇室御紋の一般使用が禁じられた。

なお、十四葉一重裏菊(14弁の菊紋)宮家が主に使用している。

ところで、水尾天皇といえば歴代の天皇の中でも気性の荒い性格で知られており、幕府の皇室に対する態度に我慢ならなくなり、幕府に無断で譲位して院政をしいたことで有名。幕府との関係に禍根を残した。

東福門院はその夫と幕府の間を取りもつことに生涯を費やしたといわれるほど気苦労の多かったお方。

そういった背景を知った者が、その労をねぎらうつもりを兼ねてこの場所に置いたのだろぅか。

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