日光東照宮「シャンデリア釣灯籠(オランダ灯籠)」【重要文化財】

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日光東照宮「シャンデリア釣灯籠(オランダ灯籠)」【重要文化財】

  • 奉納年:1636年(寛永13年)
  • 様式:シャンデリア型灯籠
  • 覆屋の様式:八角円堂/
  • 作者(設計者):ヨハネス・ルトマ(推定)
  • 制作:ヨースト・ヘリッツゾーン
  • 奉納者:オランダ東インド会社(オランダ商館)※Nederland(ネーデルラント)/オランダ国

オランダから1回目に(初めて)奉納された灯籠

シャンデリア釣灯籠(オランダ灯籠)とは?

日光東照宮にはオランダから3基の様式鋳銅製の灯籠が奉納されていますが、この灯籠は最初に奉納された灯籠です。

灯籠を覆うようにして建てられている覆屋も単なる覆屋で済むハズもなく、絢爛豪華さを醸す、飾り金具の意匠がまばゆいばかりに光り、最近の肩コリ以上にコリに凝った「八角円堂」で建てられてい‥‥‥申す。ガハっ

釣灯籠がオランダから献納された理由

江戸時代初頭、西欧の交易船が幾度となく、日本へ来航していますが、その目的は日本との交易。

日本と交易をしたがった理由は日本で採掘される豊富な銀。この当時、日本で採掘される銀の量は実に世界の3分の一もの量を誇っていたとされる。

しかし、1600年(慶長5年)、オランダ商船「リーフデ号」が九州豊後に漂着したのを機とし、オランダと日本の国交が開ける。

これにより、当時スペインとポルトガルのみだった交易対象国にオランダが名前を連ねることになる。

オランダ国は西欧では勢力を伸ばしつつあった背景もあり、次第にオランダとスペイン、ポルトガルとの間に摩擦が生じる結果を生む。

その代表例が1609年に幕府に提出されたイギリスとの連名による文書。その内容はスペインとポルトガルは表向きはキリスト教布教を豪語しているが、水面下で日本を侵略するための調査を行っているというもの。

この当時のオランダに残された文書として、次のようなものがある。

「日本人は誇り高い。日本との貿易は会社(東インド会社)にとって最重要であり、だからこそ我々は卑小であるという姿勢を保ちつづけなければならない。日本人の目を我々の卑小な外観にそむけさせることが肝要」

こうしてオランダは1635年(寛政12年)を迎えるまでに幕府の要人となる老中・酒井忠世はじめ、松平信綱などにオランダ製の望遠鏡をはじめとした実用品の数々、さらにオウムをはじめとしたペット類、洋式ベッドなどの珍品の数々を贈呈する。

この結果が功を奏し、1635年(寛政12年)に幕府は日本人の海外渡航禁止令を出して朱印船を封じ、ついで1639年(寛永16年)になるとポルトガル船の来航禁止令を発令し、これにより事実上、オランダは日本の貿易独占に成功することになる。


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日本にオランダ灯籠がはじめて献納された年

オランダ国がはじめて家光公へ灯籠を贈ったのが、朱印船貿易停止の翌年(1636年/寛永13年)のこと。前述したように朱印船が渡航禁止された翌年にあたり、オランダは親善を兼ねて先君・家康公の霊屋となる日光東照宮へ奉献している。

実はこの灯籠、大変、高価なものであり、本国オランダでも早々、手に入らない代物とのこと。

そんな灯籠を贈るだけなく、家康公の霊屋に奉納したいというオランダの姿勢に大喜びしたのが時の将軍3代目家光公である。

家光公は家康公を心から敬愛しており、その家康公への高価な珍品となる献納品というから、さぞかし嬉しかったことであろう。

シャンデリア釣灯籠(オランダ灯籠)の作者

江戸時代、オランダから幕府に奉納された灯籠はこの灯籠を含めて3基。

このうち、この灯籠は最初に奉献されたものと述べているが、作者は3回目(1643年/寛永20年)と同じ「真鍮細工師ヨースト・ヘリッツゾーン」の制作した灯籠。

この事実は、1620年~1640年、平戸のオランダ商館の商館長だったフランソワ・カロンが著した「日本大王国志」にも書き記されている。

ちなみに1640年、商館付属の倉庫の破風に西暦年号が記されているのを口実とし、幕府はオランダ商館の解体を命じ、1641年に平戸から長崎の出島へ商館が移されている。

シャンデリア釣灯籠(オランダ灯籠)の場所(地図)

陽明門の前にありまする。

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