日光山輪王寺「児玉堂」
- 創建年:820年(弘仁11年/平安時代)
- 最初に建てた人(創建):弘法大師・空海
- 指定区分:国指定重要文化財ならびに世界文化遺産
「児玉」の名前の由来や意味とは?
児玉とは「小さい玉」という意味がありまする。
その小さい玉を祀った堂であることから「児玉堂」命名されてい‥‥‥申す。グハっ
児玉堂の歴史
輪王寺の寺伝によれば、820年(弘仁11年/平安時代)弘法大師・空海が遊行の途上、この日光山へも立ち寄り、その折、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を祀るために堂を建立し、その堂こそがこの児玉堂だと云われまする。
伝承によれば、弘法大師・空海が現在の滝尾神社付近の沢に流れ落ちる「白糸の滝」近くに、八葉蓮華池(はちようれんげいけ)に似た池があったそうな。
この池の池畔にて「仏眼金輪(ぶつげんきんりん)の法」を17日間行ったそうな。
なお、八葉蓮華とは名前の通り、花弁が8葉ある蓮華(れんげ/ハス)のことであり、真言密教においての八弁の蓮華といえば、胎蔵界曼荼羅(中台八葉院)をも意味する重要な位置付けのものです。
それゆえ、この故事には謎多き部分があり、ここでの八葉蓮華池とは、大日如来の託宣のようなものとも捉えらることができまする。
話は戻って‥‥
すると池の中から不思議しぎしぎ摩訶不思議な大小2つの白玉が浮かび上がり、それら2つ玉は『我は天補星(てんぽせい)である」と大師に告げたそうな。
天補星とは、古代中国から伝わる民間信仰における「九星(きゅうせい)」のことであり、その九星とは、一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫の9つのことをいう。
それを聞き届けた大師は、すぐさま2つの玉のうち、小さい方の玉を金星(明けの明星)として堂へ祀ったそうな。
なお、金星は「虚空蔵菩薩」の化身もしくは象徴と成り得る存在のものです。
大きい玉の行方
一方、大きい玉の方は北極星と捉え、中禅寺湖の湖畔に建つ、中禅寺へ祀ることにしたそうな。
後にこの堂は「妙見堂(みょうけんどう)」と呼ばれ、崇敬が寄せられることになりまする。
なお、北極星は「妙見菩薩」の化身もしくは象徴とされる存在のものです。
ちなみにこの妙見堂は明治時代に中禅寺に天災があり、その際に消失していまする。
児玉堂の建築様式(造り)
一間社流造りに銅葺きの堂です。
床より下が黒漆塗りで上部の母屋部分が朱漆塗りがほどこされた重厚さを感じずにはいられない堂。
人一人入って窮屈さを感じるほどの小堂ですが、国の重要文化財指定を受けていまする。
児玉堂の見どころ
石鳥居
仏式の堂舎でありながら、手前に石鳥居が建てられているなど、神仏習合時代の佇まいが垣間見えまする。
日光山内は輪王寺と東照宮、それに二荒山神社と神仏が習合して成り立っていたこともあり、現在のような神仏が区別されている時代に至ってもこのような堂が見られる風変わりな場所でもありまする。
これも日光特有の景色であり、大きな見どころの1つといえまする。
児玉堂の場所(地図)
四本龍寺(しほんりゅうじ)から滝尾神社・滝尾山(たきのおさん)へ至る道を進むと、その途中の左脇に生い茂る杉木並木の向こうに石鳥居が見え、その後方に朱塗りのお堂が見えます。
これが児玉堂でゴンす。
児玉堂のオススメの巡り方
この児玉堂は東照宮の美術館から直進する形で1本の山道を歩いた先にありまする。
実はこの児玉堂を含めたこの山道は「日光史跡探勝路(滝尾神社コース)」というものに含まれています。
この史跡探勝路を巡ることで日光山内に点在する堂や社が巡拝できるようになってい‥‥‥申す。グヘっ