日光山輪王寺「2つ堂(常行堂・法華堂・渡廊)」【重要文化財】
まず・・日光山輪王寺の「2つ堂」とは?
日光山輪王寺には「常行堂」「法華堂」と言う、2つ連なった珍しい形状の堂舎が存在し、大猷院への参道の入口に建立されています。
同じ大きさの2棟の堂舎が渡り廊下で繋がっており「二つ堂」あるいは「天秤(てんびん)」に見立てて「担い堂(荷い堂)」とも呼称されています。
一般的には「常行堂のは和様建築」で造営され、「法華堂は唐様(禅宗様)建築」で造営されていると云われております。
このような稀有な造りの堂舎は天台宗の寺院特有のもので、日本中を探しても「比叡山延暦寺・西塔のにない堂」と、この輪王寺・2つ堂のみと云われております。
尚、2つのお堂と渡り廊下(渡廊)は、それぞれ国の重要文化財に指定されています。
「円仁」と「輪王寺2つ堂」
二つ堂は、平安時代初期の848年、円仁(えんにん/慈覚大師)が輪王寺へ訪れて創建し、その後1100年代に再建されたと言われていますが、円仁が輪王寺を訪れたという話は俗説に近いものがあり、1100年代の創建だとも考えられています。
尚、現在のお堂はいずれも江戸時代に再建されたものです。
円仁は日光も含まれる下野国の出身で天台宗を開いた最澄に師事し、後に最後の遣唐使として唐に渡り、帰国後、第3代天台座主(てんだいざす=天台宗のトップ)となり天台宗山門派の始祖となった人物です。
健脚であり、また大変な行動力の持主で、円仁が創建・再建・復興したと言われる寺院は関東・東北だけでも500以上あります。
円仁が2つ堂を創建したのかは定かではありませんが、最後の遣唐使として中国・唐へ渡り、幾多の苦難を乗り越えて会得した教えや修法、思想が、この2つ堂と言う堂舎を含めて伝承されているのは確かな事実です。
日光山輪王寺「常行堂」
創建年
- 不明
- 推定:1100年代/平安時代後期
再建年
- 1619年(元和5年/江戸前期)
建築様式(造り)
- 宝形造
- 向拝付き
屋根の造り
- 銅瓦葺
大きさ
- 桁行五間(奥行:約10m)
- 梁間六間(横幅:約12m)
- 向拝:約2m
御本尊
- 宝冠五智阿弥陀如来像(重要文化財)
重要文化財指定年月日
- 1944年(昭和19年)9月5日
輪王寺「常行堂」の読み方
輪王寺、東照宮の境内には難しい漢字の表記のお堂や社殿がありますが、輪王寺は「りんのうじ」と読み、常行堂は「じょうぎょうどう」と読みます。
日光山輪王寺「常行堂」の歴史・由来
この常行堂は上記の比叡山延暦寺にある「西塔・にない堂」を模して造営された堂宇(お堂)となります。
常行堂は、仏の周りを歩きながら90日間に渡って念仏を唱える「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」という修業を行うために造営されています。
従って、本尊が安置されている「須弥壇(しゅみだん)=豪華な台座(仏壇)」の周りには、歩き回るための通路があります。
現在では正月に修正会が行われており、鎮守国家や日本国民全体の幸福を願う祈祷が執り行われています。
日光山輪王寺「常行堂」の建築様式(造り)
常行堂を一目見て、目に付く造りが軒下の緑色をした「支輪(しりん)」と呼称される斜め格子の飾りです。
壁面の組み方が分かりにくく、他ではあまり見られない様式をしています。
その他に特に注目すべきは「扉」と「木鼻」です。
常行堂の方は一般的に和様建築と伝わっていますが、扉はなぜか数枚の板を張り巡らした「桟唐戸(さんからと)」の「折れ扉」になっています。
桟唐戸は唐様(禅宗様)の典型的な造りとなり、これは鎌倉期に大陸から伝来した建築様式です。
また「框(かまち)」と呼称される「枠」を扉の四辺へ張り巡らせ表面部分に据えられており、これは隣の法華堂と類似した扉と言えます。
また木鼻(拳鼻)も唐様(禅宗様or大仏様)で見られる渦状の形状をしています。
ちなみに、この常行堂のみであれば拝観料・無料で入ることができ、少し距離は離れていますが御本尊のお顔も拝見することができます。
現在は、死者の冥福を祈る「回向(えこう)」を行う場所となっており、一般の方の申し込みも受け付けています。
常行堂の御本尊「宝冠五智阿弥陀如来像」
常行堂の御本尊「宝冠五智阿弥陀如来像」は平安時代末期、1100年代の作品と言われ、蓮座に座り孔雀(クジャク)に乗っています。
脇侍の四菩薩像も蓮座と孔雀に乗っており、このスタイルも、阿弥陀如来像が四菩薩像を従える「阿弥陀五尊像」という組み合わせも、たいへん珍しい如来像です。
孔雀は毒蛇を食べることから神格視され「邪」を祓う吉鳥とも言われており、インドでは国指定の国鳥(国を象徴する鳥)とされています。
尚、上記の常行堂の御本尊と脇侍、5体合わせて1944年(昭和19年)に国の重要文化財に指定登録されています。
日光山輪王寺「常行堂」の御朱印
日光山輪王寺「常行堂」では御朱印をいただくことができます。
そしてなんと!ここ「常行堂」にも「期間限定の御朱印」が存在します。
毛越寺の印付きの期間限定の御朱印
中央に大きく「阿弥陀如来」の墨書きがあり、左に「世界遺産」の墨書きと左下隅に「毛越寺(もうつうじ)」の御朱印があります。
※毛越寺(天台宗の寺院)=岩手県平泉
通常の「常行堂」の御朱印
中央に同じく「阿弥陀如来」の墨書きがあります。
期間限定の御朱印との違いは、主に左側の「世界遺産」の墨書きなく、また「毛越寺」の押印が「日光山常行堂」の押印になっています。
日光山輪王寺「法華堂」
創建年
- 不明
- 推定:1100年代/平安時代後期
再建年
- 1649年(慶安2年/江戸時代前期)
建築様式(造り)
- 宝形造
- 向拝付き
- 一重
屋根の造り
- 銅瓦葺
大きさ
- 桁行三間(奥行:約6m)
- 梁間四間(横幅:約8m)
- 向拝:約2m
御本尊
- 普賢菩薩
重要文化財指定年月日
- 1944年(昭和19年)9月5日
輪王寺「法華堂」の読み方
輪王寺、東照宮の境内には難しい漢字の表記のお堂や社殿がありますが、法華堂は「ほっけどう」と読みます。
日光山輪王寺「法華堂」の歴史・由来
法華堂の正式名は「法華三昧堂(ほっけさんまいどう)」と呼称します。
仏の周りを歩いたり座禅をしたりする「法華三昧」と呼ばれる修業のためのお堂であることから上記のような名前が付されています。
法華三昧とは、天台宗特有の修法であり「経典・法華経」用いて「37日間行う修法のこと」言います。
日光山輪王寺「法華堂」の建築様式(造り)
法華堂は上記の常行堂とは異なり堂内へは入れませんが外観は見学ができます。
まず、双方の堂舎とも言えることですが、周囲に縁(椽/えん)を回し朱色の丹塗りの高欄(こうらん=手すり)が取り囲みます。
それと常行堂との建築様式の違いを見てみるのも面白いです。
常行堂の特徴しては連子窓(れんじまど)が据え付けられており、法華堂には鐘のような輪郭の火灯窓(かとうまど)がありますが、モチーフはロウソクの灯明です。
火灯窓が堂舎に据えられているということは、概ね内部には須弥壇のようなものが設置されていて仏像が祀られています。
なお、火灯窓は”花頭窓”とも書かれますが、これは正式な書き方ではありません。一説には灯明から連想した一種の火災除けのマジナイの意味合いで”花頭”と付けたとも云われます。
正面頭上の貫の木鼻の植物柄風の彫刻などは唐様(禅宗様)建築の特徴とも言えます。
その他、常行堂の入り口の上部にある組物と組物の間には蟇股(かえるまた)と呼称される装飾があり、その中には龍の彫刻が施されています。
「龍(竜)」はインドから仏教と共に中国⇒朝鮮⇒日本へと伝来したものですが「龍の彫刻」は和様の特徴でもあり、この法華堂にはありません。
法華堂の御本尊「普賢菩薩」
法華堂のご本尊は普賢菩薩です。普段は釈迦如来の脇侍を務めている仏様です。
輪王寺・法華堂の普賢菩薩は、左右の脇侍として、左には鬼子母神(きしもじん)、右には十羅刹女(じゅうらせつにょ)が祭祀されています。
普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の脇侍としてあまりに有名です。
「文殊の知恵」に「行の普賢」という言葉がある通り、普賢菩薩は「十の大願」を立て行(修行)へ勤しみます。
法華教は女性に往生説を初めて説いたために、多くの女性の信仰を集めました。
この頃から白象に乗った普賢菩薩が有名になっていきます。
鬼子母神、十羅刹女はもとは鬼です。はたまた法華教における守護神でもあります。
人の子供をさらってきて食べるなどの悪行を繰り返していたために、お釈迦様が目の前に現れてキツい仕置をくらって説法を聞かされます。
後に仏教に帰依して衆生を救済する仏様へ生まれ変わります。
十羅刹女、鬼子母神共に女性の神様です。鬼子母神は多産・安産の利益があります。
以上のことから、このお堂は女性のご利益が多いお堂です。これから出産を控えた女性の方は真摯に祈りを捧げてみてください。
日光山輪王寺「渡廊」【重要文化財】
創建年
- 1649年(慶安2年/江戸時代前期)
建築様式(造り)
- 切妻造
- 前後軒唐破風付
- 一重
屋根の造り
- 銅瓦葺
大きさ
- 桁行八間(奥行:約16m)
- 梁間一間(横幅:約2m)
重要文化財指定年月日
- 1944年(昭和19年)9月5日
「渡廊」の読み方
「渡廊」とは「わたろう」読み、つまりは「渡り廊下」のことを指します。
渡り廊下ですので建造物と建造物の間を繋ぐ廊下になり、現代では「渡廊下」や「渡り廊下」と呼称されます。
尚、「渡廊をわたろう」!!・・などと、豪快かつ迂闊(うかつ)に発してしまうと、友達・恋人との縁を「即切りされる」起点になりますのでご注意ください。ホゥホゥ
「渡廊」の建築様式(造り)
渡廊の細部にも見事な極彩色を見ることができます。
もっとも目立つ場所に唐破風の軒下や出三斗(でみつど)と呼称される組物の彩色が眩いばかりに目を惹きます。
朱色の丹塗りに緑色の連子窓のコントラストが上記の極彩色と合わさり、日光山の建造物の特徴に華を添えます。
日光山輪王寺「2つ堂(常行堂・法華堂・渡廊)」の場所(地図)
日光山輪王寺「2つ堂(常行堂・法華堂・渡廊)」は、日光二荒山神社の鳥居前に位置し、左脇の最奥には家光公が眠る「大猷院(たいゆういん)」があります。